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自分の存在が誰かの命をとどめている可能性

こんにちは。かいりです。
だんだん寒くなってきましたね。昨今の状況もそうですが、風邪をひかないように暖かくお過ごしください。

さて、タイトルのお話をしていこうと思います。

先日、小学校以来の友人と会ったときの話です。仮称Aくんとさせていただきます。

Aくんは、お父様の死をきっかけに小1の夏にやってきた転校生でした。カードゲームなどをして、いつも遊んでいました。
そんなAくんとは小学校卒業のタイミングで、同じ市内の別の場所に引っ越してしまい、中学は部活など、個々の活動が活発になっていきだんだん疎遠に…。それでも、なんとなく「アイツ何してるかな…」と思うような仲でした。

時は過ぎて、今年の夏。ある時、小学生の頃の別の友達が声をかけてくれて、久々に集まることに。Aくんとも再開しましたが、6年もの空白がありますから、話足りることもありませんでした。

そして、別の日。今度は二人きりで会うことに。

いろいろ深い話をしていまして、Aくんがお父様の死について話してくれました。ここ最近、彼自身そのことについて思うところがあったみたいで、いろいろと考えていたようです。そのタイミングで小学校の集まりが会ったと。そこで旧友と再会し、その集まりが楽しかったと言ってくれました。そんな風にどこか嬉しそうに話してくれるAくんを見て、私はこんなことを思いました。

「私たちが居る。彼のそばで存在している。実は私たちの存在が、彼自身も気づいていないところで、彼自身の心を救えているのかもしれない。」と。

その思いを拡大解釈を自分でしたときに「私たちは存在することで、誰かの心を救えるヒーローなのかもしれない」と。

「だから私たちは生きる意味があって、誰かに必要なのでは」と。

それが綺麗事であっても、そう思って過ごせば自分の存在に自信を持てそうだなと思いました。

ただの自己陶酔でも、思い込みでも、なんでもいい。私はそう思うことで、彼の心と私自身の心を救うのです。

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