魔法人形は、異世界で少女の夢を視る。/八

【ミシキ スミレ】

 左手には紙袋いっぱいのワインとおつまみ。右手には駅前のスイーツショップで予約していたガトーショコラ。
 肩にかけた大口のトートバッグ。背には小ぶりのリュック。
 全身に重りを付けたような有様でバッグを探って、取り出した鍵でスミレは部屋の扉を開いた。

「はぁ」

 ただいま代わりのため息。白熱色のセンサーライトに出迎えられて後ろ手に鍵を閉めてからヒールを脱いだ。
 荷は適当に下してから、まずは冷蔵庫にケーキを保管。

 スーツはしわを伸ばしてハンガーにかけ、除菌消臭スプレーをたっぷり目に振りかける。
 じんわりと滲む汗が肌にまとわりついた。
 夏の夜。閉め切られていた部屋の温度は拷問も同然だ。

 冷房をつけてから、スミレはバスルームに入る。浴槽に三角座りで温めのシャワーを頭から被るのが彼女のリラックスタイムなのだ。

 髪と体を乾かして、冷蔵庫のケーキ。それに職場で頂いた赤ワインを持って彼女は寝室へ。
 寝室奥にあるウォークインクローゼット前で深呼吸しながらドアノブを回した。

 
 ※

 

 体を動かすものがふたつある。
 強靭な意思と、繰り返される習慣である。

 体の関節が痛む。腰と首の起床時痛は日に日に強くなっていく。寝不足のためか頭痛も酷い。
 身を起すのも辛いが、横になっていても症状は緩和しない。
 だから彼女は稼働するのだ。
 どうせ結果は同じなのだからと、彼女は労働への義務と雇用先への責任感を優先させていた。
 手早く手慣れた最低限の身支度。髪の手入れも化粧もが面倒で仕方がない。
(女なんて、面倒なだけだ―――)
 目の下のクマ。肌の荒れ。夜ごとの飲酒がむくみを喚起する。
 疲労は抜けない。
 バイオリズムは整わない。
 朝食は摂らない。時間はあっても食欲が沸かない。買い貯めたゼリー飲料をバッグに詰めて、
「じゃあ行ってきます」
 彼女はいつも通りの時間に住まう部屋を後にする。

 
 仕事漬けの毎日。
 出勤は朝一番。月末月初の仕事を滞りないように進めておく。息抜きに地味な効率化作業を淡々とこなすことで始まる。
 元々やりたいから始めた仕事ではなく、好きなことでもない。
 食べるために。生きるためにやっている。
 運良く、出来るから。または運悪く、出来てしまった続けているだけの作業だった。

 そして彼女の思考論理では「出来る者がやるべきだ」と深く根差されていた。
 誰かに教え、説明するよりも自分で取り組むが早くて確実。
 スキルだけが身についた。

 いざ業務が始まるとリーダーとして機能する。スタッフ、クライアントの状態・状況を鑑み、即座に判断。仕事を割り振る。
 
 休憩時間がないこともまま。夕食ともしれぬ時間にコンビニで買ったサンドイッチを百円コーヒーで流し込む。
 業務終了後は自主的な残業。朝の作業の続き。

 任されることも、頼られることも多い。
 身に余るような評価を得た。ありがたいことに給料も上がった。

 嬉しくも楽しくもない。
 全部が重荷。重圧が過ぎて、嫌になっていて。
 続けることしか選択肢がないんだと、彼女は擦り減らされていく。

 電車での通勤約1時間も堪えるが、職場に近くなるなんて理由で引っ越したくない。
 負けた気がする。
 電車に揺られる間、ネット通販で商品を物色。
 お金はそこそこある。
 住む場所もあるし、仕事も一応長く続いていた。

 オトコとかいらない。
 小学校からの友人がオトコとの写真をSNSに上げていたけど何も感じなかった。
 焦がれるような恋愛をしてみたいけど、どうやら向いてない。
 都合のいい女なんて、もう二度と勘弁。

