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白トラ参7 廊下でおでこを打つ 続き2

 実家の屋根が理由は知らないがピラミッドだった。四角錐(しかくすい)の頂点にはドーム型の天窓があり、まるでキャップストーンだ。その下で生活していた。
 未知の技術で守られていたのだ。

 思えば幼少期におでこを打って以来、なんとなく自分が二人になっていた。無関係かもしれない。HSP気質に寄るただの心の病気だったかもしれない。けど、人と何か違うことをしたがる一方で、自分と自分がズレて存在していたようでもある。意識と体が‥かもしれない。

 つまり繊細さんということだ。相当な繊細野郎だ。神経むき出しで生きて、よく今まで自殺しなかったな。

 小学生の時は行きたいと言ってない塾に上二人の兄弟同様に訳も分からず通わされ、そこでいじめられたこともある。
「もうこいついじめようやぁ」
 あとから入って来てなかなか友達が出来ずに静かにしていた子がいつの間にか、不思議なことを言ってしまう白へびを標的にすることで自分の立場を確立しようとしたセリフをみんなの前で吐いてきたこともあった。
『自分を保つために、何故、人をいじめる必要があるのだ?』
 彼のあの時の目の形は焼ついて消えない。しかし、20代の時『新しい自分』になって以来、ただの一つの記憶になり下がっていった情景だ。

 『新しい自分』‥これについてもいずれお話したい。ハートを閉ざされた多くの人に『新しい自分』になっていただき、真の人生観にハートを開いてもらいたい

 しかし、さすがにそんなセリフを言われてしまっては継続してその場に行くことは出来ない。あの当時たしか‥母には詳しい事情も言わず、時間になっても、ただかたくなに『行かない態度』を貫(つらぬ)き通したと思う。
 母はそれを追及してこなかった。白へびの態度に普通じゃない感じがしたのだろう。

 話を戻す。

 幼少期におでこを打った話。今更おでこを打った話をしても大した話じゃないけど一応する。

 玄関入ってすぐの畳の部屋、そこに当時15インチくらいのブラウン管テレビがあり、MSXが接続されており、TVゲームが遊べるようになっていた。6つほど年上の兄が友達とかとMSXでゲームしていた。その様子が見たかったんだと思う。

 板張りの廊下をよたよた歩いて畳の部屋に到達する頃、滑ったかつまずいたか、とにかくこけた。体が前に傾いて倒れ込む際、畳の部屋の開いた戸のコマ受けが廊下より5cm高くせり上がっており、そのコマ受けの角でおでこをヒットしてしまった。

 おでこに立派なたんこぶを一つ作っただけで済んだのだが、思えばその時ズレた気がする。体と魂が、少しズレたきがする。自己の確立を果たし新しい自分になる20代までの間の何だかズレた感じは、この時に始まったに違いない。
 無論証拠はない。
 そんな気がしているだけだ。

 以上が廊下でおでこを打つ話である。

 つづく