対談


この対談は昭和51年1月に行なわれ、同年の『月刊全生』4月号に収録されたものです。画壇最長老として、絵に、書に、文筆に、盛んな活動をつづけておられた中川一政画伯を迎え、土筆亭の炉辺で行なわれた、野口晴哉先生の最後の対談で、初めての出会いであったにもかかわらず、整体法や絵画をめぐって百年の知己のごとく語り合われた貴重な記録です。一部だけですが、ご紹介します。

中川  けれども、勘のいい人と悪い人とあるでしょう。
野口  あります、非常に……。鏡をつくろうと思って、瓦を磨いているんじゃないかな、と思うことがあります。そういうのに教えると疲れます。
中川  ええ、そうでしょうね。つまり、結局、動物の勘みたいなものが必要になるんじゃありませんか。
野口  そうなんです。
中川  そういうものが一番大事なんで、それが勘じゃないですか……ね。
野口  「僕は今お茶を飲みたいのに、なぜ持ってこないか」と言うと、持ってくる。言われなくちゃ判らないようでは、人の体など触れませんよ。勘があれば、この人はなにを欲するかと‥…・。
中川  あのね、僕、まえに、合気道の植芝さんという人に会ったことがあるんですよ。その植芝さんというのは、先代だけれども、とても弱々しいような人に見えるんですがね。非常に動物的な勘みたいなもの、そういうものに鋭い人でしたね。
野口  反射運動的にやってしまうことを、弟子に教える時には、ここでこうやって、こうと、教えなくてはならない。それが教えられないで死んじゃったのでしょうが……。弟子はみんな何を言っているんだか判らないって。
中川  ああ、そうでしょうね。
野口  二代目のほうのは判ると言うんです。「判るかわりに術は使えないだろう」と訊くと、「そうだ」と言うんです。
中川  ああ、そうですか。形で覚えちゃうから……。
野口  そうなんですね。植芝さんは咄嵯に勘から勘へ行っちゃうんです。
中川  そう、そうですよ。ほんとにね、僕たちの仕事というものはその勘というものを鈍くするということが沢山あるんですよ。一生懸命になって勉強しているつもりで、勘を鈍くする勉強をしているんです。そういうことになっちゃう。
野口  勉強した人はそれが多いのです。
中川  そうです、そうです。
野口  そこはああせよとか、ここはこうやるんだとかいう知識でやっている。ここにある色が、直接こう入ってこないんですね。
中川  今の美術学校の教育だなんていうのはみんなそうです。勘を鈍くする勉強ですね。
野口  勘を除いた芸術はないですからね。
中川  ええ、一番大事なのは勘だと思うんです。
野口  ここの講習生にも場処を教えない、やり方を教えない、憶えられないようにやる。あとは当人が勘でそれを会得する。教えたら最後、上手にならない。だから示して言わない。そういう流儀で講習会をやっています。古い人は三十年生なんていう人がいるのです。三十年同じ処ばかりやっている。そうすると、勘のない人でも勘が動くようになるんです。
中川  なるほどね。
野口  誰も飽きたって言わないんです。
中川  そうですか。僕は教えないんです。あのね、向こうは一人一人くるけれども、こっちは、いちいち時間を取られるでしょう。こっちは一人、向こうは大勢だから。
野口  〝絵はこう描くものだ。まず今の頭では無理だということを第一に知るべきだ″ということを教えてあげればいい。
中川  そうなんですよ、それが一番いい。先生っていうのはね、僕は岡倉天心なんかのやり方がいいんじゃないかと思うんです。あのう、美術院のね、研究所っていうのは広いんですよ。そこへきて、横山大観だとか、下村観山だとか、偉い人たちがみんな並んで、出品制作を描くんです。毎朝、岡倉天心が廻ってくるんです。岡倉天心は、絵描きじゃないですからね、絵描きの細かいことが判らないわけです。ただ廻ってきて、一言なんか言う。それで、平安朝のお姫さまを描いていた人がいたんです。そこへきて毎日、「まだ、鈴虫の音がきこえませんね」って言うんだって。絵描きのほうがいい加減考えちゃうんです。そのやり方が僕はいいんじゃないかと思うんです。
野口  そうですね。それは一番いいです。
中川  普通、自発心を妨げるような教え方をするでしょう。それを自発心を出すような教え方をしているというのはいいんじゃないか。結局、教えないのが一番いいんですよ。教えるってことはただ目に見えるだけのことで、本当のことは教えられないですからね。……こういうふうに描いたとしても、これは先生の描き方なんですよ。その人の描き方というのはないんです。
野口  そうです。
中川  それじゃなんにもならないです。却って教えるっていうのは余計なことのような気がするんですね。
野口  私のところでは、卒業してから一年ないし三年はどんどん伸びます。その伸びは、習っている時とまるで違うんです。だから観て、ここでと思うところで卒業させるんです。相手は、なぜ卒業させられたか判らない、自分はなんにもできないと言う。それが実際にやると、どんどん上手になって、三年たって戻ってくる時の質問は、もうまるで違うんです。そこから教えるということが始まるんです。
中川  ああ、そうですか。
野口  講習に出たり、道場に出たりして勉強しているうちは、まだ、本当のことはなんにも教えられない。外へ出て三年たって帰ってくると、一言いうと、もう解るんです。
中川  ああ、そう、それは大事ですね。準備ができなけりや教えたって駄目ですね。
野口  ええ、そうです。相手の消化不良の胃袋に入れたって‥.‥‥。
中川  そう、そうです。やっぱりその時がありますからね。
野口  なるべく苦労している時。
中川  そう、ちょっとヒントを与えればスッと伸びていくような時があるんですね。


気づきー


軸の回転でバランスを強化

突き手と引き手
バランスがあえば、
軸がより安定する。

慣れたら胴体で回転

更に進めば、骨盤、仙腸関節の幅で、回転


体重最初は、のせるんやけど
のってきたら、必要以上に、のせなくてもよい

過去の自分

今の自分自身

未来の自分

未来の自分を今超えていく。

良い方向へ導いていくのは、自分自身の心だけである。

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