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キュビスムの誕生 若き日のパブロ・ピカソ#3(Last)

美術界の大革命でした。

見る位置時間の変化などによる見え方の違いを、一気に一つの絵に描いてしまう手法です。

一気に描くことで、対象の奥行きを表現します。

キュビスム

そう。キュビスムの誕生です!

そのアイディアはどこから来たのでしょうか。

近代絵画の父 セザンヌの形

パブロがパリに来た頃(1900年頃~)、ポール・セザンヌはパリで評価され始めたばかりの画家でした。

とは言え、当時すでに60歳近かったセザンヌ。パブロはキュビスムを発表した後、セザンヌを「近代絵画の父」と呼びます。

しかし、「音楽の父」バッハと同様、生きている間は、それほど評価されませんでした。「父」はつらいよです。

パブロはパリに来た時(1900年)、ポール・セザンヌの絵に魅了されました。

「自然を円筒、球、円錐によって捉える」という、自然を幾何学的に再定義する試みです。

そうすることで、自然美の奥深さを表現しようとしました。

最晩年に評価されたセザンヌの努力は、パブロの心を激しく揺さぶり、キュビスムが生まれる1年前、1906年に息を引き取られました。

静かな野獣の線 マティス

野獣主義(フォービスム)は、鮮やかな色・大胆な筆遣いが特徴です。

アンリ・マティスも印象派を学び、その後セザンヌの絵に影響されました。

別々の色を近くに配置して、色を混ぜずに、混ぜたように見せる手法など、新しい手法を取り入れ、「豪奢、静寂、逸楽」(1904年)を描きました。

そして、「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」(1905年)は読んでそのまま、鼻筋にミドリなんです!!それまでの常識を壊す、凄い色使いです!!

パリに来てから6年。

パブロにも大きなパトロンが付きました。

そして、アンリ・マティスを紹介されました。

マティスは性格こそ、穏やかだったそうですが、その意欲的な姿勢に、パブロは強烈なライバル心を掻き立てられます。

マティス

こんな革新者たちに出会って、パブロの心は燃えに燃えました。

ちなみに、マティスはニース出身の海男です。当時のニースはこんな感じだったのかもしれません。

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最終的には、海をこんな風に表現する男です。

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怪物と怪物が出会った瞬間でした。

海の向こうにあったキュビスム

セザンヌの幾何学的な形

マティスの鮮やかな色遣い。大胆な筆遣い

これまでのヨーロッパ的な絵画からしたら、大革命でした。

しかし、パブロは「まだだ!まだもっと新しい世界があるはずだ!」と考えました。

注目したのがアフリカ芸術です。(地元スペインの古い芸術も。)

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ヨーロッパの端・マラガに生まれたパブロらしい発想にも思えます。

そんなアフリカ芸術ですが、まさに革新・斬新・革命です!

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この幾何学的な美しさ自由さ大胆さ!

それは、まさにパブロの求めた世界でした。

キュビスムの発表

画家や詩人などの友人を集め、初のキュビスム作品「アヴィニヨンの娘たち」(1907年)をお披露目しました。

絵画の大革命。発表前夜はどんな気持ちだったでしょうか。

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評判はといえば、、、大先輩マティス含めて、ボロボロに叩かれました。(笑)

モネの「印象」もそうですが、ボロボロに叩かれてこその革新です。

ですが、わずかに評価してくれた画商と、ジョルジュ・ブラックが後にキュビスムを描くようになり、評価されるようになっていきました。

時間的な変化そのもの

こうして出来たキュビスムですが、決して瞬間的な思い付きではありませんでした。

後に、ブラックは「位置による視点の変化」を表現したい。パブロは「時間的な視点の変化」を表現したいと、議論し共同制作もしています。

青の時代、洗濯船、バラ色の時代、セザンヌ、マティス、アフリカ芸術。

色々な時間を経て、色々な人に出会ってこそ、

生まれたキュビスム。

それは若き日のパブロの人生そのものだったのかもしれません。

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