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古い家を住み継ぐ

築100年以上の古民家では、何度も小さな手入れが繰り返されている。そんな立派な古い家を所有している家主も、管理をしたくてもできない状況に悩んでいることもある。どうしようもできずに、大切な家を壊す、朽ち果てるのを待つ、という方法を選ばないといけないこともあるだろう。家主の想いを受け止め、今の暮らしに合うように手を加えながら、古い家に魅力を感じ住み継いでいる人たちがいる。古い家を住み継ぐとは、ただ家に住むというだけではなく、そこで営まれてきた生活や文化を引き継ぐことではないだろうか。




 南市原の内田地区に明治時代からある大きな古民家に二十代のご夫婦が移住した。旦那さんの小林和史さんは市内の設計事務所kurosawa kawara-tenに勤め、奥さんの小林恭子さんはフリーランスとしてさまざな活動をしている。片付けから修繕まで自分たちで手を動かすことが多かった小林夫妻に、古民家での暮らしについてお話を伺った。


市原市との出会い

開宅舎小深山(以下開と示す):和史さんが市原市と関わったのは、kurosawa kawara-tenのアルバイトスタッフをしたのがきっかけだったと聞いたのですが、いつくらいだったんですか?

小林和史さん(以下和と示す):ぼくが大学院の修士一年生の時だったので二〇一五年でしたね。西千葉のコーヒー屋さんの内装工事のプロジェクトで社長の黒澤に会い、そこからkurosawa kawara-tenでインターンさせてもらい、アルバイトスタッフになりました。養老渓谷に遊びに来たり市原市に来たりしたことはありましたが、どんなところなのか深くは知らなかったので、よく来るようになったのはアルバイトががきっかけですね。

開:その時の市原市の印象って覚えてますか?

和:僕は実家が佐倉市なので、正直あまり変わらないな〜というのが印象でした。すごい田舎とも思わなかったし、すごい都会とも思わなかったですね。千葉県でよくある風景だなって思ってました。僕は大学の研究室の活動で、館山の茅葺きの古民家を扱ったり、釣りが好きで内房や外房など千葉県のいろんなところに行ったりしていたので、そこまで衝撃はなかったです。

小林恭子さん(以下恭と示す):和史さんが市原市で活動してるのは話で聞いてるだけで、当時私は市原市には来てませんでした。なので、今回の移住が市原市に関わるようになったきっかけです。

和:ぼくも恭子さんも大学院を卒業したあと、都内の会社に就職しました。カワラテン(スタッフたちはkurosawa kawara-tenのことをカワラテンと呼んでいる)で拡張設計という集まりが定期的にあったので、アルバイトを辞めてからも何度も遊びに来ていたんです。

開:そうだったんですね。転職と移住のきっかけはなんだったんですか?

和:やっぱりコロナが大きかったですね。その時は西船橋に住んでたんですけど、会社の仕事がリモートワークになったので、市原のカワラテンの事務所で仕事できないかなと思ったんです。黒澤に相談したら事務所も車も使っていいよって言ってくれて。何度かこっちに来ているうちに、居心地がよくなっちゃったんです。カワラテンもスタッフが増えていて、楽しくなってきてるのが伝わってきていたので、ここで戻らないとタイミングを逃してしまう気もしました。それで住む家も欲しいって黒澤に相談したんです。団地じゃなくて古民家に住みたいって生意気にもわがまま言わせてもらいました(笑)


開:アルバイトスタッフを辞めてからも集まりや仕事場として関わっていたんですね。市原へ移住したいって言われたとき、恭子さんはどう思ったんですか?

恭:実はそのとき、わたしは会社の仕事を頑張りすぎちゃってて、けっこうしんどい時期だったんです。帰るのもいつも夜遅くて、ご飯もコンビニ弁当ばっかりで。そこで市原に行くって話があって、環境を変えるきっかけができてちょっと嬉しかったです(笑)

開:なるほど。田舎への移住に抵抗などはあまりなかったんですか?

恭:市原は東京にも出れないわけではないし、元々、都会に住みたいわけではなかったのでそこまで抵抗はなかったです。運転をあまりしたことがなかったので、自信はなかったですが、行っちゃえばなんとかなるかなって。転職も移住も勇気がいる決断でしたが、結婚もしたし、自分ひとりでは行かない方向に行ってみるのもいいかなって思いました。

開:とても大きな決断だったんですね。

和:実際ぼくらは、仕事や住まい探しを手伝ってくれる人たちがいたので、最初に飛び込むハードルがとても低かったんですよね。実は移住を決めて工事をはじめてからの方がいろいろ大変でした。

古民家と空き家

和:二〇二一年の秋に大家さんを紹介していただいて、冬に片付けをスタートしました。ほんとは三月からこっちに住み始める予定だったんですけど、なかなかうまく片付けが進まなくて。実際ちゃんと住めるようになったのは今年の六月でした。

開:古民家って片付けてみて、ここも修繕しなきゃとか、これもしなきゃあれもしなきゃって出てきてしまいますよね。

和:頭を悩ませたのが、アライグマ、ネズミ、ノミでしたね。工事で床や壁を解体してからアライグマが住みついてしまって家の中は足跡だらけだったんです。ネズミの足跡や足音、ものがかじられた形跡など、予想外のダメージでした。

