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「怪物」と呼ばれることへ違和感


オールスターで話題持ちきりになる前に彼について書いてみました。


素人の僕が彼について語ることがおこがましいくらい偉業を成し遂げています。しかも、過去形じゃなく、「成し遂げている」と言えることがもうすごすぎます。(彼を称賛する形容詞が見つからない言葉が見つからない。)


毎朝起きるたびに

「大谷翔平、第〇〇号ホームラン!」

がテレビから聞こえてきて、朝からハッピーな気持ちになります。

ホームランを打った後に子どもがサンタさんからクリスマスプレゼントをもらえたかのような大喜びを見て、なぜだか涙が出てきました。彼は野球で多くの人を喜ばせています。その事実に何だか泣けてくるものがありました。

彼は僕と同じ歳の26歳。同じ7月生まれ。何だか他人事じゃいられなくなり、彼についてnoteを綴ってみました。

彼への形容詞が見つからない

※私は野球を一度もプレーしたことなく(教員時代の朝野球程度。10打席1安打。泣)、野球に詳しくない前提で読み進めてもらえたら幸いです。

 同い年にして、MLBで大活躍。「大活躍」と表現しましたが、「大活躍」では足りないくらいの偉業を成し遂げています。僕は野球人ではないため、詳しい成績に関しては、述べることができません。ただ、現時点で投打ともに好成績を残している「二刀流」は文字通り前代未聞であり、素人でも「すごい」ことはわかります。ピッチャーの場合、1回投げることによる体への負担が尋常じゃないため、必ず休息をとっていますが、彼は次の日にバッターとして打席に立っているんです。。。

 さらにすごいのは、彼をアメリカのメディアでも彼のすごさが取り上げられていること。日本だけで「怪物」と呼ばれているのかと思ったら、「Beast!!」と実況でも呼ばれていて、ちょっと驚いた。アメリカでも怪物級のことを成し遂げているんですね。

どうやら辛口実況者も辛口が出てこないくらいすごいことをしているらしいです。

 YouTubeでこういうのを見ると、改めて彼はアメリカでも認められているんだと実感します。

もともと、大谷翔平のことを詳しく知っているわけではありません。ただ彼が「怪物」と呼ばれることに違和感があるんです。「怪物」と呼ばれることは最高の褒め言葉なのかもしれませんが、彼は「怪物」と呼ばれることに違和感があるんです。


「怪物」と呼ばれることで影に潜んでしまう「努力」

 僕は「目標達成」と言うことに関しては、さまざまな書籍やセミナーに参加し、僕自身も、『原田メソッド』の目的・目標4観点で目標設定を毎年しています。だからこそ、目標設定、そして、目標達成の難しさはある程度わかっているつもりです。(プロコーチとしてコーチングもクライアントに行っているため、目標達成の難しさを、なおさら実感します。)

 教員時代にはサッカー部の生徒と一緒に大谷翔平が高校時代に書いたと言われている「マンダラチャート」にも挑戦しました。 しかし、部員の半数以上(いや、8割近く)は目標達成することができませんでした。

マンダラチャートは、彼が高校時代の時に作った目標達成シートで、すでに有名な話かもしれないですね。知らない方はリンクを貼ったのでそちらを見てみてください。

 僕自身も、マンダラチャートの目標を意識して行えたことは半分くらいで、目標達成できた項目も全体の半分くらいでした。目標設定をし、目標達成に向けて、日々過ごしていく中でわかったこと。目標を掲げることよりも、達成するためのプロセスを毎日意識して、毎日同じように繰り返す、ことの方がよっぽど難しい。目標達成のための習慣は決して派手なことではないことを思い知らされました。


 彼は確かに体格が良く、193cmと並外れた身長の持ち主で、高校時代からプロ球団から注目されるほどだった。大谷翔平が高校生の時から明確に目標を掲げ、目標を達成するための行動を習慣として行ってきたことは、直接会っていなくても容易に想像できる。いや、それ以上の努力をしているかもしれない。彼は元々すごかったというより、すごくなっていったという言葉の方が適切である。


