魔法人形は、異世界で少女の夢を視る。/十一

【人形と魔女 後編】 

「やはりお前は気に入らないな」
 吐き捨てるように魔女は立ち上がった。
「自己を殺して虚言に酔いながらあたしを体よく使おうとしている。欠片も思っていない虚構の願いを叶えさせるために、あたしを利用している。そんな奴の願いを、誰が叶える? 魔女への冒涜だ。死ぬ価値すらない」
 表情は険しい。
 人形は、元の時分の顔に辟易していた。嫌悪すら抱く。
「お前は永久に生き続けろ。老いず死なない人形の身が朽ちるまで己の罪に焼かれるのが相応しい末路だ。時間だけは死ぬほど有り余っている」

『やっぱりあなたなんかに頼むんじゃなかった。あなたは人でなしの詐欺師』
「構わない。あたしの性分だ。自分を偽るくらいならば、他人を欺くのがあたしだ」
 人形の彼女を掴み上げ、目線を同じ位置にする。
「あたしの命と力は、あたし以外に使い方を決められないんだよ。お前だって、そうしてきたんだろう? 職場で求められる。それが欲しかったのだろう?」

『ちがう』

「人形たちの語りかけがきこえている錯覚に浸るのが楽しかったんだろう?」

『……ちが、う』

「求められることを求め、求めに応じて心魂をすり減らす。お前の本質は他人本位な人形そのものだ。操り手を求めるなど不快の極み」
 一言一句が針のように刺さる。頭の中で木霊した。
「身はもろとも、魂は最初から人形」
「己自身を御することは眼中にさえない。だから死を求めるのか。死への逃避」
「自分を詐称するなど、愚か過ぎて話にならない」
「それがお前の罰ならば、いつまでも陥ればいい」

 だって、、、
『だって仕方ないじゃない!』
 人形は胸の内を叫んだ。
『私には自分を認める価値がない! 誰かに認めてもらわなければ生きている価値もないもの! 価値を認めてもらうには、頑張り続けるしかなかったの! じゃないと、あの時みたいに棄てられて終わり』

「それで人形に依存したのか?」

『―――そうよ』
『あの子たちはなにも言わない。なにも求めない。そこにいるだけ。それだけで良かった。私の感情を押し付けても壊れない。愛情を押し付けても居なくならない。いつでも、私だけを見て、愛してくれる。だから、私もあの子たちを―――』

 乾いた雑巾を搾るように喉を震わせる。
『勝手な妄想よ。どう取り繕っても痛いし、頭どうかしてるわよ! でも仕方ないじゃない。私は他の生き方なんて知らない。この生き方しか知らなかったんだから……』

「あったじゃないか、お前の価値が。人形を愛してやる感情。対物愛を自覚しつつも、度を超えずに向き合いながらの共生。常人は人形を人間の代わりにする。人形の在り方としては正しいのかもしれないが、お前は違うんだろう。人形を人形のまま愛すし、人間じゃないことを自覚している。だったら、それはもうひとつの特性だ。才能(ギフト)と呼べるものだ」

『だから、どうなるのよ。居ないんだよ。もうあの子たちはどこにもいないんだよ! あの子たちが生き甲斐だった。つまらないだけの人生から助け出してくれたんだ。人形を愛する才能!? それでどうすればいいのよ! あの子たちを取り戻せるの!? そんなわけないよね!』

「再現することはできる。でもそれはお前の人形ではないし、お前も認めはしないだろう」
『当たり前じゃない! あの子たちは、もう』

 彼女の嗚咽だった。

『ねえ。私なんでこんなところにいるのよ。なんで転生とかしちゃったの! 記憶持ったまま異世界で、大好きな人形の姿で転生。しかも人形はとびきりに可愛い姿で……。嬉しいよ。絶対に叶わない夢が叶ったんだから、嬉しいよ! チートも無双も成り上がりもスローライフもいらない。成れただけで、幸せ。でもなに? 頼んでもいない夢を叶えるための代償があの子たちを全焼させることって? ふざけんなよ! 要らないよ。あの子たちと離れるくらいなら、こんな夢なんか要らないんだよ! なんなのかな、これ? あの子たちを守れなかった罰。それとも呪い? 最悪だよ。こんなこと悪質過ぎるよ!』

