音楽と三分節について とか

音楽と三分節について、あれこれ考えている事。

音楽を聴くと、作曲家の高次水素を堪能できるわけですが、
自分で演奏すると、動作、感情、思考、を使い、自分の観察もします。
高次水素の取り込み、精製はかなりできると思いますが、
作曲家の物を再現して演奏するという時点で、
どんなにいってもH12までなのかな(巫女的なので)、と思ったりもします。
演奏する事でH6まで行こうと思ったら、おりて来た音を弾く、作曲する。
という事になるのかもしれません。


何せH6は超高速、認識できるのかというレベル
まずは身体がついてこなさそう
感情も、記憶がなくて、ただ残っている感覚
12ですら崇高な物、感動って感じで覚えていないぐらいですよ
よほどでないと高速で認識できない

三つ組でアクセスするしかないのへは

また意見は変わるかも

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自分が楽器を弾いている時を観察していると、
ものすごーく複雑な行程を高速でこなしているのが見えます。

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・音楽を演奏する時に
時に、「こういう風に弾きたい」という自分の「思い込み」は、
「我」の音だったり、「自意識想起」的な音だなと思います。
自然に作曲家の音を鳴らしている人達もいます。

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私は、音楽を聴く時に、
作曲家の音を聴きたい派です。

私は、音楽を演奏する立場としては、
自分のアレコレより、作曲家の音楽を鳴らしたい派でして、作曲家の音を演奏したいのです。
私が道の事を意識したのもここからでした。

そこからはじめた事は沢山あって、書くと大変なので、
誰かに話す機会があればお話ししようかなと思います。

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以前、ピアノの先生のお宅で4台のピアノを弾き比べさせてもらった時に
「ピアノそれぞれに個性があって、作曲家とピアノのコラボで音楽が鳴るんだなぁ
自分はそれをつなぐ媒体なんだな」
だから限りなく透明になりたいものだ
と感じたことがありました。

作曲家の音が鳴らせるよう、日々修行です。

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