魔法人形は、異世界で少女の夢を視る。/十五

【新しいドレスと口づけを】

「イオ。服を脱いで待っていてね」
「イオ様。こちらにぬるま湯を用意しておりますので」
『……はい?』

 森を抜けて迎えに来ていた馬車に乗り込んだマリーは疲れを隠せないようで、すぐに寝息を立てはじめた。
 人形のイオを抱えていた少女の腕が緩んだ。
 外歩き用の服を通して伝わる少女の体温に充てられた為か。
 朝方までの魔女とのやり取りが堪えた所為なのか。
 イオもいつしか意識の蓋を閉じていた。

 魔法人形のイオに備わった特異体質。
 眠っていても目に映るものや音に聞こえる物、匂いや感覚。それらの情報を得ることができるし、記録として保存もされる。
 瞼を閉じることができない代わりの能力とも解することができる。
 記録は好きな時に呼び出せる。誰かと会話しながらでも視ることができるのだ。
 集中していなくとも、自然に記録情報を手繰れる機能。
 イオの生前風に表現するならば「ながら動画観賞」に相当した。

 イオはまどろみの中で馬車が屋敷に到着したことを知った。
 起きだそうとしたときに、マリーが気遣ってくれた映像を見たので狸寝入りを続ける。

「メイ。そーっとね。イオが起こしてしまうわ」
「そうですねお嬢様。昨夜は魔女様と別れを惜しんでいたようですので」
「ふふ。お人形さんも眠るのね。なんだか素敵」
「では、わたくしは先に準備をしてまいります」
「ええ。お願いね。イオもきっと驚くわ」

(マリー。メイさん。ごめん! 全部見てますから!)

 ひそひそと密談する二人の年下女子。
 イオはハードルが上がり切る前に、目を覚ますことにした。

 ちょうどマリーの部屋に入って、
 ドアを閉める音を機に素知らぬ顔で起きだして、『ふぁ~よく寝た~』と小芝居までつけたのだ。

 程なくしてメイが入ってきた。桶とタオルが用意されていた。

「イオ様。お湯加減はいかがですか?」

 僅かに表情を柔らかくした侍女に、イオは鷹揚に頷いて手を上げる。

『最高! お風呂なんてもう久しぶり! いっつも水で体拭くぐらいしかできなかったから。あ~ハイボール飲みたい~……っ!』
「ハイボル、ハイボウル? なにかしら?」
「魔女様秘伝の薬液かなにかでしょうか?」
『いいの! ごめん! 忘れてマリー、忘れてメイさん! できれば二度と思い出さないで下さい!』

 桶の淵に手をついて乗り出し慌てふためく人形が可笑しくて、少女と侍女は顔を見合わせて笑みを交わした。

「イオは本当に可愛らしいわね。前はあんなに素敵だったのに。ね、ユリー」

 屋敷で過ごすための緩やかなレースをあしらった暖色系のワンピース。
 悪路にも負けない硬い革靴も、普段使いの足に優しい可愛い意匠のものに履きかえる。
 後頭部で丸くまとめていた亜麻色の髪も、いつもの三つ編みに戻して穂先をリボンで飾る。
 鏡と睨めっこをして納得してから、親友のビスクドールを指定席である少女の腕の中に抱き、新しい同居人の湯浴みを覗き込んだ。

「お湯に浸かれるなんてイオは本当に特別なのね。気持ちよさそう。ユリーも一緒に浸かれたらいいのにね。うん。わたしも一緒に入りたいな」
『マリーはともかく、ユリーシャちゃんは体が濡れるからダメよ』
「はーい。怒られちゃったねユリー。イオはやっぱりお姉さんみたい。あんなに小さいのに、とてもしっかりしているわ」
「あの魔女様に意見されるくらいですからね。魔女様のお住まいをおひとりで掃除なさっていたとも伺いました。侍女としては賞賛と感嘆に値します」
 メイが別の入れ物の湯を匙で掬う。「御髪(おぐし)は濡れても?」意を察したイオは肯定を示してから、掛け流される湯で薄紫の髪の汚れを落としていた。

