岡山の来訪神⑤
今回は持ち物の交換を終えた後の行動について見る。
来訪者の禁忌
来訪者には禁忌があった。それらの禁忌を犯すと厄を落とせない、病気にかかるなどと言われていた。
橋を渡ってはならない
異界との結節点たる橋を避けることで厄がつかないようにしていると考えられる。
備中町長谷の例。こちらも厄年の者は橋を渡ってはならないという禁忌であった。
姿を見られてはならない
美星町宇戸地区の例。姿を見られてはならない、声を出さないというのは神として訪問しているため誰が来たかを隠すためだろう。そのために簑や笠をかぶって変装をし、家人が藁馬を取り込む間物蔭に隠れている。顔を見られてはならないというところもあった。
また、物音をたてて気付かせるというのは、声を出してはならないことの裏返しである。
持ち物の交換後に家人がすること
貰ったものを年神に供える
久米郡久米町宮部の例。前回も書いたように家人によって取り込まれた持ち物はその後、年神や土公神に供えられる。供える行為は広くみられたものと思われる。
訪問者に水をかける
大佐町田治部畑の例。訪問者に対して水をかけるという行為の事例も多い。水をかけられまいと訪問者側が頑張ってよけるのが楽しかったという事例もある。
水をかけられると運が悪いとあるが、逆に水を厄落としのために水をかけてもらう例も存在している。
湯原町本庄の例。
他に、井原市平井字西平井では訪問者がものを言うと水をぶっかけていた。これは「ゴリゴリ」と物を言うとヒヤケ(旱魃)がすると言って嫌ったからであった。
来訪者が貰ったものの行方
餅を食べる
餅など貰ったものを食べるときは一人で食べる場合もあれば、訪問者が集まって一緒に食べる場合もあるようだ。
新庄村の例。疱瘡神をサンダワラと呼ばれる俵の両端に詰める円座上のものの上に柴をたてて祀っている。サンダワラに疱瘡神や狐を祀って村の外まで送るという事が行われていたところもあった。正月にこれを祀るのは年神と共によからぬ神もやってくると考えられていたからだろう。
粥を食べる
福渡町和田南の例。もらった粥を食べることが健康につながるというが、これも厄落としの一種だろう。
鴨方町本庄のカユモライの例。茅の箸というのはこの時期に茅などで箸を作る習俗がこの地域にあるためである。
四ツ辻ですること
阿哲郡哲西町(現新見市)の例。川上郡備中町西山地区目尾でも同じことを厄払いとして行う。四ツ辻という此界と他界の境の場所に、厄の媒体として豆を落とす。後を見ないとは捨てた厄とは決別する意味だろう。
四ツ辻に豆などを捨てる厄払いは節分でも多く見られる行為である。
新見市矢神の例。四ツ辻ではなく三叉路に捨てている。
これらの例は来訪者の厄払いに重点が置かれているように思われる。
勝山町(現真庭市)上の例。四ツ辻での食事が健康につながるとしている。これももとは四ツ辻に小豆粥を捨てていた可能性がある。
いつまで行われていたか
今まで見て来たコトコト行事は現在は全くと言っていいほど見ることができない。行われなくなった理由は様々だが、その多くは大正ごろに消えたとされている。
例えば鴨方町ではカユモライとゴリゴリの二つの行事があったが、カユモライは昭和24年ごろまで、ゴリゴリは大正の初めまでであった。(鴨方町史)
井原市今立でも大正初め頃までであった。(岡山県の正月行事)
次回は岡山県外の事例を紹介します。