#001 自己紹介(前編)

皆さん、こんにちわ!
お疲れ様です。8月結局一つも投稿できずで反省。。。。。
円安、物価高、猛暑といったこれまでにない夏〜秋ですね。

誰が読んでくれているのか分かりませんが、(誰も読んでいないと思いますが笑)自分で決めた習慣なので、noteを投稿していきたいと思います。
「え、ちょっと待って。ぶちかまし太郎(※匿名)って誰ですか?」と突っ込まれそうなので、そもそもどんな人物なのかについて紹介します。
この記事では、時代ごとに紹介していきます。



出身地〜小学校時代

まず“ぶちかまし太郎”こと私は、九州の“おへそ”くまモンでお馴染みの熊本県出身です。
小学校時代は、簡単に言うと“性格が良いジャイアン”みたいな感じでした笑

部活動について


部活動では、小学校4年生からバスケットボールに打ち込みそこそこチーム/県内で成果を残していましたが、小学校6年性の転向のタイミングで退部。
小学校6年生からは、遅咲きながら当時の将来なりたい夢が警察官だったことから警察官の道場に剣道を習い始めました。一緒に道場に入会した、いわゆる同期が当時3年生と1年生の姉弟でして、基礎練から習得していくのがなんか恥ずかしく感じていました。そこまで剣道では成果を残せなかったですが、警察官という人物への理解が深まった1年でした笑

学校内活動について

小学校5年生ぐらいまでは部活動やクラス単位でしかあまりパッとしない感じだったのですが、転機となったのが小学校6年生の転向だった気がします。
転向して間もなく、小学校最後の運動会で応援団長(白組)になったのです笑

ここでの経験は今振り返っても非常に貴重な経験だったなと思います。
組織をまとめることの難しさ、もどかしさ、苦難、そしてやりがいなどをここで感じたんだと今振り返って思います。
応援団長をする中で印象的だった出来事が2つあります。
1つ目が、運動会当日に少しクラスメイトと話しているところを見て、父親が寄ってきました。「なんだろう」と思ったら、なんとめっちゃ怒られたんです。(笑)「あれ、なんかしたかな?」と思ったのですが、「お前、団長だろ、楽しそうに話してる場合じゃない、白組のメンバーが戦っているんだから団をまとめて応援しろよ(怒)」と…。
一瞬ムッとしてしまいましたが、今思うと正論すぎて愚の根も出ないですね。
2つ目が、運動会終了後になぜか「追っかけする後輩」が出てきたことです。廊下を歩くにしても「キャーキャー」と叫ばれるし、「あれ、一瞬オレ芸能人かな?」と感じてしまうレベルでした。自分の昼休みも追っかけがいてなかなか休めていませんでしたし。でもおもろいのが、白組は負けたんです笑赤組に勝利したならなんですが、白組が負けたにこのような出来事があり、「組織のトップとして何かを推進することの影響力の大きさ」を感じました。



中学校〜高校時代

中学校時代は、ぶちかまし太郎の人生で一番濃密な時間だったかなと思います。

部活動について

中学校では、小学6年生からの流れで剣道部に入部しました。ここがまた今思うとやばい部活動でして、中学校1年生の時の顧問が日体大の女子剣道部出身でインカレ優勝経験の日本を代表するレベルの先生だったのです…マジで鬼怖かった…(汗)ここでの今思うとエグかったエピソードを箇条書きでご紹介いたします。
部活動に遅刻する場合は毎回担任教室にお辞儀をして「失礼いたします。○年○組の〇〇です。〇〇のご用件のために入ってもよろしいでしょうか」と許可をとりOKがでたら入れる。勝手に入ったらキレられる。
・練習で倒れるまで追い込むのが当たり前で、倒れないなら竹刀で倒される。
・何かご報告をする際に、数センチの段差でも上から話すと無視される。顧問よりも下の段差を降りて話さないと話を聞いてもらえない。
・よく言われていた声かけが「自分のことが可愛んだろ、甘ちゃん」とよく怒鳴られる。
 などなど…
枚挙に遑がないですね…。

高校での部活動は、また一転してバスケ部に転部しましたが、全く花が開かず最終的に高校二年生次で途中で退部してしまいました。
その時から夢ドリブンな高校生だったので、数時間も試合にも出れず、ボール拾いだけをやっている生活が苦痛で、だったら夢に直結することに取り組んだ方がいいのでは?と思いやめました。
まぁ高校生活ではある意味、絵に描いたような青春時代はなかったです。

学校内活動について

学校内では、静かなムードメーカーといった感じだったように思います。

部活動を辞めたことが、次の日には学年の教師内に広まりなんか気まずかったのと、他の部活動のメンバーからも部活辞めたらしいね的なことを言われて少し申し訳なさを感じている自分がいたように感じます。

とはいえ、校内では全く勉強ができないというわけではなかったので、授業中には積極的に発言したり総合の時間的な時には意見をよく求められるような存在でした。

印象的なエピソードで言えば、授業スタイルが納得いかないものが何個かあり、先生におかしいと思いますというようによく口論(議論?)はしていました。とはいえ、先生がフレンドリーで言いやすい環境があったというのもあると思います。
また特に納得いかなったのが、英語の授業でして、「こんな英語の構文は丸暗記です」という口癖を今も思い出すと、イライラしていたことが思い出されます。個人的にも注力していた科目なので、より一層強い拘りがあり、「英語は核心を掴めば丸暗記なんて不要」というスタンスをとって成績を残していたので、なんで意味もなく丸暗記なのか納得いかなすぎて、放課後担当教員の職員室まで赴き、「丸暗記なんておかしいと思います」と直接議論をしに行っていました。このような先生たちだったので、「大学受験のための勉強」が強く、ものすごく嫌で途中から学校の授業のモチベがなくなってしました。
この時から、目的意識が物凄く強くて、「なんでやるのか」が見出せないとモチベが下がる傾向にありました。
今振り返ると、半分反省していて、「やる前からの意義よりやった後に感じるの意義の方が確からしい」のではないかという点が欠如していたなと思っています。
大学受験についても、紆余曲折しながらも指定校で、関西の有名私立大学に進学が無事でき、高校生活も無事に終わりました。





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