魔法人形は、異世界で少女の夢を視る。/七

【ヴァイオラ花草】

「お嬢様。マリーお嬢様」

 マリーが侍女に起こされるのは久方ぶりになる。新しい人形が増える度に少女は夜遅くまで人形たちと語らっていた。
 新しく屋敷に来た子がすぐに皆となじめるようにとマリーなりの気遣いなのだ。

「メイ、、、?」
「おはようございます。お嬢様」

 ぼやけた意識のまま少女は嬉しげに表情を緩ませていた。

「もう直に朝食の時間ですよ」侍女の声がどこか遠くの出来事のように錯覚していた。
「早く準備をしないと、もう一人の侍女ルリがお嬢様の分まで平らげてしまいます」少女はまだ夢の中にいて、いつもの朝の光景を映像として見ている。
 以前にもあったような体験。居心地が良い既視感。まぼろし。
「マリー様。ユリーシャ様も心配されていますよ」
「ユリーが?」
 侍女は短く返す。
 なかなか起きようとしない少女を心配して、額に手を当ててみた。
「お嬢様。もしかしてお辛いですか? 少々熱が高いようですが?」
「大丈夫よ」マリーは柔らかいベッドに手をついて身を起した。
「ごめんね。昨夜は少し夜更かしをしてしまったの。楽しくて楽しくて。いつまでも眠りたくなんてないって思っていたの」
「そうでしたか。今朝はごゆっくりなさいますか?」
「ううん大丈夫よメイ。わたし、ちゃんと起きれるわ」
 絨毯の上にちょこんと足を下ろすと、少女は密やかな欠伸を漏らした。
「お嬢様。先にお顔を洗いますので」

 マリーは飾り棚の一番端に鎮座したビスクドールの名前を呼びかけてから、陶器の手を優しくとった。

「ユリー。なんか変わったね」

 昨晩。月とランプの灯だけでは気付かなかった親友の姿。陽光の下ではさらに煌びやかで愛らしく映っていた。
 同時に飾り棚を端から端までに目を走らせた。机や引き出しの中。ティーテーブルの周りやベッドの下まで。

「お嬢様。あの……」
「メイ。イオは行っちゃったんだね」
「森の魔女様がお迎えにいらっしゃったようです。おそらくは昨夜の内に」
「なんだ。イオ帰ったのね」

 マリーはビスクドールの手を離してから、手桶の前の椅子に掛けた。
 侍女は手拭いをぬるま湯に漬けて少女の顔を拭って、束ねたままの髪を解いた。
 
「イオ様と名をお付けになられたのですね」
「……そうよ」
「素敵な名前ですね」
「本当はね、別の名前にしようと思ったの。でもイオは男の子の名前みたいだって抗議するから」
「お嬢様が折れたのですね」
「うん。でもね。イオの方が可愛らしいわ。だってイオはあんなにも清楚で素敵なんですもの」
「そうですね。とても素敵な方でした」
「メイ」

 マリーはブラッシングする侍女の手を止めて、少女自身の指を絡めた。
「お嬢様。どうされたのですか?」
「ありがとう」
「……エリュシオン家にお仕えして、お嬢様に尽くすのがわたくしの仕事ですので」
「うん。あと、、、ユリーシャのことも。ありがとう、メイ」

 侍女は震えそうな手と、発露する感情を無理に押し殺していた。
 この頭の良い少女なら、メイの深層心理を読み解くなど困難ではなく。
 メイは落涙を覚える強い衝動が、すでに少女に露見していることを知り、敢えて無表情を貫いた。
 いつもの鉄面を張り付けて亜麻色の髪のブラッシングを続けていた。

 そんな強がる侍女が愛おしくて、少女は声を上げて笑ってしまう。
「ねえメイ。今日は庭園に出てお昼を一緒に食べるのはどうかしら? ルリにサンドイッチを作ってもらって、ゴードンに軽業を見せてもらって」
「奥様もお誘いしませんと。わたくしがお茶をご準備いたします」
「うん。とっても楽しくなりそうね」
「お嬢様。ユリーシャ様は?」
「もちろん一緒よ。食事を摂って、お茶を頂いた後は、ユリーと一緒に庭園を回るわ。だって今は、ヴァイオラ花草(かそう)が綺麗に咲いているのだから」

【ある話の結末】

 少女はきっと誰かの助けを借りなくとも、自分の力で「この場所」にたどり着くことができた。

 時間をかけて、ひとりの力で壁を乗り越えることができた。

 周りの大人はそれを知っていた。

 少女は賢いから。利発な子供だと認めていたから、少女が乗り越えることを願っていた。

 そんな少女を見て、ひとりの人形が口にした。

「大丈夫だからって、手を貸してはいけないことにはならない」

 月明かりを、窓が切り取られた光りの舞台で二人は出会った。

 人間と人形としてではなく、

 一個の生命として。

 感情は猛く燃え上がり、

 用をなさない倫理を噴煙で覆い隠す。

 業火の中で取り残された『彼女』の小さな手で救えるものは、実に薄弱だ。

 望んでもつかめなかったものがある。

 望まなければ掴めないものも、確かに存在しているのだ。

 少女は必死に手を伸ばす。

 持たざる物と引き換えに得たのは、手を伸ばし続ける力なのだから。

 少女ならば、きっと届かせる。

 きっとその小さな手は大事な『ひとつ』だけを掴めるようにできているのだから。

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