曇りが落ち着く

今日は曇っていた。かなり曇っていた。今にも雨が降りそうな、でもギリギリで保っているような、そんな空模様。

昔は曇りよりも雨よりもカラッと晴れた空、もしくは雪とかが好きだった。それは、単純なわかりやすさや気持ちよさ、特別さからそう感じていたんだと思う。

でも何故だか今は曇りや、雨の方が好きな気がする。カッコつけた言い方をすれば’趣を感じる’的なことなのかもしれない。

あとは、気負いが少ないんだと思う。快晴の日に1日をグータラ過ごしたら「もったいない」とか謎の「罪悪感」的なものを感んじたりしてしまう。でも、起きて曇りだとゆったりとした感覚を感じるというか、「がんばるぞ!」ってならなくて済む。

ある意味で脳死的、無計画、自由に過ごせる。それでいて一番日常的な生活ができるというか、、、

雨は雨で鬱陶しさを感じることがないと言えば嘘になる。だけれど、雨音とか、今日できないこと(晴れている日にしかできないこと)に想いを馳せていたりする時間がとても気持ちいい。マニアックな感じで言えば、6月ごろの土曜の朝に窓を開けて雨音を聞きながら軽い創作活動するのが一番気持ちいい。


こうして子供の時には持てなかった感覚を感じることができるようになったことは喜ばしいが、それによって見えなくなったものがあるような気がして寂しくも感じるのである。

子供の頃はディティールが曖昧だからこその気づきがあっただろうし、だからこそわからないことも多かった。今は輪郭がはっきり見えるかこそ理解できることが増えたが、はっきりとしたもの以外を偽と思う節があるように思う。

正直どちらが正しいとかはわからない。きっと答えなんてないのかもしれない。それでも一つ答えを出すなら、どちらの視線も持っていたい。欲張りかもしれないけど、それでも欲張っていたい。こんな欲張りなところは子供のままなのかもしれない。


そんな雑感を抱える、曇りの金曜夜。私はこのnoteを創作したのである。

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