戦前の還暦、戦後の還暦、令和の還暦

 かつての還暦、戦前の還暦というのは老けてる以前に希少だったと思う。その時代、まず赤ちゃんや幼児のうちに死ぬ。それが過ぎても疫病でけっこう死ぬ。今では治癒可能な結核も死の病と言われてたし。だから還暦まで生きられた人はそれほど多くなかった。さらに70だと『古希』(ふるくてまれ)というし。

 それから戦後しばらく経ってからは乳幼児死亡率も下がり、治せる病気も増えたので還暦まで生きる人が増えてきた。1960(昭和35)年の平均寿命が男65.32歳、女70.19歳。男だとおおよそ10年経つか経たないうちに死ぬ(平均寿命は乳幼児死亡者もカウントするので60歳を死なずに迎えた人はそれよりも数年長く生きる)ってことを考えるとヨボヨボの老け顔なのも当然だろう。

 そして令和時代の還暦はと。60で仕事リタイヤする人まずいないよね。最低でも65、下手したら75過ぎても働いている。医療の発達と国民皆保険制度によってどんな階層でも90歳、100歳まで生きる可能性が高くなってきた。還暦だからといってヨボヨボしてられないのだ。

 あともうちょっと書こう。よく高齢化社会の図画として1人のお年寄りを2人の現役世代が支えるってのがあるけど、比較的元気な高齢者が支える方に回って、介護度の高い高齢者を支えるってのが実情だ。冒頭の絵なんてのは若い世代2人で年寄り7人支えているけどその絵でいうと7人の年寄りのうち4人ぐらいは支える側に移って残り3人の年寄りを支えているような感じだろう。

 街に出たらいい歳した爺さんが工事現場やスーパーで交通誘導員やってるでしょ。ビルに入ればいい歳した婆さんがモップ持って掃除してるでしょ。腰が痛くてもたまに尿漏れしても頑張って社会を支えている。高齢化社会、どうやって現役世代は高齢者を支えるかがずっと問題になっていたが、比較的元気な高齢者を支える方に向かわせて何とか持たせているが正解ですね。あと一部外国人の助けも借りていることも忘れずに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?