魔法人形は、異世界で少女の夢を視る。/十八
【祭りの夜、そして……】
『お祭り?』
「村の人達が、わたしのために?」
イオとマリーは同時に問いかけてから互いに目を合わせてから逸らした。
侍女は心中でため息をついてから「はい」と答えた。マリーに夕食の時刻を伝えるために部屋を訪れて、ついでに要件を告げたのだが。
『……、……』
「……、……」
魔女から譲り受けた魔法人形と、仕える貴族令嬢の空気が妙な空々しさを孕んでいるのが、この数日抜けない。
気分転換になればよいとの想いは叶いそうになかった。
「お嬢様は、お加減さえよければ是非出席して頂きたく存じます。祭りは収穫祭を兼ねてはおりますが、お嬢様のお見送りが主題です。旦那様も奥様もご参加なされます」
「うん。もちろんわたしも参加するわ。最後くらいはきちんと挨拶したいもの」
マリー。主賓である領主令嬢であろ少女は快諾した。ここ最近少女は体調の悪化を全く感じることはなかった。
興奮することで咳が止まらなくなって、やがて気を失うまでに至るのだが、気持ちは安定していた。
魔女から処方されていた薬の効果はある。
ただし。少女は婚約の折に、生まれ育った地を離れねばならなかった。
王都からほど近い保養地。セドリック=ガーデンが治める湖畔の別邸。
名のある名医を待機させて、少女好みの部屋まで設えている徹底ぶりだ。
貴族として、エリュシオン家の息女としてマルガリーテスが申し出を受けない選択肢はなかった。
「イオは、どうする?」
喧嘩をしたわけでもないのに、少女はやや遠慮がちに問うた。「ドレスの下に潜り込めば雰囲気を楽しむことくらいはできると思うわ」
人形はじっと少女に目線を合わせてから、僅かに頷いたる。
少し前であったら、少女は人形を抱き上げて顔を摺り寄せながら無理に押し切るように誘いをかけていた。
が。
「そう、よかったわ。念のためにイオが隠れられるバスケットも用意しておくわね」
『うん。ありがとうマリー』
少女らは部屋を出たことでイオはサイドテーブルの自分用のベッドに横たわり、意識の蓋を閉じた。
喚起再生されるのはミシキスミレだった生前の記録ではなく、イオとして呼ばれ始めてからの人形の記憶。
マリー。
マルガリーテス。
イオの中にあるのは、少女に関する記憶だけになっていた。
記憶映像を幾度も再生していた。
薄くて硬い水晶硝子越しに、亜麻色の髪の少女が手を伸ばして、名を呼びかける。
よほど意識しない限りは、生前の映像を呼び出すことはできなくなった。
贖罪のように見せられていた苦味の強い記録映像。
触れられる距離に在って、絶対に触れられない。
意識の蓋を閉じた、夢の中でイオも少女の名前を呼んだ。
声は現実にも響く。
だから少女がいない時にしか、映像を呼び出すことができなかった。
(馬鹿馬鹿しい)
思いとは裏腹に行為を止めることができずにいた。
本物のマリーはすぐ傍にいて、イオが触れられる距離に在る。
望めば抱きしめてくれる。キスをねだることもできた。どちらも既に叶っていた。
(すき。スキ、――――――好き。好き? ……、……すき)
体の熱が治まらない。
胸の奥では、ないはずの心臓が鼓動する。
痛みではない。胸が啼くと苦しみが駆け抜ける。
肩から指先、足先にまで震えが走った。
(こんなに苦しいの―――なんで? なんで私が苦しいの? わからないよ!)
生前。若くして人生を全うすることは適わず。
不幸にも命を落とした彼女は、見目麗しい人形の躰に転生を果たした。
涙を流すこともできずに泣いて、苦しんで、魔女に八つ当たりして、人形としての第二生を投げ捨てようとまでした。
ようやく折り合いをつけて、この世界で生きれるのだと実感した矢先。
人形は少女と出会ってしまった。
共感し行動して、名を貰い、厚意を受けて、好きになった。
好意。
友人であり、親友としての。
また人形を愛する者同士としての友情だと認識していた。
始まりは、確かに友誼であったのだ。
今はもう、違っていた。
少女を想うと胸が痛みだす。
生前にさえ感じたことがない痛み。
楽しくて嬉しくて、もっと少女と一緒にいたいと描いていた数日以上前の感情は残っている。
しかし、喜びは総て苦痛を伴った。
同じ部屋にいるだけで泣き出しそうになる。
言葉を掛けられる度に嗚咽が漏れそうになる。
『マリー、マリー……マリー!』
あの日のウソ。
嘘の言葉。
ウソのキス。
少女が言おうとしたものが、イオの真意と重なるなどと、
『そんなこと、、、あるわけないよ』
あってはいけないのだ。
人形と人間。
一方通行であるならば単純な片思いで済む。
人形が意思を伝えることができなければ、それだけの蟠(わだかま)りでしかない。
人間など簡単な生き物だから、すぐに忘れることができる。
人形が意思を持って、人間を慕い、恋をして、愛に至ってしまった。
人間が、同じ人間ではなく人形を、一個の命として認知し、愛情に至ってしまった。
イオは必死に思考を働かせて、自身の不可思議な感情の波動を分析した。
肯定の論拠と否定の根拠を突き合わせて、整理した。
