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<旅日記⑪ Sep.1995>(バンコク・マレー鉄道の旅へ①)

 新聞記者最後の日々 1995

 新年のお祝い気分がまださめやらない中を激震が襲った阪神淡路大震災(1月17日)、そして、春うららな都心の朝を突然に襲った地下鉄サリン事件(3月15日)。

 わたしが、この旅を始めた1995年は、激動の幕開けとなった。当時、読売新聞の記者として、名神・東名・中央の各高速道路のジャンクションや空港のある名古屋都市圏を担当しており、阪神地域や首都圏で起きた事件は、例外なく余波をかぶった。

 日常業務も、担当地域の自治体は、国際線と国内線の両方を持った名古屋の空港機能の新空港(のちのセントレア)への移転問題を抱えていた。8月31日付で退社する身だったので、たまった年次休暇の消化に入ってもよいと言われたが、愛知県と、空港の地元自治体とのあいだがギクシャクしている折から、8月24日の記者会見までは取材したい旨、デスクの了解をとり、関係自治体を飛び回った。

 1週間先には退社している自分が報道の最前線にいて、取材メモに手を動かし、一生懸命になっている自分を不思議に思ったものだ。

名古屋で長くて暑い夏を終え、さらに熱いアジアへ

 まだ36歳のわたしは、長く暑い名古屋の夏の仕事を終えて、9月1日には成田を飛び立ち、さらに熱いアジアの国々で、もうひと夏を過ごす体力は持ち合わせていた。体力があればこそ情熱はほとばしる。とはいえ、出発のとき、もう十分にばてていたのか、熱帯アジアに到着して、ずっと熱っぽく、調子がすぐれなかった。夏が 4か月目に入っていることに対する疲れだったのだろう。

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雨期に入りかけたベトナムのひんやりした空気に癒され、体調はようやく元に戻ったようだ。

ベトナムに来たかった。

 9月1日〜30日までの1か月を予定していたアジア旅のゴールはこのベトナムを想定していた。ほんとうはヨーロッパだけを視野に置いた長旅を構想していたが、ベトナムに来たかった。だから、マレー、インドシナ半島エリアの諸国を回ることにした。

 とにかくベトナムに来た。あとは来た道をシンガポールに向かって折り返し、そこから一路、ヨーロッパへと移動する段取りだ。

そして、ヨーロッパへ

 シンガポールでは、知人に預かってもらった大量のフィルムを収めた米軍仕様のあやしいずた袋を受け取る。そして、半袖のTシャツ、短パンの旅スタイルから一転、涼しく、寒いヨーロッパで迎える秋、冬に備える服を調達しておかなければならない。

 シンガポールからマレーシア、タイ、ベトナムへは、バス、列車、飛行機を乗り継いだが、帰りは憧れのマレー鉄道に乗り、国境越えをしよう。バンコックからシンガポールまで、2泊3日の列車の旅だ。その前に、バンコックに少し滞在してみよう。カオサンという外国人バックパッカーに人気あるエリアがある。そこへ行けば宿にも食事にも困らないはずだ。

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 旅に出て20日もたってきたので、それなりに慣れてきた。それに、ベトナムで体力が回復したのが大きい。

 残る10日のあいだでタイからシンガポールへ移動し、熱帯アジアから秋も本格化しているであろう10月のヨーロッパへ飛ぶことにワクワクしてきた。

 そろそろ、アジアの喧噪から離れたくなっていた。

(1995年9月22日)

            「てらこや新聞」94号より

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