恭:カーペットにノミも発生してしまって、ふたりとも足を大量に刺されてしまって、痒くて夜眠れなかったんです。

和:一番落ち込んだかもしれない。

恭:よく田舎で虫が〜とか言いますけど、ゴキブリとか蜘蛛を想像していたので、古民家暮らしは甘くないっていうのがよくわかりました。

和:この古民家は増築した部分もありますけど、明治時代からある古民家なんです。茅葺きの古民家なので、田舎の家が全部こんなにハードモードってわけではないと思いますけど、すごい大変でした(笑)


開:思ったよりもすごいエピソードがあってびっくりでした。いろんな経験をしたと思うんですが、おふたりとも建築学科を卒業しているということで、あらためて空き家や古民家についてお話を聞かせて欲しいです。

和:ぼくは古民家のノスタルジックな良さだけではなく、昔の人が家を増築したり改築したりしながら住んできたことに魅力を感じています。昔の家のつくりは梁、柱って簡単に直せるような構造でできてるんです。昔の人が住み継いできたように、ぼくたちも自分たちが住みやすいようにいじって、また次の人に使ってもらえるようにできたらいいなと思ってます。今新しく建てられる家は本当に建てて終わりなので、いじりがいや直しがいのある古民家がいいなと思ってます。実際に、ここの古民家の改修の設計は自分たちでしたので、今まで住んだどの家よりも愛着がありますよね。嫌いになれないです。カワラテンのみんなにも片付けや改修を手伝っていただいてとても感謝しています。

恭:この古民家の大家さんとお話したときに、大家さんは本当にこの古民家を手放していいのか悩んでいらっしゃったんですよね。「私にとってはすごい大事なことなんです」っておっしゃっていて。ずっと住み続けてきた家を想う気持ちを考えると、壊したり朽ち果てるよりは、誰かが受け継いでいくことで、大家さんの気持ちも少しは救われるんじゃないかなって思いました。どんどん新しいものを作って使っていく消費社会ですけど、使えるものは使っていくって考えは大事にしたいと思っています。

ライフスタイルの変化

開:古民家に移住してご近所付き合いや個人の生活など、おふたりのライフスタイルにどんな変化があったかお聞きしたいです。

和:町会には入っていて、ちょうど来週町会の草刈りと祭礼があるので、全員に挨拶ができるんです。

開:それはいいですね。

和:町会とか部落の付き合いが大変でって話をよく聞きますが、コ

ロナの影響で町会での集まりも減ってるって聞いたので、変わってきてるんだなって思います。町会への加入も強制はしないよって言ってくれました。昔だったら入らないなんてありえないって感じだったかもしれないですが。今度町会の皆さんにご挨拶できる機会があってよかったです。

開:移住しようとしている人も受け入れる地域も、町会とか人付き合いの部分は皆さん気にしてますね。

恭:他にも近くのカフェのお母さんや、内田未来楽校の代表のお父さんなど、地域の人とも繋がれて色々面倒をみてもらってます。ノミに刺されたときはこれがいいってアドバイスいただきました(笑)

和:大学の研究室も、建築学科でしたがまちづくりの分野でもあったので、地域の活動に参加することはそんなに特別なことじゃなかったんですよね。むしろせっかくこういう地域に住んでいるので、参加していきたいと思ってます。

恭:私は会社員からフリーランスになったんですけど、自分に合う働き方を自分で選べるところがいいなって思ってます。以前メーカーに勤めていたんですけど、自分が作ったものをお客さんに届けるところまで見れなかったんですよね。人が喜んでいる姿を見れることに自分はやりがいを感じると気づいたので、今開宅舎に関わらせていただいて地域の人とやりとりしたり、地域を盛り上げるサポートができるのがとても楽しいなって感じています。

和:自分の時間を自分でコントロールできるっていうのが、フリーランスの強みですよね。恭子さんはたまに東京の仕事に行ってそのまま東京で遊んできたりしてます。ぼくより市原ライフを満喫してますね(笑)

開:ここだと鶴舞バスターミナルからすぐに行けちゃいますもんね。

恭:たまに東京のビル群を見てすごいな〜って感じて、こっちに帰ってきて落ち着くのがいいのかなって思ってます。東京との距離感もちょうどいいですよね。

開:市原市に住んでいる女性の理想のライフスタイルかもしれない(笑)

和:僕は設計事務所っていう一つの仕事しかしてないですけど、都内で働いていた頃は残業ばっかりで終電帰りもよくありました。今も同じ業種ですけど、若い人が多くて職場の雰囲気もいいし、何より家と職場の距離が近いのはいいなって思いますね。南房総や外房の方まで車で一時間くらいで行けちゃうので、家のことがもう少し落ち着いたら、千葉の自然をもっと楽しみたいなとは思ってます。都内で働いていたときも、遊びに行ったり買い物したりはしてたんですけど、ものを消費することで終わってたので、こうやって繋がりを感じることはなかったですね。

恭:今は内田未来農園にも関わらせてもらっていて、ありがたいことに野菜ももらえたりするので、それがとても嬉しいです。まだ家のキッチンができていなくて、カワラテンで料理させてもらっているので、早くキッチンを完成させたいなって思ってます。




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