岡山の来訪神③
今回は前回に続いて、来訪者の身分と厄払いについて例をみていく。
来訪者の身分
この行事で来訪神の役をし、訪問して餅などをもらう来訪者はどのような身分のどんな年齢の人が対象なのだろうか。
子供
浅口郡里庄町の例である。
また、井原市平井字西平井ではみの笠をかぶった子供が三人組で来ることが多かったという。(岡山県の正月行事)
青年
久米郡中央町(現久米郡美咲町)大垪和地区での聞き取りによる。
厄年の者
備中町田原(現高梁市備中町東油野)の例と、湯原町本庄(現真庭市本庄)の例である。
この行事が厄年の人を対象にしたものであるという場所はかなりある。それぞれに厄を落とすためにすべきことや禁忌が付随している。
茅見(新庄村)と新見市矢神(新見市哲西町矢田)の例である。ここでは水をかけてもらう、貰ったものを三叉路に捨てる、三軒を歩き廻らなければならないというものを紹介したが他にもいくつかある。これは後程紹介する。
厄年の者(依頼人)
真庭郡勝山町上(現真庭市上)の例である。
近くの村から
近くの村からやって来る人はどうやら本職であったらしく、ほかい人に近い位置づけとなっている。もしかしたら前項の厄年の人が依頼するのもこのような本職の人だであったかもしれない。
近くの村から本職の人が来ていても、村内で子供、若衆、厄年の者もホトホトをしていたようである。
穏亡など
笠岡市吉田字大ノ平の子供が来訪者をしていたゴリゴリの例である。
火葬場・墓地の管理をしていた穏亡は賤民視されており、前項のほかい人や旅芸人、民間の陰陽師などと同じように近世の身分社会では下位の階級におかれていた。
来訪者は貧しい人なのか
前回、『美星町誌 通説史』より、ゴリゴリがこどもの行事なのに対し、トラヘイは貧しい人たちの物乞いであると考えているところがあると紹介した。その続きの文章には
とある。
備中町でのアンケートでも同じようにトロヘイに出かけるのは「貧しい家庭の大人が多かったという見方をする人もいる。」(『岡山県の正月行事』)とあり、近くの村から来る来訪者は貧しい人であったと考えられる。
餅の代わりに持って行く藁馬などを用意できなかった場合もあったようである。
ただし、ここで注意すべきは、貧しい人が来訪者となる地域があった一方で、来訪者が必ずしも貧しい人や賤民視されていた人々だとは限らないということである。
来訪者の身分の移り変わり
前回の例などを見ていると、来訪者が子供であることが多くある。ではこのコトコトはもとから子供の行事として行われてきたものなのだろうか。実際にはそうではないようである。
高梁市備中町平川、井原市美星町三山の事例である。
子供が来訪者として参加するようになるにつれ、大人の行事であったものが次第に子供の遊びへと変わっていったようだ。大人の管理下の行事であった頃は簑笠で変装していたのが、子供の遊びへと変わったことで子供が自ら仮面を作ったりなどして趣向を凝らすようになった。そして、来訪者に水をかけるという行為が行事を楽しいものへと変えた地区もある。
来訪される側の家
多くの場合は村中の家を来訪していたようだが、厄年の者(依頼人)のように、実家に行くなど特定の家に行く、特定の家では○○をするなどが決まっていた事例もある。
厄年の者の家
井原市美星町宇戸地区での事例。厄年の人が赴くのではなく、厄年の人に赴く場合に持ち物に指定がある場合がある。
新見市千屋字花見では33,42,61才の厄年の家へは簑笠を着ていき、「牛綱・モガタ・セナアテ:薪などを背負うときに背中を守る藁製のもの・草履・宝船」を「ハリコ(ソウキ:ボウル型のざる・カンパチ)」に入れていったという。
祝われる家
前回事例を見た文句から、この行事を祝い事だと考えている地域があったことはわかったが、他に祝い事があると尚の事おめでたい。
祝ってくれない家
トラヘイを祝ってもらいに行ったのに餅を貰えない場合も存在した。
高梁市備中町布賀での事例である。ここでは主に子供の行事であった。
次回は来訪者が持って行くものとそれを入れる容器について見ます!