トイ・ストーリー4

私自身のトイ・ストーリー4に対する純粋な感想。別に映画評論家でもなんでもないので文章力のなさが溢れ出ているのは悪しからず。

まず大前提として作り手側の作品やキャラクターに対する敬意というものが微塵も感じられない。そこにあるのは思想に凝り固まった作り手の舞台装置として動かされているキャラクター達と、結末ありきで作られた物語だ。トイ・ストーリーシリーズはこれまで短編も含めてそれぞれのキャラクターがまるで本当に自分達の意思で動いているかのようにも見えるほどイキイキと描かれていた。しかしながら4に関してはあんなにも魅力的だったキャラクター達の面影が僅かながらに残るのみである。

これは推測の範疇を出ないが、恐らくこれまでのトイ・ストーリーシリーズでは脚本家を筆頭とした製作陣の中で「こんな時このキャラクターだったらどうするか」を常に考えながら物語が作られていたのではないかと思う。しかしながらトイ・ストーリー4では製作陣が一新され、そういった考え方ができなかったのではないか、あるいは意図的にしなかった、する気がなかったのではないかとすら感じられてしまう。作り手側の描きたい物語という枠にキャラクター達が無理やり押し込められているようにしか見えないのである。そしてシリーズを通して見れば見るほど「このキャラクターがこの状況でその行動を取るとは思えない」といった違和感が生まれてしまい、作品に対する嫌悪感となって現れてしまうのだ。

そもそもキャラクターを犠牲にしてまで作り手側の描きたかった物語自体も、内容としては薄いものだったと感じた。例えばボー・ピープが強い女性として描かれていることや、フォーキーのアイデンティティについて、ウッディが子供のおもちゃから自立すること、そういった物語の軸になる要素の設定や展開には雑さしか感じられなかった。ボーに関してはもともと強かさを兼ね備えていたキャラクターだったにも関わらず、作り手側の都合でステレオタイプの強い女性にされている印象を受けた。多様性の一環として「強い女性」を描こうとしたのかもしれないが、もともと持っていた強さを改変することでかえって多様性を失わせてしまっていたように感じた。またフォーキーに関しても本来であればもっと深く掘り下げて物語を描ける題材だったと思うが、他の展開を描くためにやっつけ仕事のような形で終わってしまった。そしてウッディが子供のおもちゃから自立することに関しては、その結末に向けて必然性もなく無理矢理その状況を作り出しているようなシーンが多く、結果的にそこにも違和感を覚えてしまう。

トイ・ストーリー4に関して言えば否定派の中にも前向きな意見として「作品そのものとしては悪くなかった」という意見が多く、私自身も全くの新しい作品として作られていればここまで否定的にもならなかったと思う。実際私も含め否定的な意見の多くは「キャラクターを描く上での矛盾や魅力のなさ」が主軸になっているからだ。もちろんいろいろな作品でキャラクターの考え方がシリーズの中で変わっていくことはよくあることで、それをトイ・ストーリーでやること自体は悪いことではないと思う。例えばこれがトイ・ストーリー4ではフォーキーのアイデンティティを描く物語のみにしてトイ・ストーリー5あたりまでかけてキャラクター達の変化を描き、トイ・ストーリー6で本来の4のラストのような展開を描けば恐らくここまで否定的な感情は生まれなかったのではないか。わずか劇中時間にして1年の間で、描きたい展開のために多くのキャラクターの内面を激変させてしまった結果、そういった批判を受けているのではないだろうか。

もちろん映像技術の向上であるとか見どころが全くないとは言わないが、恐らくこの作品に関して言えば私の中で評価が裏返ることはないと思う。強いて言うのであればこの感想の通り一番の感情としては、作り手側の作品に対する敬意の無さに対する怒りでありトイ・ストーリー4という作品自体に罪があるわけではない。いよいよ公開になる「バズ・ライトイヤー」ではそういう感情を抱かない作品になっていると期待したい。

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