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産業カウンセラー養成講座に通う2

■前のエピソード》

 みんなに内緒で産業カウンセラー養成講座を受けていたにも関わらず、これをネタに書いてみようと思ったのには理由がある。

 講座に通ううちに、過去20年間の東京生活で僕がいかに変化を遂げたかということ、そのうち18年間同じ会社に努め続け色々に経験したことが講座に生きていること。
 他にも、講座で僕が感じたことをネタに次元上昇気味の友達数名と話した時の皆の反応とか・・面白そうな事柄が見え始めたことがあり、「やはり白へびトランスフォーメーションでしか書けないこともあるのではないか?」と思った次第である。

 『内面(ないめん)は外面(そとづら)に反映する』みたいな話があると思う。『内面は外見に出る』とか。
 その逆の『外見で人を判断出来ない』とかもある。

 今回は『内面は外面に反映するという観点で、二十歳から20年間の東京生活で自分がどうなって行った、その結果がどう見えたか?について書いてみる。

 しかしその前に大前提として断っておきたい。

みんな自分の宇宙でモノを見ている』と、分かっておいて頂きたい。この世に客観視などありえない。便宜上(べんぎじょう)『客観視』をリスペクトした表現をすることはやむなし。
 しかし、地球人は誰一人として例外なく自分の立ち位置からしかモノが見えてない。100%自分の視点からしか見えてない。私もそうきっと宇宙人もそうだ。しかし彼等は視点が高い
 白へびトランスフォーメーションは前後左右変わらない視点の位置を高くすることを目指している、だから書く。

 わかりづらい言い訳はこれくらいにしておいて‥。

さて、本題
 十代といい二十代といい、僕は『クソ』が付く真面目だった。融通(ゆうづう)が利かず、自分の尺度で『良い悪い』をはっきりさせしすぎ寛容(かんよう)を一切知らず、新しい経験に身を投じる時も石橋を叩き潰す輩(やから)だった。
 そんなだから、先輩や同僚からは顔も口も窄(すぼ)めて『もぉ~ぉぉおお、クソまじめ~ぇぇえええ』と言わせてしまう。
■全然参考にならないけど当時の様子が
 少しだけ分かる関連するエピソード》

 2005年だったか・・先輩方に連れられ一緒に行った、当時神田駅すぐ近くにあった『コスプレ焼肉OK牧場』。女の子の前で、僕がいかに真面目な堅物で、どうにもならない救いようのないヤツだと同僚らによってばらされてしまうほどだった。

 因みに、あの人の「OK牧場」とは無関係だとお店の人は一応言っていた。一年後にはお店が無くなったので何かトラブったのかもしれない。

 当時僕は変幻を遂げる前の普通の『へび』だった。
「へび君ってね、もぅすっごい真面目なんだよ。ちょっとさぁ、あ~んとかしてあげてよ~。それぐらいしてあげないとコイツどうにもなんないよ~」
と先輩がお店の女の子に声をかける。先輩方は先輩方で『後輩なんとかなれ』と一応思っていてくださっていたのだろう。

 慣れっこなのか女の子は普通の顔して「あ~ん」としてくれた。

 腹をくくって先輩の御厚意を受けるべく僕も「あ~ん」としてお肉を口に運んでもらった。一瞬、我を忘れてクソ真面目の堅物顔に笑みが浮かんだ。その瞬「あ~ん」してくれた女の子が『ゼロ』の表情で僕を見ているのが分かり僕は恥ずかしくてたまらなくなった。しかし、何処にも行き場のない僕はただその場にとどまって辱(はずかし)めを自分の中で消化するしかなかった。

 ここで言う『ゼロ』とは、『落ち着いて冷静な』という意味だ。

 長々と難しく書いたが、つまり『高いお金を払って遊ぶところに行って、遊べなかった』ということだ。

 アホ過ぎる、今振り返ると。
 このストーリーも、講座に通っていることを書こうと思わなければ決して思い出されなかった僕の黒歴史だ。

 その数年後、仕事について7~8年目になるころだったか、後輩の女の子を一人僕が面倒見ることになった。あまりにいい子ですっかり気持ちを奪われてしまった僕は、その子に彼氏が居るのか聞いてみた。
「ぃ、います」という感じでその子は答えた。
 最初の『い』の発音が震えていた。これは、こういう話はこの子にとっては良くないのかな??
「それはそうと、最近海外ドラマ面白いよね?」と話をすぐ切り替えたが、その子の受け答えは滞(とどこお)ってしまった。

 ここまでで、
 2023年、今の僕と初めて接触した人は僕を気持ち悪いと思っただろうか?多分、そういう雰囲気は感じてないと思う。

ふっつ~の感じで
「彼氏いるの?」と聞かれるのと

真面めぇ~で堅苦しぃ~く重苦しい~ぃヤツが
「彼氏いるの?」と聞いて来たときとでは

間違いなく何かが違うんだ。特に受け手は違いを感じるのだ。
 それも厄介はなのは、その場に比べる対象が無いことだ。

 よく例に上げて、「軽く聞けばいいんだよ」とか頼んでもないアドバイスをしてくれる人が沢山いた。みんな善意で言ってくれていると思うが、その『軽く聞く』というのが出来ないのだ。やっても出来ない。やってるつもりだけど出来てないし、出来て行かない。

 本人が軽くないから

 今やっと自分でも分かった。軽さを知らない人に『軽く』とアドバイスしても意味が無いのだ。『軽さ』を持ち合わせてない人が『軽く聞く』ことは出来ないのだ。知識で『軽さ』を知っていても、軽さを発動させる人が軽くないと『軽く聞く』という形にならない。軽く聞いても軽くならない。

 『軽やかさ』を体得した今でこそ、僕を遠のく人は物凄く減った。というか居なくなった。いや、居るかもしれない。けど、僕が対人関係で悩むことは99%無くなった

 『この一連、いったいどうやって解消に向かわせたか?』について書くのがよさそうかな。

 つづく

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