自分しか書けないことは何?

さいきん書いたnoteの話。

つい先日、「結婚したときの話」というnoteを書いた。過去書いたnoteのなかでも、かなり反響が多かった。このnoteは、「そういえば、結婚報告して怒られたのって、私くらいだろうなぁ」という着想から生まれたものだった。

また別のnoteの話だ。「本当に好きなものは、公言しづらい」というnoteは、反響こそ少ないけど、私のお気に入りのである。これは、「そういえば、人に言えない趣味こそ、自分を育てるものだなぁ」という着想から生まれたものだった。


なんのつながりもない2つのnoteの話をしたのは、理由がある。

「もしかして私だけ?」というネタこそ、他者からの共感を呼びこむのではないか、ということだ。

まず、普通に生きてて経験しないことには、それだけで価値がある。みんな、自分が選べなかった道がどうなっているのか、興味があるのだ。

また、周りと違った経験であるほど、わかり合えた人を見つけたときの喜びは格別だ。地球の反対側で日本人にあったときのように、無条件で仲良くなれる。

「これは自分だからこそ書ける」「自分しか書けない」ことは、それだけで価値なのだ。


まずは「過去のあの経験は、そういえば周囲でも私くらいしかやったことないかもなぁ」と感じるネタがあれば、どんどん放出してみるのがいい。

もしくは「周りには言いづらいけど、実はこう思ってるんだよね」というネタも、noteに書いてみることから始めても良い。

ユニークな経験は、それだけで価値なのだ。


・・・


と思っていたら、

#もしかして私だけ

というタグを見つけた。これいい。じゃんじゃん使っていこう。

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