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新海誠監督作品『言の葉の庭』

寝食を忘れて取り組めることなんて僕には片手で数えるほどしかないが、新海誠監督作品を観ることは、僕の場合そのひとつに含まれる。まさに代えの利かない大切な時間だ。
 
新海作品については過去別記事に書いたことがあったが、今回は特に好きな作品、『言の葉の庭』を語りたい。そう思えたのは、今年も例に漏れず梅雨の訪れを感じたからだろうか。

 
物語の主軸は、靴職人を目指している高校生の孝雄と謎の女性・雪野の逢瀬。
孝雄には雨の降る午前中だけは授業をサボり、とある庭園のベンチで靴のデザインを考えて時間を過ごす習慣があった。

ある雨の日、孝雄がいつものベンチに行くと、朝からビールを呷る雪野に出会う。その日から二人のささやかな交流が始まる。やがて本格的に梅雨に入ると、雨が降る午前中だけ二人は心を通わせることになる。
孝雄は誰にも明かしていなかった靴職人になりたい夢を語り、ある理由から味覚障害を患う雪野は孝雄の作る弁当に味を感じるようになる。

雪野と仲を深めた孝雄は雪野の靴を作ることに決めるが、ちょうどその頃梅雨が明けてしまい、二人は会わなくなってしまう。しかし、二人は庭園とは違う意外な場所で再会し……といったストーリー。

 
本作のキャッチコピーは『“愛”よりも昔、“孤悲”のものがたり』。
聞き馴染みのない「孤悲」は、現代でいう「恋」とほとんど同義だが、万葉集の時代の人々は「恋」を「独りで思い詰めて、心が張り裂けそうなこと」(つまりは片思い)として捉えていたことから、「恋」を“孤独”に“悲しい”と書いて「孤悲」と表現していた。
 
こうした、観る前は意味深な雰囲気がするキャッチコピーも、鑑賞し終えた今なら腑に落ちる。
新海監督は元々、「愛に至る以前の、孤独に誰かを希求する物語」を描こうと構想していた。また、監督自身、「誰かとの愛も約束もなく、その手前で立ちすくんでいる個人を描きたい思いで作った」と述べている。そんな背景を知ると、公開当時、本作が新海作品初の「恋」の物語であることを前面に押し出してプロモーションしていたことも頷ける。
 
また、作中では「孤悲」以外にも万葉集の歌が登場する。
詳しくはぜひ自身の目でチェックしてみてほしいが、古典文学好きならニヤッとできる内容も多いはず。こうした日本文学との繋がりも、この作品ならではの個性になっている。

 
作中で印象的なのはこれだけではない。実に全体の8割ものシーンで雨が降っている。こんなに雨づくしの作品も中々ない。
現実では雨が降っていると嫌な気分になることの方が多いが、美麗な風景描写に定評のある新海ワールドに限っては、まさに最高のエッセンスといえるだろう。
 
そんな雨が降り続ける中紡がれる、孝雄と雪野の二人だけの物語。
僕たちが想像する「恋愛」とは一味も二味も違う「孤悲」の物語は、たとえ結末を知っていたとしても、梅雨の時期がやってくるたび観返したくなってしまう。
今年で公開から11年目を迎えるが、その輝きは衰えることなく、観る者の心に美しい雨を降らせてくれる。まさにこの時期にふさわしい一本だ。


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