見出し画像

白トラ2『赤ちゃんの写真』

■前のエピソード》

 折角の新連載、自ら『白へび』と名乗るわけで、なるべくその経緯やどんな人生観でやって来たのか伝記を書く感じで書き進めたい。
 じゃぁ、次に何を書くか・・

 幼少期の頃に体験した超絶不思議体験は確かに何度かはある。多いのかもしれないし、少ないのかもしれない。
 それは夜、親や上の兄姉(きょうだい)がTV映画を見ていたのを寝ぼけ眼(まなこ)で見て印象的なワンカットが訳も分からず頭にこびりついてしまって、自分の記憶か他のビジュアルを取り違えているのか分からない‥というような、あやふやなモノではない。

 確かに超絶に不思議な体験を少しはしている。

 が、今思い返すと10代20代では全く思い起こされることが無く『もっと大人になってから思い出す・もっと大人になってから人に話す』という感じのことが大変多いようだ。

 それは超絶不思議な体験じゃなくても、ありうるらしい。

 ここまで何となく書き進めて思い起こされた記憶があるので書いてみたい。

 

 さて、生後いつからの記憶が残っているか?僕の場合はどうやら1歳の記憶があるようなのだ。0歳の時の記憶は『ある』と言いたいが定かでない。あれがそうなのか、記憶を照らし合わせ証明させられる証拠がない。いつ記憶したか分からない僕の断片的な記憶しかないものは今回横に置いておく。

 記憶で最も古いモノで、断片的な1カットの1~2秒の音声付きの映像がある

 ベッドに仰向けに横たわる僕を二人の大人がニコニコしながら覗き込んでくる様子だ。母の母と父の父だ。お爺ちゃん、あの頃から既にバーコードだったんだな・・と余計なことも思い出す。

 宇宙・魂について知見を深めていくと、体と魂が共振して人となる時には既に『得意なこと』も引っ提(ひっさ)げて来るというが、それは本当かもしれない。そしてその持ってきた『得意』によって人生は自ずと開かれていくのかもしれない。ということは、持ってきた『得意』は『開運』そのものということになる

 僕は22歳秋からおよそ20年間東京で某有名玩具メーカー関連のゲームソフト開発会社でグラフィックデザイナーとして勤務していた。

 小・中・高・浪とノートに落書きをしない時期が無かった。ちなみに大学受験浪人をしたのは、僕が学業をおろそかにしたのが原因と言えば原因だが、親の希望や上二人の兄姉のいうことや一般論に訳も分からず流されすぎたのが原因とも言える。
 しかしこの浪人の時間は、どんな分野で自分を発揮して行けるか?浪人したことではっきりとさせてくれた。そして、その後の20年間の東京生活をすることになる礎(いしずえ)になったようでもある。その20年間の最後の5年間は、来たるトランスフォーメーションに向かう面白くも重要な期間になった。

 田舎の世間知らずで自分以外の自分が自分に居て、いつも緊張感に包まれた表情をしていた僕が、東京生活を終えるころにはすっかり『自分を把握』するヤツに変貌を遂げて、迷いなく仕事をやめて京都へ移住したのだ。

 FF4の暗黒戦士がパラディンになるような、又はドラクエの遊び人が賢者になるような感じだろうか。

『自分を把握できるようになり、迷いがなくなる』
そんな時間を過ごした・・というわけだ。

 

 さて、保江邦夫という理論物理学者がいる。

 僕は変革を迎える年となった2021年、同年3月にこの人が出演する有料動画にわざわざお金を払って見るようになった。それまでこの人を知らなかった。
 知るきっかけはこの人がUFOについて色々と調べるのに、わざわざエリア51まで行ってきたというエピソードを語っている動画を見たことにある。
 断片的でつながらなかったそれまでの知識がこの人の話によって繋がっていくところもあった。おまけに話が面白かった。
■その動画》
https://www.youtube.com/watch?v=PT5XtRQBFcg&list=PLZXhpAwQs41g8zoIwHXytCs1Tv82KUdJR

「へ~、こういう人がいるんだ~」

 感心し、その人の動画や書籍をちょいちょい見たり読んだりして行くようになった。そんな中、その人が道場の師範をやっているらしく、技を人に伝授するときの話が目に留まった。

 話では、難しい技を教えると、お弟子さんたちはその技をなかなか再現できない。そこで先生ご自身の赤ちゃんのころの写真を「誰の」と言わずに、「技がなかなかうまくいかない人はこの写真をしばらく見て、また練習してください」と言って、大きく引き伸ばした写真を道場の壁に掛けたという。
 1~2分じっと見つめてから練習に戻る人、ちらちら見ながら練習する人、全く見ない人。それぞれな中、じっと見つめてから練習するをやっていた人が難しい技に成功したという結果がちょくちょく出始めたという。
 すると、チラッとしか見なかった人はじっと見つめるようになった、全く見ようとしなかった人も見始めた。
 そして、技に成功する者たちがさらに増え始めた。という話だった。

 もしかしたら見る見ない関係なく、練習して慣れてコツを掴んだ時期とたまたま一致しただけかもしれない。
 けど、『赤ちゃんの写真を見る時の感覚気持ちの変化が何かしらあるのかも‥』と自分としても気になった。

 2022年3月、実家にちょこっと帰った時、昔の写真を色々と見て回り、自分の赤ちゃんの写真を見付けた。

 それを見て「あぁ~この時だったのかぁ」と、冒頭で書いた幼少期最初期の記憶と写真の様子が一致していることに気が付いた

 僕の1歳の誕生日の様子だった。記憶の二人の着ている服が一致しているのだ。

 間違いない、誕生日を祝ってくれてた時の記憶だったのだ。そして、写真に入っている日付を確認する‥と「僕の誕生日の二日前!」
 恐らく誕生日が平日だったんだろう。皆が集まれる日が二日前の日曜とか土曜とかだったのだろう。

 一日二日違うだけでは大した差ではない。けど、面倒なヤツと思うか細かい話をすると、僕の最初の記憶は1歳になる前、0歳の記憶ということになる。

 『得意』を持って来るという。

 僕の場合、雇われだがグラフィッカーで飯が食えるほどの『得意』を持っていたわけだ。グラフィック関連の『得意』を発揮している人は分かると思う、絵描きは見たものを写真をとるように記憶出来てしまう能力を持つ人が大変多い。

 もしや引っ提げてきた『得意』は、生まれた瞬間から既に発揮していたのではないだろうか?

 なにはともあれ写真の自分を見ていると、じゃぁ何がきっかけで自分の中にもう一人の自分が居ることになったのか、なぜいつも緊張したような面持ちで10代20代を過ごしたのか?というような、自分で自分が理解できなかった頃の事柄など頭をよぎらず、単にその時の今を生きる自分が見て取れた。 

 写真と記憶が一致してさらにこう思う。

僕は望まれて生まれた
僕も望んで生まれて来た 

そのように思えてならなくなった。

 是非、皆様もご自身幼少期ゆかりの地にいかれて、自分の赤ちゃんのころの写真をいつでも見返せるようにしておいてはいかがだろうか?

 『自分を把握出来る』きっかけになるかもしれない。

 つづく

■白トラ壱 バックナンバー 一覧