月の海で溺れてる、わたしの傍には女神さまがいて・・・。/Epitaph

「弥世川の守り主」


 大好きなおばあちゃんは不思議な人だった。
 ご先祖様とかは大事にしていたのに、神さまとかは、あまり信じていなかったのだ。
 亡くなったおじいちゃんの仏壇にも、ちゃんと毎日手を合わせてる。

『あれは、ただの挨拶みたいなもんだよ。おはようとか、元気かとか。だって他にやり方って知らないしね。電話がつながるんなら掛けるけどさ』

 おばあちゃんは月に一度は必ず、仏壇に大福をお供えしていた。おじいちゃんの大好きだった大福。お供えしたあとは、おばあちゃんと一緒に大福を食べた。おじいちゃんのために買ったのに、食べちゃっても良いのかと訊ねる。

『あの人は早食いだったからね。大福なんて二分で平らげるさ。まあ、本物はもう食べられないけどね』
 
 おじいちゃんは弥世川(みよがわ)からあの世に行ったの?
 大福の最後まで頬張ってお茶で流し込むと、おばあちゃんは笑った。

『そうかもね。まっすぐ進むしかできない、自分を曲げられない頑固爺さ。でも優しい人だった。あの世でも楽しくやってくれてりゃ言うことはないけどね。あんたは爺さん似だからね、要領よく生きるなんて無理な相談だよ。諦めな』

 中身を射貫かれたようで、胃の辺りがチクチクした。

『また麗子(ママ)とケンカしたんだろう? 顔に書いてあるよ。麗子(あのこ)はあたし似だから、あんたとは反りが合わないことも多いだろうね。あたしとだって、何回もやり合ってるよ。母娘(おやこ)はそういうもんだよ』

 おばあちゃんには何でもお見通しだった。
 ママと言い合いになって、家を飛び出して、おばあちゃん家(ち)に避難する。
 避難のたびに、おばあちゃんにも迷惑をかけている。

『あんたの、くよくよは善弘(よしひろ)さんに似たんだろうけどね。あんたは自分が納得するまで考えないと前に進めない人種だ。だから、この先はしんどいよ? 覚悟しときな』

 わたしが小学生くらいの時は、よくおばあちゃんのお家(うち)に遊びに行っていた。
 ドラマの中の名刑事か、法医学者か探偵か、おばあちゃんの推理はいつも完璧で、わたしとママのことなんかは全部お見通しだった。一緒に夕方の再放送ドラマを見ながら、饅頭や煎餅をご馳走になっていた。

 おばあちゃんは基本クールだった。達観とはやや違う、ドライな空気を持っていた。
 構い過ぎるわけでもなく、邪険にすることもない。わたしにとっての「良い距離感」を、何も言わずにわかって、保ってくれる唯一の人だった。

 ママは、わたしがやること成すことを全部気にしていた。わたしが失敗するとすぐに叱られていた。小学校に上がって、その傾向は強くなる。とうとうわたしは人生初の家出を敢行し、おばあちゃんの家に避難した。

 あとでめちゃくちゃ怒られた。

 でも、ママのことをキライになることはなかった。ママは幼稚(こども)なわたしを心配していたのは痛いほど伝わっていたからだ。

 以来、ママとケンカして家を飛び出すときはちゃんと「おばあちゃん家に行く」と捨てゼリフを吐くようになる。クールなおばあちゃんが笑うほどおかしな母娘ケンカらしい。

 それから学校帰りにまでおばあちゃん家(ち)に立ち寄ることが多くなる。
 ママが心配しすぎるから、夜の七時までには帰るルールも守っていた。

 おばあちゃんが弥世川(みよがわ)を通るときに、必ず橋の上で挨拶を欠かさない。なにかが奉ってあるわけでもなく、祠(ほこら)や社(やしろ)があるわけでもない。ただキレイな川におばあちゃんは、なにかを祈るように目を閉じていた。

 そして教えてくれた。

『弥世川(みよがわ)は、この世とあの世をつなぐ、清い場所だから、絶対にぞんざいに扱ってはいけない。
 ゴミを見つけたら拾いなさい。自分が棄てるなんて論外。
 特に満月の夜は気を付けなさい。弥世川(みよがわ)の守り主様の孤独に魅入られるよ。守り主様に魅入られたら、あの世に連れて行かれて、二度と帰ってこれなくなるからね』

 あの世って、なに? どんなところ?

『さあね。こちらとは違う場所だよ』幼かったわたしの好奇心を満たせる答えは得られなかった。

 中学校、高校、短大。入学と卒業を繰り返していくうちに時間が経過して、おばあちゃん家に行く回数が少なくなった。弥世川(みよがわ)は通過するだけの場所に変わっていた。

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