 三十歳超えたら急に涙腺緩くなってさ。
 あの子たちの前でも何度も何度も泣いてきた。
 それだけ泣き虫で。
 しかも、こんだけ怒ってるのに、、、
 涙、流れないの?
 人形だもんね。痛みも空腹もないから当然なんだろうけど。
 泣けないって、苦しい。
 どうしていいか判らなくなる。

『ユリーシャちゃんに、会いたいよ。みんなに会いたいよ! 体が痛くてもいいし、朝起きるのが辛くてもいいよ。今すぐ会わせてよ! あなた魔女なんでしょ? できないことないんでしょ! だったら私をマンションに帰してよ!』

「過去に戻ってもお前は何も変わりはしないぞ?」
『変わらなくたっていい! 助からなくたっていい。もう一回だけ抱っこさせてよ! なんでこんなに苦しいのよ、、、教えてよ。あなた魔女なんでしょ』

「そのくらいも感じられないとはやはり馬鹿だよ、お前は。苦しいのは、お前が優しいからだ。優しいから許せなくて、すべての責を背負ってしまう。そして、お前がお前を責め続けているからだ。楽になりたければ許してやれ。充分以上に苦しんでいるのだからな」

『許せるわけ、、、ないじゃない』

「お前はもう、苦しまなくてもいい」

 人形は涙を流せない。瞼を閉じることも、眠ることもできなかった。
 しかし、彼女は違う。
 動くこと、話すこと、表現することも労働もできる。
 悲しみを感じることもできた。
 泣くことも、嘆くこともできた。
 自身を責めることもできた。
 心の傷を、体に刻み、慟哭する彼女の声は葬送たり得るのかを知る術はない。
 魔女の慰めるような言葉にも、彼女は縋らない。
 かたくて体温を宿さない身を抱きながら、赤子のように泣いていた。

「だぁぁもぅ鬱陶しいし忌々しい!」

 無防備で無抵抗なわたしを見て魔女は苛立ったようだ。
 乱暴に近寄って、わたしの体を握り締める。

「どうだ、痛いか?」
 痛くはなかった。圧迫感は覚えつつもそこに苦痛はない。
 わたしが首を振ると魔女は、よく見知った顔を近づけた。
 眉根を寄せ、目の周りの筋肉を歪ませて恐ろし形相を作り出す。、

「だからお前は空っぽの人形なんだ。あたしは挑み続ける。全能な魔女としての存在総てを賭けてな」

 わたしを握りしめたまま魔女は物置部屋を盛大に漁って、古びた細いナイフを手に取り、指先を突いた。
 米粒大の血の球が生まれると、魔女は血でわたしの胸をなぞっていく。

「あたしが大嫌いなものが幾つかある。色んなことを何かの所為にして逃げてる奴だ。他人とか建前ばかりを気にして結局自分では何もしない。そういう屑があたしは大嫌いだ! 癇に障る、腹が立つ、ムカつく!」
『っあ!!?』
 邪悪に歪む顔。
 なぞられた箇所が、暑い。熱くなっている!
 非常に高い熱を帯びていた。ケトルの熱湯をかけられているようだ。

「痛みを思い出させてやるよ人形。人間じみた疑似感覚を植え付けられればお前もくだらないことをほざけなくなるだろう?」

 魔女の狂気じみた独り言に耳を傾ける余裕もない。
 熱が全身を飲み込んだ。溶鉱炉に放り込まれた気分だ。
 体が痙攣を起こす。
 体の中に筋が走り、ひとつひとつにマグマが流れている。

