名前のない役者達紫の終わり
全4公演に渡る名前のない役者達紫が、3月21日に終演した。
自分は、作・演出 菊地穂波『その後にちょうどいい涙というのがあって』ユニットDとして参加した。単身での参加、特に自分から応募するような形での参加は、初めての経験であった。名前のない役者達の締めくくりをしよう。いや、したい。させてくれ。
昨年の秋口。世界が肌寒くなり始め、道沿いに色味が出始めたころの話。4/11~4/14に、王子小劇場にて上演される『エージェントクリミナルズ』に、役者としての出演依頼を受けていた。しかし、大学生で、特に4月から研究室で週5に渡って拘束される自分には、4月中旬に平日をすべてぶち抜くのは不可能であった。特に新人入りたての、ほぼ最初の1週間だ。新入社員が初週で1週間休みますって言えるか。否だろう。3月に時間ができた。自由に時間を使える最後の春休みを、空虚に過ごすなんてしたくなかった。
そんな時、Xで流れてきたのが、名前のない役者達の出演者募集のポストだった。そして、作・演出の欄に"排気口、菊地穂波"と書いてあった。これとない機会だった。迷わず応募した。
そもそも穂波さんの作品を最初に観たのも、名前のない役者達だった。『おきながら見るほうの夢』を観た。とにかく笑ったし、よく分からないのに寂しいし、面白いって本気で思った。名前のない演劇祭は、カップリング公演で、自分の目当ての劇団ともう一つを自動的に観ることになる。これが偶然にも面白いと満足するし、反対に自分に合わずに面白くないと感じると、まあしんどい。『おきながら見るほうの夢』は、カップリングのもう一つが、大当たりした格好だった。
『おきながら見るほうの夢』以来、排気口の作品、『呼ぶにはとおく振り向くにはちかい』『アイワナシーユーアゲイン』『人足寄場』『時に想像しあった人たち』を観てきた。推しの劇団なんてものがなかった自分に、初めてできた推し。人生で初の推し活。だが、仮にも役者を名乗るならば、内部に入って一緒に芝居を作りたいと思う。千載一遇のチャンスだった。
1月末から稽古が始まった。初回に配役を決めて、それ以降は、ほぼ週1で2時間の稽古のみという日程。30分芝居であるが、これはなかなか厳しいものがある。細かい自分の演技とか、作品への理解をすり合わせるには、どうしても時間が必要だからだ。それでも、1回13時間の拘束を余儀なくされる穂波さんに比べれば、全然楽なものだ。
稽古の中で穂波さんは、自分の持っている演技感や、哲学を惜しげもなく話してくださった。自分がそれまで知りたかった、穂波さんの頭の中の一片を垣間見ることができたような気がしたし、その言葉を反芻しながら、台本を読み返したり、演出の言葉を思い返してみると、また違った深みを感じれたような気がした。
自分にはまだまだ分からない演劇の世界があるし、人それぞれ様々な感性がある中で、排気口と出会ったこと、また本当にわずかな時間ではあったが、穂波さんの演出に触れることができたこと。紛れもなく、かけがえのない時間だった。
本番が終わった翌日、排気口の『光だと気づいた順に触れる指たち』を観に行った。それまで外側から観てた排気口の感じとは、少し違った印象を受けた。作品としての特徴もあるだろうが、自分が穂波さんから受けとった言葉と照らし合わせると、やはり内部に少しばかりいれたことも、印象の変化に与えた影響は大きいのではないかと、勝手に思ってみたり。
とにもかくにも、本当にいい時間だった。あの時間が終わってしまったことが、今でも勿体なく感じる。彩りに満ちていた週末がなくなってしまったようだ。でも、始まりがあれば終わりがあるのは当然で、そこをどう明るくするか。事象として皆に起こることは同じでも、その中から自分なりに。いや、もはや他人の真似事でもいい。何色かはわからないけど、素敵な未来を描く魔法を、かけていきたい。
名前のない役者達紫『その後にちょうどいい涙というのがあって』
作・演出 菊地穂波
出演
髙橋開成
小幡悦子
田中佑果
小椙優真
宮野雄太
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