見出し画像

【備前片上駅→伊部駅を歩く】#2

今回の行程

全行程

全行程地図

 普段は播磨国、但馬国ばかり歩いている私が今回は備前国を歩きました。
 備前片上駅から歩き始め、主に旧西國街道沿いの寺社仏閣や信仰、遺跡に立ち寄りながら伊部駅を目指す行程です。直線距離で3.6kmほど、道の曲がり具合を考えると1里(約3.9km)は超えていそうです。
 11時45分ごろに備前片上駅を出発し、伊部駅に到着したのは16時ちょうどごろでした。ほぼ4時間でそこまで長い旅路ではありませんでしたが、播磨や但馬地域とは違った信仰のかたちなどの文化の違いであったり特産品である備前焼についてなど得られるものはかなり多くありました。
 それを7から8回ほどにわけて内容を考察と共に紹介していきます。

今回の行程


今回の行程

 今回紹介するのは前回の荒神社の続き

  • 備前市歴史民俗資料館

  • 天神宮

を紹介します。
 前回はこちらから。

④備前市歴史民俗資料館

拴徳碑

資料館の前の法務局前交差点の南側の道路わきにこの碑はあります。

拴徳碑

元大淵里道狭隘而屈曲交通不便明治丁未
之歳里民議改修之恐其費多而不能起工因
謀之於三村剛氏氏乃大賛之直出私金数百
円以資之於是里民勇躍起工其翌年終成矣
爾後坦平如砥里民大喜得交通之便皆頌氏
之徳不止因定議以今茲明治庚戌歳建一石
勤其概以図之不朽焉三村氏里中之豪而多
年従事於教育夙以篤志著育 水利有終撰
建設者大淵上村一同

 大淵里道が狭くて不便だったため明治40年(1907年)に里民が改修しようとしたが資金が足りず困っていたところに、三村剛氏が数百円(現在の数百万円)を寄付してくれたので、翌年に改修が完成した。その功を伝えるために明治43年(1910年)に大淵上村民によって建てられた頌徳碑のようです。
 大淵里道というのはこの碑のある道のことでしょうか?

https://mapwarper.h-gis.jp/maps/735

 大正14年の地図を確認すると大淵とあり、旧二号線に村から道路が伸びています。まさしくこれです。つまり、大淵と旧二号線を繋ぐ道路が大淵里道なのでした。
 ちなみに前回の地神塔のあった場所の横を流れていた川は大淵川です。

資料館前の石造物

 いよいよ資料館にやってきましたが、その前に資料館前にある石造物を紹介しておきます。

五輪石

 この五輪石は一番上が白くなっています。これは説明板によれば、明治5年(1872年)に片上湾を測量しに来たフランス人によって、測量の基準としてつけられた白いペンキだということです。当時は富田松山の麓にありました。

草で少し見えにくいですが、嘉永四年辛㐪(かのとい)八月吉日と刻まれています。側面を見ればこれが何かわかる可能性が高いですが、未確認です。道標か石階段の脇石のように見えます。

田原井堰の石

 説明文の通りです。田原井堰は和気町田原に江戸時代ごろ作られた井堰で、洪水から田畑を守っていたそうです。現在は新田原井堰になっています。

この他に、横を流れる荒神川沿いに地神塔がひとつあります。

資料館

 資料館は一階が籠や神輿とセラミック関係の釜や文書、二階は漁師道具やお歯黒などの民俗関係と藤原審爾などの文芸関係が展示されてありました。
 建物は昭和26年(1951年)に建てられた旧備前簡易裁判所を再利用したものです。
 セラミック関係や民俗関係の面白いものがいっぱいあったのでぜひ行ってみてください。

 https://www.city.bizen.okayama.jp/site/rekimin/list279.html

⑤天神宮

 旧二号線から離れてわき道を進んだ先で合流する西國街道を、線路を超えて2号線を渡ったところに天神宮はありました。

神門・鳥居


神門

 まず、いかにも光りそうな繁華街の入り口のような雰囲気をもったレトロな神門が真正面にあります。

鳥居

 額束に天神宮と書かれた鳥居です。右手側には奉寄進と明治十九年二月(1886年)、野吹氏の名前が刻まれています。左手側には明分社中とあります。明分社というのは日生町史によると青年の集まりのようなもので、青年団のようなものであったと思われます。
 ここでも表に寄進日や寄進者名が刻まれています。

灯籠・玉垣

 鳥居と玉垣の間に灯籠があります。

灯籠

 

灯籠刻字

灯籠には正面に「獻燈」、裏に「安政二乙卯歳 三月吉日建立」と彫られています。安政二年は1855年です。

灯籠の奥に玉垣があって、神社を囲んでいます。

玉垣

 玉垣には「奉寄進」と寄進者の名前が彫られています。そして角や端の玉垣には擬宝珠がつけられています。これも見たことがなかったので驚きました。

狛犬(備前焼)

 境内には備前焼でできた狛犬が2対置かれていました。

手前の狛犬(右側)

 備前市の地域では狛犬は備前焼で作るようで、備前焼のものが不安定な石積みの上に置かれていました。

奥の狛犬(左側)

本殿


拝殿

 ここの祭神は天神宮の名前の通り菅原道真です。和気郡誌では存在を確認できませんでした。後日、片上町史を調べて情報があればお伝えします!
 絵馬の奉納ができるようでした。

本殿

末社

 境内には末社が二つありました。正面から見て右側に正一位稲荷大明神、左側のものはどこにも記載がなく、祭神が確認できませんでした。片上町史に何か書いてあるかもしれません。

正一位稲荷大明神
?

 個人的に気になったのは両方の社の後ろに、社の台座石と同じかそれより低い石が置かれていたことです。昔は拝殿つきだったのかもしれません。

次回

 今回は当初は最上位稲荷神社と藤原審爾旧家跡まで紹介する予定でしたが、上二つが想定以上の長さになってしまったので次回紹介します。
 ということで次回紹介するのは

  • 藤原審爾旧家跡

  • 最上位稲荷神社

  • 西國街道片上宿

の3つを紹介しています。

ここまで読んでいただきありがとうございます!意見や指摘などあればご自由にお書きください!