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【備前片上駅→伊部駅を歩く】#1

行程、所要時間など

備前片上からスタート

 普段は播磨国、但馬国ばかり歩いている私が今回は備前国を歩きました。
 備前片上駅から歩き始め、主に旧西國街道沿いの寺社仏閣や信仰、遺跡に立ち寄りながら伊部駅を目指す行程です。直線距離で3.6kmほど、道の曲がり具合を考えると1里(約3.9km)は超えていそうです。
 11時45分ごろに備前片上駅を出発し、伊部駅に到着したのは16時ちょうどごろでした。ほぼ4時間でそこまで長い旅路ではありませんでしたが、播磨や但馬地域とは違った信仰のかたちなどの文化の違いであったり特産品である備前焼についてなど得られるものはかなり多くありました。
 これから7から8回ほどにわけてその内容を考察と共に紹介していきます。

①荒神社1

備前片上駅

JR赤穂線備前片上駅

 赤穂線で備前片上駅にやってきました。無人駅でしたが、ICOCAに対応していました。一つ目の目標である荒神社に向かって歩いていきます。

荒神社1

 このあとでもう一つ同じ東片上地区の荒神社に詣でるのでここでは荒神社1とします。
 草がそれなりに茂ったところを漕ぎ分けて進むと、雑木林の中に地図の一番右の緑★がついた場所に社が現れました。

荒神社

 あまり手入れされている様子はなく、草が伸び放題でした。
 荒神社は文字通り「荒神のやしろ」です。荒神には二種類、屋内の竈に祀る三宝荒神と、屋外に祀る地荒神があります。これは地荒神のタイプで、瀬戸内地域はこの地荒神の信仰がとても盛んで、荒神社を多く確認できます。多くは森の中や大樹の下などにあります。今回は小さな用水路沿いの森の中に、川の流れる方向、南向きに置かれていました。

祠?

 そして荒神の脇にはおおよそ播磨地域では見ないような小さな社と言うよりは祠というべきものが置かれていました。奥に黒いことからおそらく瓦で作られ正面に丸穴が開いたものが3つ、手前に木の板で作った方屋根のものが2つ置かれていました。奥の黒いものはこれから何度か登場します。
 祠の材質や数、形などに意味はあるのでしょうか。

②地神塔

 荒神社から備前片上駅の前まで戻って、そこから富田松山城跡の案内に従って南にまっすぐ向かうと川が現れます。そこを右に曲がったところに地神塔はありました。

なんか強そう。

 この地神塔は五角形の石柱に天照太神を正面として、左から大己貴命、少名彦命、倉稲魂命、埴安媛命が刻まれているものでした。見たところかなり新しい様です。
 地神塔は瀬戸内では岡山や香川に多く見られ、播磨では一つも見たことがありません。性格としては屋敷神、土地神が近いです。五角形のものの他に自然石に「地神」の文字を刻んだものも見られます。

③荒神社2

 地神塔からすこし戻ったところに西側、小山の麓に鳥居が見えます。これも荒神社です。

鳥居

注連縄のかけられた荒神社鳥居

 階段を数段上った先に鳥居が見えます。ここでもいままで見てきたものとの違いが見られました。私が見てきた鳥居はみな奉献年月や奉献者名は鳥居の裏側、社のある方に、表側、外の方には左右分けて「奉」「獻」などと刻んでありました。しかしこれは表側に年月名前を彫ってあります。ここだけがそうなっているのでしょうか、表裏を間違えたのでしょうか。これはこの後いくつか神社を回るうちにある程度メジャーだったことがわかりました。

鳥居左側

 鳥居左側には「文政六年癸未三月建立之」とあります。文政六年は1824年です。「建立」に「之」が続いているのも気になる部分です。

鳥居右側

 鳥居右側には少し読みにくいですが「奉寄進鳥居一基辨天講中」とあります。荒神社なのに弁天講?と少し不思議ですが、ここは実際は弁天を祀っているのかもしれません。備前市の宗教法人一覧に登録されていないので断定はできませんが。

本社

 鳥居の先のスロープを登り切った先に小さな本社が屋根の下に南向きで置かれていました。正面の木の板にお賽銭が並べられています。

かわちい

 本社の西側に東向きで小さな祠が3つ置かれていました。先の荒神社で見たような黒っぽいものでこちらは丸ではなく四角でした。先と同じ3つというところから、三柱一緒に祀られるような神でしょう。そこで、住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)や、造化三神などではないかとも考えましたが、個人的に一番高い可能性のものとしては五穀守護の稚産霊神、倉稲魂神、保食神だと思っています。
 
 ※こちらの正体は#3にて判明しました

次回

#2では
・備前市歴史民俗資料館
・天神宮
を紹介しています!
https://note.com/kaiser_q4/n/n6f154ee4ca9b

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