何十回。何百回。
何千回。何万回。
結論はいつでも同様の答えしか導き出せない。
(私はマリーのことが好きだ。好きになってしまって、それ以上に想っている)
結論は変わらない。
どれだけ自分を偽っても、心は無関心を装う以外の命令を受け付けることはなく。
枷が、想いを余計に育んでいくばかりだ。
『もう終わりにしないと。私は、マリーをダメにしてしまう』
ベッドにしているアクセサリーのケースから半身を起して、ベッドに腰掛けて物言わぬビスクドールに思いを馳せた。
ユリーシャ。生前のスミレが大事にしていた人形(ドール)と同じ名前を持つ。
少女の親友。
『ユリーシャちゃん。ごめんね。マリーのこと見守ってあげて』
優しく愛らしい目は、どこか咎めるように影が落ちる。
イオは叱られるような気持ちで一方的な考えを告げてから、崩れるようにケースに倒れこんだ。
※
村の広場に特設の舞台が作られる。
子供たちが収穫を祝う劇を披露した。
男たちは土地を守る魔女の木像に力比べを披露する。
巫女役に選ばれた幾人の娘が、奉納の唄を奏でる。
儀式が終わり、祭りは無礼講の宴会に転じた。
呑み、食い、歌い、踊り、そして肩を抱いて笑いあう。
酒が振る舞われて、料理が振る舞われる。
マリーにも料理の入った木皿が手渡された。
屋敷で口にする厳選された物とは違う、採れたての野菜サラダやスープ。
燻された肉。
塩漬けにされている魚。
出来立てのチーズ
それらを素材とした、屋敷ではお目にかかれない料理の数々に少女も両親も侍女も庭師もが舌鼓を打った。
村長の娘が、気まずそうに少女に近づいていく。
少女は、久ぶりに会った村長の娘に挨拶をしてから、微笑んだ。
村長の娘は泣き出してしまった。泣きながら謝罪の言葉を繰り返した。
少女の体のこと、少女が大事にしていた人形のこと。
少女は笑いながら、娘の手を取って感謝と別れの言葉を告げる。
村長の娘は再び熱い涙で頬を濡らして、別れの悲しみに専念することができたのだ。
少女の両親は、村人たちとの歓談の中にいた。
少女は腰かけた木の丸太で、侍女が差し出した木杯の水を傾ける。
「お嬢様。お疲れになられましたか?」
「少しだけ。こんなに外にいるのって、魔女様のところに行った時以来だから。魔女様の森ではそれほど疲れることもなかったけど」
少女は小さなバスケットを開いて、魔法人形を手に取って囁きかける。
「イオはどうかしら。疲れたりしていない?」
ヴァイオラ花草(かそう)の花びら色の髪が揺れる。
紫水晶(アメジスト)の眼は一点を見つめているだけだ。
「マリー様。イオ様はまだ……」
「うん。眠っているみたい。眠っているのよ。イオはお寝坊さんだもの」
少女の笑い方はいつもと変わらない。声の調子も、口角の位置も。
なのに侍女には、不安がつきまとう。
これでは、まるで少女が泣いているようではないかと。
「メイ。ちょっと散歩してくるわ。すぐに戻るから、ここに居てくれる?」
「お気を付け下さい」
「大丈夫よ。すぐに帰ってくるわ」
村の裏手から通じる茂みには祭りのための資材の残りが無造作に置かられたままになっていた。
茂みは獣道となり、祭りの喧騒からは徐々に遠ざかって行った。
バスケットを手に歩みを進める少女に迷いはない。
外用の少し硬い革靴のせいで足の小指が痛むのも気にせず、ずんずんと村から離れるように進む。
「もう聞こえなくなったわね」
もちろんイオへの言葉だ。人形は答えない。バスケットに合わせて姿勢を保持することもせず、揺れるに任せていた。
「イオ。イオ」マリーが人形の名を呼ぶ。話しかける。
土手に腰掛けて、バスケットを開き両手で掬い上げた。
蒼玉(サファイア)の双瞳が覗き込んでも、紫水晶(アメジスト)は呼応せずに、光を宿していなかった。
「イオ。どうして返事をしてくれないの?」
端正な顔。ヴァイオラ花草(かそう)の髪を愛でながら、人形を胸に抱く。
人形がいつものようにしがみつくようなことはない。
首筋を撫でるようなことも、もうなかった。
「どうしてイオはわたしに意地悪をするの? わたし知っているのよ。イオは消えてなんかいないこと。お人形さんの振りをして、わたしを困らせているんだって……」
少女は眉をハの字にして、幾度もその名を呼び続けた。
強く発せられていた声音は震えて、揺らぎ、涙声に変わる。途切れながらも何十度も「イオ」と喉を鳴らし、強く抱く。
人形は答えない。
「そう。そんなにわたしのこと嫌になっちゃったのね。だったら、もういいわ」
少女は人形をバスケットに戻す。
袖口で顔を覆うように涙を拭い、声を殺して嗚咽を漏らす。
耐えきれなくなって大きな声で泣いた。
地面に手を打ち付け、嘆く。
感情を隠すことなく吐き出して、悲痛な色を立ち上らせた。
「さようなら。もう、イオなんか大嫌い!」
祭りのために首を飾っていたネックレスを引き千切って、投げつける。
ネックレスが地面に転がるのも待たずに、少女はひとりで来た道を戻って行った。
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