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フィレンツェ(イタリア)<旅日記第52回 Nov.1995>

 1995年8月31日付で退社した新聞社の社員手帳「’95読売手帳」は、退社翌日の9月1日に成田を飛び立ったあともメモ用に使い続けていた。11月19日(日曜日)のページには、「午前8時ナポリ発、午前10時5分ローマ経由 午前11時58分フィレンツェ着」と書いている。

 2時間ごとに主要都市があるイタリア

イタリア南部の中心都市ナポリから、近世にルネサンス文化が花開いたフィレンツェまでは遠くないと記憶しているのに、実際は4時間近くも、特急列車に乗っていたわけだが、2時間おきという等間隔で主要都市があるのもバランスがよい。それに伴って都市のカラーも違ってくる。

北に向かうにつれ、お金持ち増える?

 西ヨーロッパならどこへでも一等車乗り放題の外国人専用の「ユーレール・パス」(3か月間有効)を買ってあるので、インターシティと呼ばれる超快適な特急を使っている。イタリアは、南から北に行くにつれ、お金持ちが増えてくるようだ。

 ローマから北へ向かう車両に乗っている人は、服装や鞄、装身具などに随分お金がかかっているように見えた。特に中年以上のビジネスマン男性の、鮮明な青のシャツやネクタイの鮮やかな色彩が印象的だった。1995年の秋、ドイツやオーストリア、旧東欧で見てきたヨーロッパの人々の服装はダークな色合いが多かった中、イタリア人たちのファッションの色使いは大胆だった。しかし、11月も後半だというのに、暖かい太陽が降り注ぐこの国では人々にうまくマッチしている。

寒いヨーロッパとは違うキャラ

 10月後半から11月初め、ポーランドやドイツでは身も凍るほどの寒さだったのに、こちらはほんとうに快適で、秋という季節の彩りを感じることができた。その日、買った英字新聞「ヘラルド・トリビューン」紙には氷柱が垂れたウィーンの写真が載っていた。

 これだけ気候が違えば、地中海性民族のイタリア人たちと、北のゲルマンの人々とではキャラが異なるのも当然だ。

 犬が違う。ドイツやオーストリアではしつけの行き届いた大型犬が、まちなかを紐にもつながれず飼い主の前をおとなしく歩き、そのまま電車にも乗っている。片や、イタリアのローマやナポリあたりではバイクの排気音がビーンと石畳に響き排ガスのにおいが充満する。野良犬や野良のネコがひょこり顔を出す。無銭飲食の男にピザをふるまったナポリのピザ屋のあるじ、わたしにフォークとスプーンの使い方を教えるために厨房から飛び出してきた店のご主人。人の気質というものの差にあらわれる。

 フィレンツェ。私が語る必要はないけれども・・・

それにしても、フィレンツェ。このわたしが何を語る必要があるだろうか。

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 ヨーロッパにルネッサンスをもたらした芸術の街、そして、豊かな建築美、建造美。町中が美術館のようだ。町のシンボルでもある、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)の屋根裏の通路を歩く見学コースはやはり体験したくなる。ドゥオーモの高いところから市街地を眺めても赤い瓦の続く街と、遠くに見える丘陵。気持ち良いよオ。秋、秋、最高の秋という季節を堪能している。

 ちよっと古着を買ってしまったが・・・・。

しかも、ちょっとした出逢いもあったというか・・・。大聖堂(ドゥオーモ)の屋根裏の通路で写真を撮っていた日本人の女性に声を掛けた。いっしょに観光名所を回り、少し、気分が開放感につつまれたせいか、まちの広場で売っている古着を買う贅沢をしてしまった。

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肩のところに旧・西ドイツの国旗のマークが小さくあしらわれた、厚手のふんわりと綿の入ったコットンの色あせたミリタリー・ジャケット。日本では決して買うことのないタイプのものであったが、羽織ってみた。あせたグリーンが似合った気がした。

 しかし、その後、ベネチアのユースホステルの大部屋で、同じ部屋にいた白人女性が「なぜ、あの人はドイツ軍のジャケットを着ているか」と話しているのが気になった。こっそりドイツの国旗の部分を破ったのだが、オランダに入ったときはジャケットそのものをゴミ箱に捨てることにした。

 第二次大戦中のヨーロッパ戦線でドイツが犯した戦争というものの残虐性を思い、こんなジャケットは着ていられないと思ったからだ。イギリス人にそのことを話すと、「ドイツの国旗は、戦後制定されたものだから関係ないよ。捨てることはなかったんじゃない?」と、笑っていた。

 確かに、ミリタリーを採り入れたファッションは世の中に数多い。別に気にするほどのことではなかったかもしれない。持参していた黄色のパーカーを着ることにした。その後、アメリカに行ってわかったことだが、東海岸にはヨーロッパ系のダークな色が多いが、西海岸には黄色や赤、青といった原色系が目立った。もっとも、西海岸は暑いので冬でもパーカーなど要らなかったのだが・・・。

 (1995年11月19日)

てらこや新聞137号 2016年 09月 25日

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