見出し画像

日食なつこ『必需品』

年間のうちどんな仕事にも忙しい時期があるように、もしかしたら会社員人生にも繁忙期と呼ばれる期間が存在するのかもしれない。
 
昨年の夏。まさに僕の仕事人生にも繁忙期が訪れていた。
データ分析会社の社員として初めてプロジェクトを任され、大規模なテレアポを行うために通い慣れたオフィスとは別に臨時の事務局を構えた。オペレーターの採用・研修、毎月の経費計算、関連案件への新規営業など、通常業務のほかにやらなくてはいけないことが山積みだった。
 
初めてづくしの前準備をようやく終えると、いよいよ業務が本格始動した。
40人のオペレーター集団でも取りきれないほどお客さんから電話がかかってくる。日中はその対応だけで時間が過ぎていき、陽が沈んだ頃から日々クライアント経由で大量に届くデータの分析を行う。
前回資料を見るも分からないことだらけで、同僚や上司に相談するもどうやら自らの仕事で手一杯な様子。結局イチから自分で調べることになる。
 
途方もない時間がかかった。何とか形にできたと思い上司に報告するも、甚だ見当違いなことをしていて、強烈に怒られたりもした。
振り出しに戻っても、当然誰かが仕事を肩代わりしてくれるわけではない。次第に帰りの電車の乗客がまばらになっていくなと思ったら、翌日の出社時間まで数時間しかないことも多々だった。
 
ちょうどその頃から、昼は時間が取れなくて、そして夜は眠気が勝ってしまい、まともな食事をしなくなった。
毎朝のルーティンにしていた体重計に乗る作業も、プロジェクト前から10kgを痩せたあたりになって計測をやめた。その数値が、まさに僕の体力ゲージを示しているかのようで、残りのプロジェクト日数とこれまでの減少幅を使って行う計算をしたくなかったからでもあった。

こうして書き連ねていくだけでもツライのに、こんな文章を不特定多数の人たちが読める場所に掲載するかどうか、正直迷った。
読んでみても決して心地のよいものではないし、何より僕自身「こんなに大変でした」といった趣旨のことを伝えたいでもなかった。

ではそれでもなぜ記事にしたのか。心身ともに追い込まれていたこの状況を救ってくれた歌があったからだ。そして、未だにその歌詞が頭から離れない。
だから、あくまでここまでのことは、どうか前フリ程度に捉えてほしい。
 
 
ふとした瞬間に流れてきたこの歌を聴いて、不思議と涙が止まらなくなった。
歌を聴いていて、こんなにも歌詞を噛みしめたことはなかった。未だに信じられないことではあるが、2回目の時にはそらで歌詞を一言一句違わず歌えたほどだった。
 
生きるためには何かしら仕事をしてお金を稼がなければならない。僕と同じように、日々の仕事をこなすだけで精一杯な人たちもたくさんいるのだろう。

多少苦しいことがあっても、生活のために働く。もし真っ向から対峙して、逃げずに取り組んで、それでも潰されるのなら自分が弱かっただけのこと。
そんな風に思っていたが、それは仕事をしている理由が「自らの生活のため」だと考えていたからだ。
決して間違いではないのだろうが、仕事がシンドい時にその一点のみだと繁忙期の山に直面した場合、それを乗り越えようとするエネルギーが不足してしまうことだってある。僕の場合、当時の状況がまさにそうだった。
 
この仕事が誰かの役に立ったり、誰かを笑顔にしているかもしれない。そう思えば、たまには弱音を吐いたっていいじゃない。
この歌はそう言って、肩をポンポンと叩いて励ましてくれた。元気が出るまで、僕は何度も何度もこの歌を聴き続けた。

 
この歌と出会ってから僕が実践したことは、思考の視点をくるっと転換しただけだ。
まるで新鮮味のなくなった部屋のレイアウトを変えてみるかのような。非常に簡易な作業だった。
 
置かれている状況に何ら変更はないのに、「どこにまだそんな体力が!?」というような変身を遂げて、僕はある日から新しい気持ちで仕事に取り組むことができた。
なんと思われようがいい。すぐ怒鳴る上司に頭を下げて仕事を教えてもらうのも、進捗状況をチクチク指摘してくる先輩を笑顔でかわすのも、僕の人生のためだけじゃない。どこかで応援してくれている、僕を必要としてくれている誰かのためなんだろうと。
 
もはや、それは幻影のようなものなのかもしれない。
実際に同じような境遇の人や、愚痴を言い合ってストレスを発散できる仲間が近くにいれば、よりリアルに「みんなも耐えているのだから僕も頑張ろう!」と思っていただろう。
 
でも、この歌はそんなことを言っているでもなかった。
ただ、ずっとそばにいるよ。君にとってかけがえのないものになりたいんだ。
そのメッセージこそ、あの頃の僕の仕事観をアップデートしてくれたのだと思う。

 
その後もすったもんだはあったが無事にプロジェクトは終了し、過酷を極めた繁忙期もなんとか乗り越えることができた。
ご心配をおかけしたであろう体重も順調に回復して、むしろ「戻りすぎじゃね?」と思いながらお腹の肉をつまんでいた頃。「そうだ!記事にしてみよう」と考え、久しぶりにこの歌を聴いてみた。自然と口が歌詞をなぞっている。

うん。やっぱり、そらで歌えてるじゃん。
……おっと、どうか記憶力を褒めないでくださいね。こう見えて、普段は秒で色々なことを忘れる人間なんですよ。笑

この歌はそんな僕の心にも、ずっと居続けてくれる存在。
かけがえがないって、きっとこういうことをいうのだろう。

 
誰かにとっての必需品。
いつになるかは分からないけれど、僕も君にとって、そうなれたら嬉しい。単純明快で「今さら何を」と言われても、今はただただそう思う。
 
そして、この歌こそ、僕の人生における必需品。
生きるために、なくてはならない歌なのだ。


この記事が参加している募集

#思い出の曲

11,248件

皆さんから大事な大事なサポートをいただけた日にゃ、夜通し踊り狂ってしまいます🕺(冗談です。大切に文筆業に活かしたいと思います)