高橋海斗

知床移住。旅のように生きる。 https://instagram.com/kaito_…

高橋海斗

知床移住。旅のように生きる。 https://instagram.com/kaito_takahashi_

最近の記事

ヒグマ。その一瞬。

 昨年の秋、僕は、ヒグマを追い続けていた。知床に移住して3年半、ようやく彼らと真剣に向き合う決心がついたような気がする。ウェダーを履き、10kgほどの機材を背負い、ベアスプレーを2本持ち、森の獣道を辿る。土を踏みしめてゆくことで、改めて彼らをとりまく環境の豊かさを実感する。川にはマスたちが泳ぎまわり、ミズナラには青いドングリがなっている。苔むした岩と、何本もの巨木は、美しい景観を生み、その上空をオジロワシが羽ばたいてゆく。そんな光景を眺めていると、まるで太古の森に迷い混んだよ

    • 21歳になりました。

      21歳になりました。 知床に移住して2年と数ヶ月、相変わらず、ここでの生活を楽しんでいます。そろそろ海外に放浪の旅か、移住を考えていたのですが、コロナで難しくなってしまいました。 色々と激動の世の中ではありますが、いつもと変わらない表情をみせ、着実に季節の歩みを進めていゆく自然には、心癒されるものがあります。 キタキツネやフクロウなどの動物たちは、春から初夏にかけての子育てを無事終えて、少しずつ分散していっています。 昨日は、気温が30℃まで上がり、知床にも短

      • 霧に誘われて。斜里。

        • 真夜中の原生林を歩く。

           「真夜中の原生林を歩く」  晴れた夜空に沢山の星が輝いていた。今夜は、写真を撮りに行こうと思った。  前々から撮りたい場所があった。  とても景観が良い所なのだが、車を置ける場所から、2kmほど、原生林を抜けていかなければならない。  昼間、歩く分には、どうってことないが、暗い時には、やはり緊張する。  気温は-10℃。この時期の知床にしては冷え混んでいる。  防寒を着込み、カメラと三脚を担ぎ、スノシューを履き、ヘッドライトライトをつけ、歩き始めた。  暗闇と

        ヒグマ。その一瞬。

          日本画家・千住博先生に会いにいった話

           早くも2019年が終わろうとしていますね。 皆様は、どんな一年を過ごされたでしょうか。 これから、僕の2019年一番の思い出を書いていこうと思います。  突然ですが、皆様は、千住博という方を知っていますか? 東洋人で初めてヴェネツィア・ビエンナーレ絵画部門の名誉賞を受賞した現代を代表する日本画家です。 一枚の絵が数千万円で取引されるような雲の上の存在です。 現在も世界遺産のお寺に襖絵を奉納したり、大学教授を務めたりと、精力的に活動されています。  僕が、初めて

          日本画家・千住博先生に会いにいった話

          20歳になりました。

          20歳になりました。 不思議なもので、これぐらいの年になると自分の程度がわかるようになってきます。 10代の頃は、無我夢中でやっていれば、何者にもなれる、いつかはたどり着けるだろうと漠然と思っていた。 でも、人生はそうじゃない。 人には、もって生まれてきた「才能」や、積み重ねてきた「時間」がある。 努力をしたからといって、皆が報われる訳ではないし、才能があるからといって、かならず成功するわけでもない。 何かを成すには、ただ、それをやり続けるしかない。 長い時間が

          20歳になりました。

          キタキツネを轢いた。

          これを載せるべきか迷った。 自分が犯してしまったこと。それを出すべきなのか。でも、内に抱えたまま生きるのは、違う気もする。そのうち消すかもしれない。 この文章は、僕の日記からです。混沌のなかで書いたものなので、見苦しいかも知れません。 ◾ キツネを轢いた。 斜里からウトロに向かう道で。 「写真をどうやって社会に出していこうか、どうやって売るべきか」 そんなことを考えながら、時速70km弱ほどで走っていた。 確かに、少し気の緩みはあったかもしれない。 でも、そ

          キタキツネを轢いた。

          クマを撮るということ。

          2018年11月8日。 ある一頭のヒグマが死んだ。 捕殺だ。 このクマは母親だった。 今年生まれの小さな子熊をつれていた。 子熊は捕殺されなかった。 だが、あの小さな命が、たったひとりで知床の厳しい冬を越すことはできないだろう。 誰が、この命を死に追いやったのか。 それは、決して一人の人間が悪いわけではない。 多くの人々の興味や欲、エゴや無知、 そんな物が複雑に入り交じり、こういう結果を生んでしまったのだろう。 人を怖がらなくなったヒグマは、駆除されてし

          クマを撮るということ。