 生前は毎朝毎晩浴びていたシャワーの感触よりも優しい。
 お気に入りの椿オイルシャンプーを恋しく感じながら、丁寧に洗った。

「なんだかドキドキしちゃうね。こんなに堂々と誰かの湯浴みを覗くなんて、はしたないのかも」
『女同士だからそんなに気にしないでよ。男の人とかだとちょっと引くかもだけど』
「魔女様もですが、イオ様はお綺麗ですからね。羨ましいとは感じます」人間ならば手を拭うほどのタオルを用意した侍女。
 バスローブでも羽織らせてくれようと待ち構える侍女の厚意を受け、身を預けた。
 ふかふかの感触を堪能する。
 侍女は細やかな作業が特異なようで、指先を巧く使いながら人形から水気を拭う。
 体を拭いてもらえる記憶は、イオには遠い昔のことだ。

 
 三十三歳独身女。
 近隣火災に巻き込まれて、若い命を落とした。
 どういうわけか異世界に転移して、魔法人形に転生を果たす。
 なにもかもが巨大な世界。

 大好きな人形の姿をした自分。
 大嫌いな自分の姿をした、勝手気ままな魔女。

 最初は嫌で堪らなかった。
 
 異世界と呼ばれた場所は、とても綺麗な色形をした地獄のように感じていた。
 最期に、現実世界の人形たちを守ることができなかった彼女を永遠に罰するための牢獄。

 力尽きた最期の瞬間。
 記憶に張り付いた人形たちの姿。

 救いを求めていたのに、彼女にはそれができなかった。

 眠りに堕ちると記録が再生される。
 自身の罪を忘れないように、備えられた機能なのだと思い込んでいた。

 なのに―――。

「イオ。これを受け取ってくれる?」

 撥水性に優れたイオの肌や髪はすぐに絹糸然として流れる。
 ずっと身に着けていたボロボロの白いワンピースを探しているときだ。
 マリーが嬉しそうに笑みを浮かべながら、人形が立つティーテーブルに包みを置いた。
「開けてみて」イオの大きさほどもある、上質な布で包まれている。
 少女と侍女の顔を見比べて、布の折り目を正すように開いていく、と。
 中には一着のワンピースが皺のひとつもなく、収められていた。

『マリー。メイさん。これ、、、』
「気に入ってくれた?」
『これ、ドレス。え、私に?』
「そうよ。イオのために作ったのよ。二人で。ね、メイ」
 侍女は頷いた。
「意匠はお嬢様が描かれたものですし、素材や仕立ての仕様もお嬢様です。わたくしは仕様書に従って裁断と縫製を行っただけですよ」
「メイはとても器用なのよ」ぎゅっとビスクドールを抱きしめながら、少女は誇らしげに侍女の技能を讃えている。

 以前に屋敷を訪れた際に、少女の許可なく盗み見た宝物。部屋の窓際にある机の引き出しに収めてあるはずの記録帳(ノート)。
 描かれた人形たちのイラスト。名前や性格。オリジナルの衣装の原案などもあった。
 イオは眼前のドレスに記憶を重ねる。
 レースの取り方やリボンの位置。ボタンの形。大まかな形状。確かに少女がデザインしたものに違いはない。
 深い青を基調にしたドレス。デザインとは裏腹に動きを制限する要素は少なかった。
 さらに細やかに、レースの靴下が一体となった革製の靴も付属している。

 大変だったでしょう?と、ありふれた言葉を呑み込んだのは、寸前に気が付くことができたからだ。

『マリーのと、同じ?』
「そうよ。今言ったばかりでしょう。メイはとても器用だって」

 悪戯が成功したように、両目を閉じて少女は喜びを表わす。

『メイさん』
「このくらいは、どうということはありません。さあイオ様。袖を通して見せて下さい。目算にて仕立てましたので、細部を詰めないといけません」

 結果的にドレスを手直しする必要なだなく、まるで採寸したような正確な出来栄えにイオは心底羨んでいた。
 頭が通りやすいように巧く誂えられていた。切れ込み状に大きく開いてから、着衣後にボタンでしっかりと閉じること可能だ。
 体高二十センチの人形のドレスを飾るボタンは小さい。小さくとも作り手の技術力が優れていれば、機能を十全に残したままで強固に取り付けることも可能なのだ。

