優生思想の矛盾。

少し思ったことを簡単にまとめてみる。そのうち手直しするかもしれませんが、とりあえずの形で公開します。

参考に。
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r170/r170_glossary.html

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「人間として生きること」の基準を、一定程度の労働生産性や知的能力を有しているかどうかというところに求めるような優生思想は、端的に論理的に破綻している。

仮に一定程度の労働生産性や知的能力を有しているから人間である/そうであるから人間としての権利を保障されるというのならば、生まれてきたばかりの赤ちゃんは人間でない/人間としての権利を保障されていないことになる[1]。

ここで「人間でないものには生きる価値がない。だから殺す。」(ここでの「だから」という接続詞のナンセンスさはとりあえず置いておいて)という論理(のようなもの)を採るならば、前述の通り生まれてきたばかりの赤ちゃんは人間でないことになってしまうので、全員殺すことになる。すなわち、生物としての人間の再生産の一切を許さないことになる。よって、その帰結は人類の滅亡ということになる。

優生思想の帰結が人類の滅亡にしかなり得ない(論理的に、という意味で)というのは、優生思想の誤謬性を示すと同時に、それ自身に対する大きな皮肉でもある。

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注など
[1] 知的能力は別として、法律という社会的合意の共有された明示的な形態において出生直後の赤ちゃんに労働生産性や労働主体性を認めていないのは紛れもない社会の側である。

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