見出し画像

産業ロックは本当にロックの黒歴史だったのか?

10月にジャーニーのライブへ参戦予定だが、そのジャーニーについてふと思い出したことがある。
彼らは1981年に出したアルバム、「エスケイプ」が爆発的に売れ出した頃、商業ロックと言われだした。
日本ではとある評論家が商業的なロックを蔑めた意味合いで発した言葉だったように思う。
それは裏を返せばロックという音楽は売れ線に走ってばならない、聴衆に迎合してはならない、金目当ての音楽を作ってはならない。
そんな意味合いが込められていた、

ジャーニー〜オープン・アームズ
ジャーニーを代表するパワーバラード。
マライヤ・キャリーのカバーも大ヒット。


なぜそんな発言が物議を醸し出したのか?
それはロックが生まれてきた歴史と関係性があるのだろう。
60年代半ばからニューロックというムーブメントが起きて、ロックは若者を代表する反体制的な音楽として急激な発展を遂げる。

シカゴ〜素直になれなくて
老舗のブラスロックバンド。初期は政治的なメッセージを歌う反体制路線だったが、80年代にラブバラードで大ブレイク。現在も継続して活動中。


そして70年代に入り、多種多様なジャンルを生み出し成熟する。
しかしそれは若い世代からロックの本質を逸らすとして、パンク・ニューウェイブという反体制視点で旧世代へのアンチテーゼを起こす。
そして80年代、それすら飲みこんでしまったロック界は巨大な音楽産業となる。

ボストン
理工系ギタリスト、トム・ショルツが生み出したプログレ・ハードロックバンド。ジャーニーの持つスペイシーなサウンドと共通するものがある。


巨大なホールや派手なパフォーマンスに繰り返される映像、大衆受けするメロディーが圧倒的に作られ、業界は最長点に達する。
海外では産業ロックをスタジアム・ロックと呼ぶそうだが、その名の通りスタジアム級の大会場で観客を集めるライブが主流で一斉を風靡した。

ボンジョビ〜リビン・オン・ア・プライヤー
80年代を代表する全米のハードロックバンド。
スタジアムでのステージや視覚的要素を高めたスーパーバンド。


私的にはこの時代に不遇を感じるのはベテラン勢のバンドやアーティストが売れ線に走ってしまったことだ。
特にプログレッシブ・ロックのバンドがポップなメロディーを奏でる曲は全滅感を感じてしまった。

イエス〜ロンリーハート
それまでの曲風を180度転換させたポップなメロディー。イエス史上最高に売れたシングルヒット。


バンドやアーティストも音楽が売れなくては、生活していけない‥プログレというジャンルが最も変わったのがこの80年代であった。

ジェネシス〜インジブル・タッチ
ジェネシスが最も売れた時代であるが、現在では70年代に発表された作品の評価が高い。

果たして産業ロックは本当にロックの黒歴史だったのか?
続いての90年代はこの反動なのか、華やかなポップなメロディーが消え、インディーズを基盤としたグランジ・ロックが立ち上がる。
反体制ではあるが、パンクとは違い、往年のロックもリスペクトしていたことで趣きは違っていた。
これ以降ロックは若者のメジャーな音楽ではなくなっていく。
そして現在ロックの歴史を築いてきたアーティストの大半は既に鬼籍に入っているか引退している。
それなりに今世紀にも新しいアーティストは出てきてはいるが、ロックという音楽の特別な時代はもう終わったのかもしれない。

しかし今も音楽活動を続けているビッグアーティストの多くはスタジアム級クラスの会場でライブをやっている。
それぐらいのキャパでないと観客を収容出来ないし、採算も取れない。
今はネット環境が進み、誰もが音楽を簡単に入手出来る時代、アーティスト達にとってライブは貴重な収入源なのだ。

ローリング・ストーンズ〜ミス・ユー〜ギミー・シェルター
最長で最強の未だ現在進行形のロック・バンド。しかしそのルーツにあるのはブルースとロックンロール。

そう考えると80年代は産業だったかもしれないが、今はアーティストの生きる手段になったといえないだろうか?
ロックは試行錯誤しながら発展した音楽とするならば、黒歴史ではなく白歴史だと思うのである。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?