『凄いよメイさん! 嫉妬するくらい凄い技術! 嬉しい。可愛いし、本当に素敵なドレスだよ! ありがとうございます!』
「光栄です」 

 救われたのはマリー様だけではないのですよ。イオ様。

 侍女の囁きはドレスに感激する人形には聞こえなかったが、想いは形になった。
 侍女は手作りのドレスにイオへの感謝と想いをありったけに詰め込んだ。
 それは確かに彼女に届いたことが通じたから、侍女は満足できた。

『えーっと』

 嬉しさよりも恥ずかしさが先に立つ。
 ワンピース・ドレスは最高の出来栄えで、彼女も今は精緻な魔法人形の身の上。
 客観的に鑑みれば、彼女は人形(ドール)として最高の域にはある。

 他者の目で俯瞰すれば大いに感嘆符を上げていただろう。

 人生初の豪華なドレス。仕立ても素材も上質。
 物が上質であるほどに、慣れない者が袖を通すプレッシャーは大きくなる。
 魔女の住処では上下ちぐはぐ下着姿の自身の姿を、鏡のように見せられ続けていたから猶更に縮こまる。
 遠慮がちに少女の方を振り向いてから控えめに問いかける。

『マリー、……どうかな?』

 スカートの裾をぎゅっと握りしめ、俯き加減に少女の様子を伺った。

「イオ。それではあなたとドレスに失礼よ」

 窘めてはいない。
 少女は笑顔でビスクドールを支えながらティーテーブルに立たせると、器用に操ってみせた。

「イオお姉様。恥ずかしがらないで。ドレスは女性のための甲冑ですわ。ドレスを纏えば女は淑女になりますのよ」

 やや高い声でユリーシャの声を作るマリー。
 体高はイオの倍はあるビスクドールのユリーシャがスカートの裾を持ち上げる、、、ように動かされる。
 関節無き陶器の膝は折ることができないが、意図は伝わった。

 月夜の初めての出会いでマリーが演じた令嬢の挨拶だ。

『ユリーシャちゃん。マリー』

 恥ずかしさはもうない。
 メイが作ってくれたドレスの価値を貶めないように。
 マリーが認めてくれたイオの価値を無下にしないために。

 ぎこちなく、膝を折ってお辞儀をする。
 脳裏には映画で見たどんな淑女(レディ)よりも、月下のマリーが再現される。記憶が再生され続けていた。
 その動きを真似する。
 スカートの裾もちゃんと持ち上げて、表情には反映されずとも、出来得る限りの笑顔を作り出す。

『マリー。メイさん。ユリーシャちゃん。これから、どうぞ宜しくお願い致します!』

 イオが魅せた淑女の礼。
 少女は無言で席を立ち、ビスクドールを代わりに椅子に座らせる。
 手椀を差し出し人形を迎え上げた。生まれたての雛鳥を扱うように柔らかく、震えている。
 憂いを滲ませて、潤む瞳。
 リップがなくとも、桜色の唇が音を伴わずに彼女の名前の形を作り出す。

 イオ――――――と。

 侍女はビスクドールを抱き上げると、静かに部屋を去った。扉が開閉する音さえも届かない。

 少女は人形を同じ目線にまで持ち上げる。
 少しの間、躊躇った。
 

 
「お友達のしるし」少女は意を決して、上唇をイオのそれに触れさせた。

【まどろみ】 

 
 マリーは家族にイオのことを紹介して回った。
 魔女からお守りに譲り受けたただの人形としてだ。
 両親。執事のセバスチャン。もう一人の侍女ルリ。庭師のゴードン。
 
 両親と執事は少しだけ渋い顔をして、娘の真意を確かめる問いを投げかけた。
 婚礼に関して後ろ向きになっているのではないかと。
 少女の場合は、屋敷の者以外は人形相手に過ごし、成長してきた十五年間だ。
 
 両親は引っ込み思案で、内向的な娘の性格をよくわかっている。
 治る見込みのない病に侵されている娘を不憫にも思う。

 お相手の貴族は倍も年が離れている。
 貴族同士の婚礼は家同士の繋がり。年の別など些末事である。嫁ぎ先で子を成して夫と繁栄を支えるのが貴族の家に生まれた女の役割だ。

