読書の記憶

『房思琪の初恋の楽園』林奕含(白水社)

なんとも皮肉な、いや、皮肉?もっと、もっと辛辣ななにかに満ちているタイトル。その言葉を知らないことがもどかしい。

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「これは実話をもとにした小説である」に始まり、作者の死で締めくくられた小説。
少なくとも、そのような受け止め方がこの作品を押し上げているはずだ。
新聞で書評を目にして、強烈に、読みたい!と思った。同時に、読みたくない!と思った。スキャンダルのにおいが強すぎて、まっさらで読めるのか疑わしかったから。

作者はこれを
「誘惑された、あるいは強姦された女の子」の物語ではなく「強姦犯を愛した女の子」の物語
だと言った。
その真意はわからん。ぜーんぜんわからん。
わからんけどでも、作者の言う『愛』に乗っかったのではないかと思われる、帯のコピーには納得できない。いわゆる愛のかたちのひとつとしての愛と思えないもの。
小説で描かれているのは、べつに、世界の裏側じゃない。それを『裏側』といってしまうのは、自分は『表側』にいると信じて疑いもしない傲慢でしょう。

わたしたちは、そう簡単にヒーローになれるものじゃない。
ひどい目に合ってる人間がいることを知ったからって何?自分と同じ思いをしている人間の存在を知ったからって何?
それはあなたの苦しみ。これはわたしの苦しみ。
交わることはない。

絶望の中の希望。そんなものなかったよ。見つけられなかった。
ひとことで言うなら、先のない小説、だ。
登場人物の誰にも先がない。ある者は失敗して、ある者は足枷を嵌められて、ある者は自ら望んで、ある者はそうとは気づかずに、先がない。進めない。進まない。
読み取れたのは怒りだけ。無気力な怒り。
小説中で怒りをあらわさない人物は、背景と同じだ。

思琪たちには、自分を愛してほしい。自分を護るための愛じゃなくて、もっとちゃんと、ストレートに自分を愛してほしい。
伊紋たちは根っこの部分でわかってる。きっとまた歩いて行ける。
怡婷たちには、それでいいんだよって言いたい。

書きあらわされた暴力に目がいきがちなのだけれど、絢爛たる引用や比喩によってほのめかされる「彼女たち」の心をこそ噛みしめたい作品だった。

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