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『ヴェイユの言葉』シモーヌ・ヴェイユ/冨原眞弓(みすず書房)

自分の頭と言葉で考えるために。
自分の頭と言葉で考える、そのために。この数年・数か月・数日、我を悶々とさせ世相を混乱させる問題をあざやかに両断する断片がたくさん。おお!おお!と膝を打ち頁を繰る。

支配と権勢と狂信の相対性とか、悪に悪で対抗する愚かさとか。おお!おお!
人に読ませるためでなく、自分の覚書として書かれたものが多いこともあり、決してするするわかりやすい内容とは言えないけれど。

キーワードを拾うとすれば、存在、不幸、悪、善、あたりか。
キリスト教的価値観・宗教観からスタートしている、というかベースにそれがある。ヴェイユの根っこにそれがあるのと同じように、たぶん、わたしの根っこには日本のごったまぜ神様価値観・宗教観があって、どうしてもうまく呑み込めないところが多々あった。自然観もかなり違う。
日本で宗教っていうと一般に、オカルトやスピリチュアルの範疇にあるもの、あるいは政治の具という受け止められ方をしているなと感じるけれど、本来は宗教=哲学だよなーという認識を強くした。
宗教の顔で考えるときは「いかに生きるか」を外に求め、哲学の顔で考えるときは内に求めてるんじゃないでしょうか。

「いかに生きるか」を考えていると、べきべからず論に到達するわけだけれど、それはただひたすら自分への戒めと指針のためのみに。
人にむかって言うことではないですね。

筆者・ヴェイユの経歴も非常に興味深い。周りからしたら「相当な変わり者」だったろうな。
インテリ層なのに、自分の思索を深めるため(フィールドワークのような)に単純労働の工場で働く、とは?正直言って煙たがられるでしょう、そんなひと。
生きづらくはなかったのか。いや、生きづらいからこそこんな断片残したんじゃないかと思う。まああとはそう。彼女の生きた時代のせいでもあろうか。

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