魔法人形は、異世界で少女の夢を視る。/十二

【眠り醒めて】

「よく眠っていたな」

 目に染みる夕焼け。赤橙色のハイライト。青紫色のシャドウ。
 雲が優雅に泳ぐ様を臨めるバルコニーで大の字になる魔女。
 その隣にある化粧箱。シャンパングラスひとつが収まる大きさ。元の用途は魔女にも知りようがないが、今はただのベッド。
 シャンパングラスに等しい小さな人形が寝そべっていて、ゆっくりと半身を起こした。

『どれくらい堕ちてた?』
「日の出が二回。日の入りが二回と、もうすぐ三回目だ」
『二日間も、、、』
「あの娘の屋敷でまた馬鹿なことをしていたんだろう。やらなくてもいいような、詰まらないことをな」
 棘のある言い回しの魔女にイオはため息に次いで『そうよ』諦めた風に返してから箱を出た。

『詰まらないことか。確かにね。興味がない人にとっては人形遊びだもんね』
「ほう。殊勝な考えだ。以前の、、、この世界に転生転移した頃には考えられない心境の変化だ」
『あなたと話してると、嫌でも考えちゃうのよ。自分の姿にボロッカスに言われてご覧なさい。要らないこといっぱい考えて。迷って怒って苦しくて腹が立って苛ついて。落ち込んで落ち込んで。馬鹿馬鹿しくなって吹っ切れて。出来ることはなんでもやらないと・・・・・・って気になるの』

 イオは、屋敷であったことを魔女に話した。
 見たこと聞いたこと。
 自分が考えたこと、感じたこと。
 彼女の行動が、彼女自身にもたらしたこと。
 それらを通じて身に染みたことを、言語に置き換えながら、順序立てて魔女に聞かせた。

 大の字で寝ころんでいた魔女もいつしか起き上がる。
 視線は沈み行く紅の陽玉に釘付けにしつつも、意識は自然と魔法人形の楽しげな口調に合わせられている。

『マリーがね。すごく喜んでくれたんだ』
「そうか」

 ぶっきらぼうな受け答えもイオはもう気にしない。
 魔女はキセルに火をつけて薬葉(くすは)の紫煙で鼻孔を満たす。
 興味はなさそうな生返事に平行して、ちょんちょんと人形の頭を指先でいじくる。
 彼女の、魔女の爪が引っ掛かる。
 生前は毎日手入れして切り揃えていたのに、今の体の主に頓着はない。
 
 いつもならば、処理を促す小言を口走って口論にまで発展していた。
 イオは黙って頭部の感触。魔女の指から伝わる熱に硬い心を解きほぐしていた。

『頭って撫でられると気持ちいいね』
「そうかもな」
『ねえ。撫でてあげようか?』
「調子に乗るなヴァイオラ花草(かそう)」
『あーもー! 全部言うな! イオだってばイ・オ』
「いい名前じゃないかヴァイオラ。お前は自分の名を名乗ろうとはしなかったからな」
『・・・・・・前の名前は嫌いなの。昔のお婆ちゃんみたいだし』
 それに、全然私らしくないよ。イオは消え入るように口走って三角座りで膝を抱きしめた。

「己の名を悪く言うな。名とはその対象を最も端的に表現するもの。軽はずみな否定は自己の否定だ。愚かしい事でしかない」
『そんなこと言ったってさ』
「お前はバランスが悪すぎるんだ。注力すべきうあ均衡の維持ではなく、不安定さを認めることだ。どう足掻いたところでお前の人生だったんだ。縛りを遵守しても得られる物などなかったろう」