 イメージが繰り返される。
 生きていた頃の現実世界。
 小学生の頃。友達の人形が羨ましかった。
 中学生の頃。初めて好きな男の子ができたけど、なにもできないまま。
 高校生の頃。友達がたくさんいて、毎日がなんとなく早く過ぎていった。
 大学生の頃。初彼氏ができて、一緒に寝て、卒業して就職したら、このまま結婚するとか夢見てた。
 社会人になって。最初は全部に全力をつぎ込まなければ何もできず、収入と支出とストレスだけが増えて、セフレと化した彼氏は女を作って消えた。

 そして、彼女らと出会った。
 彼女らと再会できたんだ。

 人形(ドール)たちの容姿容貌が鮮明に蘇る。
 初めて家に連れて帰ったとき。
 着せ替えさせてもらったとき。
 彼女らの人形部屋を用意したとき。
 ネットで最後の一人を取り寄せたとき。
 秘密の隠し部屋を作ったとき。
 彼女らに話しかけるようになったとき。
 仕事から帰って隠し部屋で寝落ちするようになったとき。
 うっかりケガをさせてしまい、直すのに四苦八苦したとき。
 煙が沸いて、彼女らを連れ出そうと覆いかぶさったとき。

 ゆっくりと過ぎる。

「気は進まないが訂正しておいてやる。お前は現実とやらで死んで人形へ転生した。それと神がどう関係していると証明するつもりだ?」

 魔女が言葉を荒げて続けた。

「神などない。自分の人生を生きるには、自分の力が最も重要になる。誰かのせいにするな。お前が死んだのはお前が逃げなかったからだ。お前が人形に転生できたのはお前が強く望んだからだぞ!」

 あの人形(ドール)のことを思い出した。
 初めてもらった、ハンドメイドの人形(ドール)。

 あの娘(こ)を見た瞬間に、わたしは人形になりたいんだと思っていたんだ。

『そ、……かな』
「異界最高の魔女が保証してやる。お前は自分の意思でこの世界に来たんだ。だから精一杯足掻いてみせろ、人形!」

 それが魔女の台詞だとわかっているのに、
 私の目に映るのは、あの人形(ドール)ちゃんが言ってくれているようで、嬉しくなった。

 熱が高まって、私は眠りに堕ちた。
 いつもの眠りだ。

 

 眠りの世界で、私は何度も人生を振り返る。
 いつも誰かを探していた。
 なにかを求めていた。

(ユリーシャちゃん!)

 耳が尖った金髪エルフの狩人は笑顔のままで彼女を見ていた。

 彼女はミシキ スミレのままなのか。
 それとも魔法人形の姿なのか。
 懸命に手を伸ばしてもユリーシャには届かない。

(わかってる。だって、これは夢だから、、、)

 諦めて手を引っ込める。
 黒い煙が充満して、部屋は焦げ臭さだけになる。

 結末は見えていた。

(この後、私は死んで、異世界の人形に転生する)
 人形に転生して、魔女と言い争って、ケンカして。叱られて。落ち込んで。

 自分の顔が嫌いだった。
 自分の性格が嫌だった。
 根暗で、人当たりばっかり良くて。
 本心を出したことなんか一度もなくて、
 親の前でだって嘘の姿をしていた。

 誰かを信じることの意味が分からない。
 周りの皆が当たり前にできていることが、私にはできないのだ。
 苦しくて、苦しくて。
 何が苦しいのかも理解できない。

 でも、あの子たちの前では、私は自由になれていたんだ。

『私はユリーシャたちが大好きです』

『あの子たちのことが、本当に大切なんです!』

『あの子たちといるときだけが全部だった。私の全部を曝け出せていた』

『あの時間が好きだった。あの子たちが好きなんだ!』

『だから。あの子たちが好きな私は—――私のことも好きでした!』

『ユリ―シャちゃんたちのおかげで、私は私のことを好きになってあげることができました!』

 手を伸ばした。
 夢の中、眠りの淵。
 これはすでに私の記録の一部。結果が変わることはない。

(それでも、私は手を伸ばすんだ! だからこそ手を伸ばすんだ!)

 だって、私はあの時、絶対にみんなを助けることをあきらめなかったのだから!

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