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発信者の社会科学に思うこと

明けましておめでとうございます。今年初めての記事になると思います。今年は少し解説なり個人的な見解を含む記事も作っていきたいと思う所存です

さて、昨今色々と言及や興味を持って発信することが増えた分野である、社会科学全般の件を少し語りたいと思いますが、特に社会科学のなかでも結構発言する人が多い政治、経済等についても詳しく言及していきたいと思います。

前提 社会科学って何を指すのか?

社会科学は主に以下の分野があります。(※大まかな分類は文部科学省やイギリス教育省の分類を参考にします。)

①経済学全般(金融学、財政学を含む)

②政治学(行政学や国際関係論、政策学なども含む)

③法学全般(国際法と国内法など)

④経営学全般(会計学もここに含まれる)

⑤社会学(社会自体を多方面から研究する学問)

⑥教育学(特に教育理論や教育の仕組みがこれに当たる)

⑦哲学(特に社会的な分野が社会科学とされる)

この辺りが主に社会科学と定義される分野で、法学、政治学、経済学、経営学の4分野を除くと結構人文科学との境目が曖昧な部分が結構多いんですよね。哲学は倫理とか基本的なところや社会学の地域研究などは人文科学といってもいいほど曖昧だったり、個人的な見方ですが教育学については教科教育分野だったりが人文科学に該当する気がします。逆に言えば、人文科学でも宗教学や言語学の一部、考古学の民俗学分野、地理学や歴史学の一部、心理学のうち社会学に近い部分が社会科学っぽさがあったりします。大まかな前提として、①~④あたりが主に言及される社会科学かなと思います。


各SNSで見られる議論や討論中の社会科学

皆さんがよく目にするSNSでも目にする場面は多いと思います。主にTwitterやYouTube、ネット上のコミュニティだったり、年齢層によってはFacebookやTikTok、稀にInstagramやニコ動(2010年代前半あたりは特に多かったんですが...)、LINE上でも見かけることもあります。

例えば動画を投稿できる場合は、動画上で政治的な意見だったり、経済や経営理論について発信する人を多く見かけることがあります。Twitterなんかでは発信された意見にて芋づる式に討論が起こり、各々が信じる意見や価値観をもとに社会科学的な見解を述べる場面に出くわすことも多くなったと思います。私がネットに触れ始めた2000年代前半よりも個人個人の論理を発信する人が増えています。(※ネットが広く普及し始めて重要性が増し始めた時代は、普段あまり情報発信しない人がいろいろ発信する機会を得始めた頃なので新鮮でした)

2020年代初頭の現在、老若男女発信者になれる時代において思った以上に社会科学の分野は身近になりつつあるように感じていますし、様々な意見と多様性を持った人たちが情報を得やすい空間がすぐそこにあります。その分元々外で活動していた団体がどんどん参画し、ほぼ現実社会との差分がなくなりつつあります。

SNS上の社会科学言論の変化

しかし社会科学を議論しやすい現在の状況で、一元的な価値観で社会科学分野の言論空間を歪ませてきた階層の人が発信する場に流れ込んできた側面もあります。彼らは元々現実社会で行動力があり意見行使の為に手段を択ばない(といったら語弊がありますが...)ので、社会上でもデモなりメディアを通した発信をして通してきた経緯があります。その発信は「声が大きい」為に多元的な価値観を持つ人は元々現実社会で発信をしても多方面に届きにくい現状があったわけです。以下便宜上、社会科学的な用語で称される、声が大きい側の層をノイジーマイノリティと表現され、意見が埋もれていた側をサイレントマジョリティと表現することにします。

2000年代後半まではその層がネットに来ることが稀であった為に、サイレントマジョリティ側がいろいろと言論空間を保っていましたが...2011年前後にてネット界隈の影響力が強大であったことに気づかされた出来事を境に、ノイジーマイノリティとされる層が大量に参入し始めたことから、2010年代前半からは徐々に現実社会との差異がなくなり始めました。

私の個人的見解ではありますが、ノイジーマイノリティ層について補足すると、声が大きいことや一元的価値観に基づくことなどの先ほどの特徴に加えて

断定した物言いが顕著であること

発言の内容に過激的な内容を含む、または感情的な議論が主体であること

③他人の価値観を許容しない姿勢及び極端な共同体主義を構成している

④建設的な話よりも短編的で簡素な物言いを好む傾向にあること

などといった特徴があり、社会科学分野では特にこうした層の主義主張をする人が特に多いように感じます。だからこそ多方面で見る社会科学分野の議論や討論を見るとまさに阿鼻叫喚の状態な場面に出くわすことも、2010年代中盤から一気に増えてきたように思います。よくテレビで見るワイドショーの討論がいい例で、それがネットに場を移したことに変わりないというものが多いです。


発信者が発信する社会科学分野の意見

それを踏まえて私が感じているのは、そうしたノイジーマイノリティの人の意見が劇的に理解されやすい(それが正しい理解とは限らない)ことや端的な物言いが受けがいいために、それを信じてついていく人が結構多い印象を受けます。徐々にその発信者の共同体ができ始め一連のコミュニティになりますが、そこから新たなノイジーマイノリティが形成され完成していくという世代交代なるものが起きるまで、お決まりと言わんばかりの流れも目の当たりにしています。理系分野やであれば正解式があって答えが明確だったりするものですが、人文科学や社会科学は答えがない分、一層発信者の主観が入り込みやすく言論空間の歪ができやすい傾向にあるわけです。

要するに嘘を本当のように発信していけば、声が大きければ大きいほどそれが真実のようになってしまう現象も起きやすいのです。それを検証して訂正するには多元的価値観や建設的な衆議が必要になりますが、一元的価値観の人が信じた場合は修正が効かなくなる場合もあるわけですね。社会科学は時間をかけて衆議してこそだと思うのです。

後半へ続きます。


ps...この記事で2時間かかりました💦やっぱり資料見ながら正確に丁寧に意見を書くとこうなってしまうんですね(;´・ω・)

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