德永海樹

長崎の介護福祉士です^ ^ 全国色んなところで音楽活動と介護の仕事を行なってきました。…

德永海樹

長崎の介護福祉士です^ ^ 全国色んなところで音楽活動と介護の仕事を行なってきました。 介護の仕事をしながら、介護現場だから聞ける戦前、戦中、戦後のエピソードを、その元となった場所の今の写真と共に紹介するインスタアカウント「あの記憶の今」を運営し、記憶を未来に残す活動もしてます。

最近の記事

全国の介護職の方へ

ここまでの記事で語ってきたものも多く重複致しますが、 現在インスタグラムにて、介護の現場でお聞きした戦前、戦時のエピソードを、その舞台となった場所の今の映像と共に紹介するインスタアカウント「あの記憶の今」を開設しております。 この度、長崎の中だけに留まらず様々な地域のエピソードなども紹介していければと思い、その仲間を募集します! 現在の投稿と同じように、お聞きした話と写真をまとめて僕まで送ってくだされば大丈夫です!(その後細かく調べていただきたい項目などが出る場合もありま

    • 活動について④

      前回、平和教育を子ども達に伝えていける為にこんな人が沢山いたら、、と挙げていましたが(活動について③の記事をご覧ください) 居るんです!それも、全国180万人も!! それはズバリ!【介護士】です! 仕事としてコミュニケーションを図ります。そして、傾聴能力が長けています。 その中で「自然と」戦時のお話を聞く事があります。この取材などとは違う日常会話の中での体験談がめちゃくちゃ重要なのです! 戦時の話の取材などとなるとどうしても悲劇や辛かった事のみを伝えようとします。それは、二度

      • 活動について③

        どうしたら子どもたちに、今までと変わらない平和教育をできるだろう。どうしたら戦時の記憶を後世に残せるのだろう。長崎では毎年1000を超える原爆の語り部講話の依頼があるそう。それに対し、語り部の高齢化は深刻で、平均83歳を超えています。次世代の語り部も少なく、これまでのような平和教育活動がむずかしくなっている現状。 「いつも戦争経験した方の話を聞ける。」「それを他の人達に伝える事ができる。」「無理に聞いたりしない、傾聴スキルがある。」 こんな人が多くいたら、これから先も子ども達

        • 活動について②

          戦後も70年以上となり、戦時の記憶を明確に持っておられる方が本当に少なくなってしまいました。不謹慎な言い方をすればあと30年もしたらこの世界から生で体験をお聴きする事ができなくなる。そのことを考えたらゾッとしました。今まで当たり前だった子ども達の平和教育も無くなってしまいます。

        全国の介護職の方へ

          【活動について①】 「原爆の話を前はしたくなかった。家族にも話してない。でも世の中だからこそ自分の経験を子ども達に伝えたい。でも、そんな身体では無くなった」と体験談を話された利用者さんがおられました。 その時、介護の現場だからこそお聞きできる事があるのでは無いかと感じました。

          【活動について①】 「原爆の話を前はしたくなかった。家族にも話してない。でも世の中だからこそ自分の経験を子ども達に伝えたい。でも、そんな身体では無くなった」と体験談を話された利用者さんがおられました。 その時、介護の現場だからこそお聞きできる事があるのでは無いかと感じました。