彼の目標を支えてくれる人がいる

 話が少し逸れますが、彼のすごさをさらに知ったのは北海道日本ハムファイターズの栗山監督の著書『育てる力』を読んだ時でした。

メジャー挑戦を掲げていた大谷翔平を獲得した栗山監督の想いや考え方に触れて、ものすごく痺れました。栗山監督は、選手のことを第一に考える「利他」に溢れる人で、この本を通して、大谷翔平のすごさも知ることができました。これを読んだから大谷翔平の偉業が他人事じゃなく思えたのかも。。。

彼が遊びに遊んで、先輩に誘われるがままに「自分」というものを持たずして、今のような活躍があるなら「天才」と呼ばれてもいいかもしれない。けど、彼は先輩に誘われようとほとんど前に飲みに行かず、毎日同じようにグラウンドへ向かい、同じようにウォーミングアップを行い、同じように練習を行う。おそらく他の人からしたら「つまらない」と思うレベルで毎日同じようなことをしている。


功績の裏に隠れる努力

 この本にも書かれていたが、彼はいかなるときもブレない。自分が大切にしている哲学に基づいたルーティンを徹底的に行う。その賜物のようで仕方ない。「193cmもあるから恵まれている」とも言える。けど、彼の努力は並大抵じゃないはず。

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引用:https://nanjsoku.com/565592/

この変化が一目瞭然。もともとゴツいわけではなく、メジャーでゴツさを手に入れた模様。これは一朝一夕でできることではない。1年以上、いや、彼が高校生の時から積み上げてきた「成果」ではないだろうか。(「誰が言うてんねん」ってツッコミが聞こえてきますね。)



「努力」は「才能」の2倍大事。

最近改めて『GRIT(やり抜く力)』を読み直しているので、余計に彼の能力にスポットが当たりすぎて、あたかも「天才」のように評されていることに違和感がありました。

この本自体も「『やり抜く力』が大事なんだよね!」で評価されているような気がしてもったいないですね。GRITが世界中で人気なのは「やり抜く力」という精神論っぽいスキルを、科学的な根拠に基づいて証明したところだと思います。あらゆる事例から証明されていて、事例を読むのが面白くておすすめです。

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 この図がわかりやすいのですが、才能より努力の方が大事なことがわかりますね。ここで「才能」が大事じゃないと言いたいわけではありません。メディアが「能力」のフォーカスしすぎているんじゃ・・・?と疑問を呈したいだけです。

「能力」ばかり取り上げられる虚無感

「怪物」や「天才」と呼ぶことで、何だか彼は努力というより「元々備わっているスキルが開花している」と評されているような感じがしちゃうんです。何だか「能力」ばかりで、自分にはないものとして、聞こえてきて、

「北海道で何しているんだろ、自分。」

って思っちゃうんです。

ありとあらゆる功績には、「怪物」と言うことで、一般人が「理解」をやめてしまうくらい、理解できない努力を重ねているはず。理解をやめると、「怪物」という認識だけが先行し、能力主義なマインドになってしまいます。能力主義で、生まれ持った才能にばかりスポットライトがあたり、生まれた瞬間で人生が決まると言わんばかりの認識になってしまう。能力主義が先行すると、「自分はこれくらいならできる」「今までの人生を考えると、これくらいなら、、、」という思考になってしまう。僕は自分自身の可能性を自分自身で蓋をしたくないと思っています。だからこそ、もっと僕は、大谷翔平のメディアには出てこない、努力に想いを馳せて、裏側にある努力、思想に目を向けて、彼のすごさを理解していきたいです。 


まあ何が言いたいって、メディアに対して、

「怪物」と呼びすぎて、目には見えない彼の努力に目を向けてもいいのでは??

と疑問に思ったという次第です。


さて、僕も口ばかりではなく、目の前のことに全力を注いでいきますか。

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