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デュッセルドルフ〜ボン〜ケルン(ドイツ) <旅日記第46回 Nov.1995>

 ドイツ西部の都市ケルンでは、当地在住の日本人ジャーナリスト、ミカ・タナカさんと会うことになっていた。ミカさんは愛知県犬山市の出身で、朝日新聞発行の週刊誌「アエラ」などに記事を書いていた。わたしは、この旅に出る前日まで読売新聞記者で、犬山市などの自治体をカバーしていた関係で、犬山市の職員の方から「ドイツに姪がいるので是非会ってきてほしい」と紹介をいただいた。現地で電話を入れ、11月11日(土曜日)の午後1時に、ケルン駅の花屋さんの前で待ち合わせをした。

 実はその前日には宿泊地のデュッセルドルフに着き、ケルンにも足を延ばしていた。デュッセルドルフは、大企業の日本人駐在員家族がたくさん暮らしていて、日本人が快適な日常生活を送る上で必要な買い物や飲食など都市生活にはとても利便が高い。ここにくれば、ケルンへ行くにも、旧西独の首都ボンへ行くのも、都心から近距離鉄道に乗ればすぐに行くことができる。一日でケルンやボンの街を歩き回った。東京や大阪のターミナル駅のようにごった返さないのもいい。海外でありながら、自分のまちのように都市圏の鉄道を使いこなせている実感があった。

 ところが、その油断から、思わぬ大失敗をやらかしてしまった。

 ミカさんとの待ち合わせのため、デュッセルドルフからケルンに向かう列車に乗ったつもりだったが、乗ったのはケルンとは反対方向に向かう列車だった。そのことに気づいたのは、一駅、二駅・・・過ぎたあと。携帯電話もない時代なので連絡はつけられない。ケルンの駅に着いたときには約束の時間からゆうに1時間半は回っていた。

 もう帰ってしまっているかもしれない。待っていてくれるか。待ち合わせ場所には一人の日本人女性がいた。

 あー、良かった。

 電車に乗り間違えたことを説明しお詫びすると、「せっかく、こんな待ち合わせをしてお会いできなかったら、とても残念なので、お会いすることができて、ほんとうに良かったです」と、心からホッとしていただいた様子だった。

 ケルンの駅は、デュッセルドルフやボンと比べなんだか騒々しく、これはなんだろうというのが気になった。顔に色を塗った人たちが「オーレー、オレオレ・・・」と歌っている。サッカーの試合らしい。聞けば、土曜日であることに加え、まつりと、プロサッカーの1FCケルンのシーズン最終戦と重なったことによる騒々しさだという。

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 ミカさんは、ケルンの大聖堂を案内していただく予定のようだったが、前の日に見てしまっていた。それよりも、わたしは、中学生のころ、サッカーを始め、当時、1FCケルンのスター選手だったオベラートというプレーヤーのファンだったのでサッカーのほうが気になった。そのことを話すと、観戦に行きましょうかということになった。

 あんなにあこがれたヨーロッパサッカーにいけるなんて、これはうれしい。子どものころ、テレビでドイツのサッカーを観ていると、太い重低音の歓声がスタジアムでうなり上がるのが好きであり、不思議だった。実際にスタジアムで観戦してみて、その音量の原因がわかった気がした。すぐうしろにいた小学校低学年ぐらいの少年の声が、すでに野太く響いていたのだ。「これか、あの音は」と納得することができた。

 エコな国ドイツでは、いまから20年前のこの時点で資源のリユース・リサイクルがどの分野でも進んでいたと見え、サッカースタジアムでも事情は同じだった。場内で販売しているビールのプラスチックのコップにもデポジット(確か60円ぐらい)が含まれており、空コップを返せば返金される仕組みとなっていた。食品スーパーへ行っても、惣菜は量り売りだし、飲み物の入った瓶も何度も使い回されているうちに傷が入り、白い傷だらけの瓶入りのコカコーラやファンタが売られていた。

 この国に住み着いてしまえば、随分、いろいろと発見はありそうだが、通りすがりの旅人にはごく断片的なことしかわからない。この翌日、ドイツを去ることになるが、結局、ヨーロッパのこの大国のことを何一つつかめないままに終わってしまった気がする。

(1995年11月10日〜12日)

てらこや新聞130号 2016年 02月 08日

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