 社交界に出ることも適わず、生まれ育った家を出たことも少ない。
 少女が不安に飲み込まれて、人形の世界に閉じこもってしまうのではないか?
 両親と執事の心配事はその点だった。

「お父様。お母様。ご心配なさらないで下さい。魔女様の元へ行かせていただいた折の約束は守ります。決意は些かも揺らいではいませんわ。
わたしはマルガリーテス=エリュシオン。お二人の娘であり貴族なのですから」

 両親にしても執事にしても、常に傍仕えをしている侍女のメイにしても初めて見るほどに強く清々しい表情に安堵するとともに驚いた。

 少女の言葉に疑いを挟むことなく、手の中の人形は僅かな時間をエリュシオン家の一員として認められたのだ。

 ※

「イオ。こちらに来てくれる?」

 夕食と湯浴みを終えて部屋に戻ってきた少女は、動き易くゆったりとしたガウンの上にポンチョのようなものを羽織っていた。
 飾り棚の隅のスペースではなく、サイドテーブルがイオのために用意されていた居住スペースとなっていた。
 絨毯代わりのランチョンマット。アクセサリーケースを流用したベッド。あとはマリーの手鏡が姿見然と置かれてある。
 ベッドに腰掛けていたイオは、少女の手に掬われて室中央のティーテーブルにある専用の小さな椅子に座らされた。

「じっとしててね」

 椅子は少女と向き合っていない。イオが座るすぐさま髪に指が通されて、刷毛のようなものが撫でるこそばゆい感覚に身を捩じらせた。

「もう、髪を梳いてるから動かないでね」
『ありがとう』
「いいの。わたしが好きでさせてもらってるのだもの。ユリーの髪も私が梳かしているのよ。痛かったらちゃんと教えてね」
『ううん。気持ちいいよ。マリー』
「そう。良かった」 

 手慣れた上下の動作。元々サラサラだったヴァイオラの髪艶に獣毛のブラシは抵抗なく通る。
 魔女に体感覚を与えられて以降、痛みや疲労は数多く蘇った。
 しかし、食事や飲水を要としない人形が「快」を感じることは精神的な自己満足以外にないと思い込んでいた。

 いつしか自然に意識の蓋が閉じる。
 感覚も映像も音声もが感じられる。
 イオはまどろみの中で、少女の厚意に甘えることにした。

「イオ」

 桜色の唇が名を囁いた。
 記憶の糸が手繰られる。
 月下の夜と、もう少し前。 

 マリーが発作を起こして意識を失い、イオ自身も眠りで倒れた日。
 ベッドで眠る少女の髪を撫でてやったことがあった。
 壊れたビスクドールをどうすることもできずに、ひとりで抱え込んでいたマリーを見ていられなくて、イオは過去の自分を投影して、慰めてやりたかった。
 頑張っていることを知っている者がいるのだと、知らせてやりたかった。

 同情。慈しみ。同族意識によるただの過剰共感。
 どれも似ているが違う。
 

 マルガリーテス。
 人形のような少女が愛おしかった。

 しかし、叶わないことも充分知っている。

 いくら人間のようであってもイオは人形。
 どれほど人形のようであってもマリーは人間。
 解消されない大きすぎる隔たり。

「イオ?」

 人形が眠れるマリーの額に口づけをしたのは、可哀そうな少女を慮ったものだ。
 イオ。ミシキスミレには子供はいない。
 娘のように愛していた人形たちだけが総て。
 

 記録を呼び出して再生する。
 一番のお気に入りだったユリーシャ。専用のミストを振りかけて髪を梳いてあげていた姿が重なる。
 体を拭いて、衣類を手洗いして。
 ネットショップで新しい洋服を見かける度に衝動買いして、休み前は徹夜でファッションショー。
 SNSにあげるわけでもないのに写真を撮りまくった。
 一眼レフのデジカメ。高画質でメモリーカードを使い切ってファイリング。
 スミレと並んで撮った写真や動画もある。

 人形をココロから好いている少女ならば、スミレと人形たちのアルバムを目にしても喜んでくれるだろう。
 スミレが共に暮らしていた人形たちの総てだってマリーならば受け入れてくれるだろう。

 遠くで少女が呼んでくれる名前を子守唄代わりにして、のイオの意識は眠りに堕ちた。

 

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