 色んなことを押し付けたいだけだ。
 物言わず、受容してくれればいい。
 何もしなくていいから、傍で、許してほしいだけ。

 人間では多分ムリ。
 人間相手では、彼女は反応を欲してしまうことは嫌というほどに味わっていた。

 
 彼女は、人形(ドール)に救いを求めた。
 どこかの店頭で、ショーケースに飾られた人形(ドール)に魅せられて、救いを求めたのだ。

 ※

「痛っ!」

 ゴンと額に軽い衝撃。半覚醒で様子をうかがったが変わったことはない。パソコンラックの前で眠りこけて、台の端に額をぶつけたようだ。  
 無防備な所への一撃にしては痛みは少ないと目を擦ると、大切なカノジョを押し倒していることに驚いて急いで助け起こした。

「ユリーシャちゃん大丈夫!? ケガない!?」

 ユリーシャ・マヌカを両手で包み前後に、上下動かして頭の先から足裏までチェックする。
 尖った耳が折れた様子はない。指先が欠けたり、球体関節も無事だ。
 左手に握る大ぶりの弓。腰ベルトに吊るされた矢筒と矢も難を免れている。
 
「よかった! 本当によかった!!」

 体高二十センチ。精巧な金髪美少女の人形(ドール)に彼女は謝り倒す。
 ノースリーブのベストと、ショートパンツ。日焼け知らずの白い肌とガラス玉の青い眼球。
 ユリーシャ・マヌカ。エルフの弓使い。ライトノベル原作のキャラクターを可動人形として商品化した逸品で、

 同時に彼女の唯一の親友だった。
 付き合いはちょうど五年になる。

 五年前の誕生日。
 通りかかった店の店頭で見かけて、言葉を失った。

 運命の出会いがあるのならば、この瞬間を除いてはないのだと彼女は店に駆け込んだ。

 造形(フィギュア)にしても人形(ドール)にしても値段はまちまち。
 造形(フィギュア)は五~六千円で購入できる。
 一方、人形(ドール)ともなれば四~五万を超えるなんてざらにある。

 ユリーシャ・マヌカ。ゼロが四個。その前の数字が十三。
 安い買い物ではなかったが彼女は迷わずにクレジットカードを提示して、ユリーシャとの同居に踏み切った。

 見れば見るほどに好意は深まる。
 ラノベ原作を読んで、ボイスコンテンツも集めた。
 明るくてはっきりしているエルフのお姉さん。 細かいことを気にしないムードメーカーであり、いざともなれば得意の弓矢を用いた超長距離の百発百中にてパーティを守る。
『へーきへーき! 気にしない気にしない!』が口癖。

 原作登場シーンでの挿絵ポーズを再現させて、ボイスを再生すると興奮に打ち震えた。
 毎夜ごと、ドールハウス内の壁掛け時計―――リングウォッチを埋め込んだもの―――が3時30分を示すくらいまでは部屋にこもって人形たちと交流する。
 そのまま、きっちり二時間は机で寝てしまうように習慣づいてしまった。
 連日仕事の癒しに彼女たちをお世話させてもらうのが生き甲斐だ。

 体力が回復しなくなっているのは質の高い睡眠がとれていない為と思われる。
 家に帰ってさっさと眠ってしまえばいいのだが、彼女たちと会えないのは苦痛だ。拷問も同じ。
 最近は特に酷い。職場の過労とストレスが尋常ではない。
 酒だとても誤魔化しきれない。
 あたしの癒しは、賃貸マンションにこっそり設けた隠し部屋で、趣味のかわいい人形さんたちと妄想内で戯れることだ。
 むしろ今は、そのためだけに生きているも同然だ。

 酒と見栄を通すための衣類以外に使う当てのないものだ。
 
 特別感を欲していたのだ。
 日常の生活空間に隣接しながらも、全くの異界。
 
 この部屋に他人を入れることはないし、施錠できるようにもしてある。
 ここには誰も踏み込ませない聖域。
 姪っ子(姉の娘)がどんなに泣き喚いても却下だ。
 わたしだけの楽園。
 わたしだけの、セカイなのだ。

 明日も―――いや、今日も仕事だ。たった二時間くらいだけど、朝の六時までは寝とかないと。

「じゃあね。おやすみなさい」

 明かりを消して、クローゼットを出た。鍵を閉めて、パイプハンガーラックをとの前まで引きずって、ベッドに倒れこんだ。
 目覚ましはスマホ機能だけで充分だけど必要はない。
 だって、もう体は起床時間になれば、勝手に覚醒するのだから。

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