 イオからすれば、珍しく魔女が真面目に受け答えをしてくれていた印象を受けた。
 お屋敷に貸し出される前には、一言二言でケンカ。三言四言で大ゲンカは茶飯事だ。
 イオ―――魔法人形―――は、隣であぐらを掻く魔女を仰ぎ見た。
 黒髪はボサボサ。クマは酷いし欠伸ばかり。口を開けば「うるさい」「黙れ」「面倒臭い」「眠い」。
 頑として服は着ない。柄が異なるブラとショーツ、たまにマントを羽織っているだけだ。
 好きな時に寝て、気が向いたら起きる。
 大きなテーブルに散らかした草花やその他を混ぜ合わせて怪しげなクスリを調合し、暇になれば人形相手に本気の口論。
 必要ないからと食事は摂らない。風呂にも入らないし、洗濯もしない。
 イオが知る限りは、飢えて痩せ細るようなこともなければ、体臭が部屋に充満したこともなかった。

『あなたは雲みたいな魔女ね』
 イオがからかうように口走った。
『普段は自由で、宙に浮かんで青空を独占していて、大きくなったり、小さくなったり、いなくなってしまったり。時々寂しくなると地上を覆い尽くして意地悪するの。構って欲しくなるとちょっかいをかける。怒ったらゲリラ雷雨。それから嵐、台風、ハリケーン』
「ふん。偉い言われようだな」
『でも作物を育てるために雨を降らせてあげることもある。真っ白な雪を降らせて太陽の暖かさを思い出させてくれることもできる。あなたは凄いのね』

 魔法人形が人差し指を引っ張っている。指で弾いてから魔女は大きな欠伸を吐き出して、人形とは別方向に顔を向けた。
 弾かれて転がったイオには、黙り込んだままの魔女が可笑しく感じられた。
『照れてるの? もしかして』
「うるさい。黙れ。面倒臭い奴だな。あたしは眠いんだ」

 案の定の口癖にイオは声に出して笑った。
 久しぶりに彼女は笑えていた。
 実に。生前から数年間ぶりのことだ。

 笑い声は次第にシフトする。泣き声へのグラデーションカラー。色彩はセピアとモノクロの等配合だ。

『あのさ、聞いていいかな。なんであなたは私の姿を選んだの?』
「そうだな」魔女は間を空けて、噛みしめるように紡ぐ。
「お前にとってのユリーシャや人形たちは価値のあるもので、生前の姿はそうではなかった。あたしは人形に救いを見いだせないが、お前の姿は使い勝手が良さそうだった。価値観の不一致。それだけのことだ」

 泣いても涙は流れない。声が震えることもなかった。

「もしも。お前があたしの姿に生前の自身を見ているのならば、それはお前自身が勝手に抱えている荷物だ。今のあたしには、お前の過去など欠片の繋がりもない」

『ただの他人の空似ってこと?』
「自分の空似だろうな。お前自身を模してはいても、再構築したものは全くの別物だ。生命としての個人は外観と中身が加減乗除された流動体だ。元は同じでもあたしとお前は全く違うモノだ」

『そうなのかな』
「お前の哲学だろう? 人形に宿る記憶、伝播する感情。想いが募るのは人間の心。この身への想いの総ては、お前に降り積もった三十余年の人生だ。あたしにはそれはただの記録だ。イオとしてのお前にも記録でしかない。取捨選択すればいい。全部を持って行く必要も義務も人形には科せられてはいないよ。そんな小さな体には好きなものだけを詰めておけばいい」

『・・・・・・慰めてくれてるの?』
「それはあたしの役割(キャラ)ではないだろう」

 魔女は問いかけに応えずに立ち上がるとバルコニーの端から下界を見下ろした。
 挙動も数秒間で、興味を失ったように家屋に唯一の扉を大きく開け放った。

「体は動くだろう。なら水でも汲んでこい。そろそろ尽きそうなんだ」
 乱暴に放られた手桶に、ひとつの指環(ゆびわ)が転がっている。

『私でいいの? 時間掛かるよ』

 魔女は構わないと言い捨ててから扉を閉めた。

「時間ならいくらでもある。あたしとお前にはな」

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