さて、あの話をしようか

ずっとずっと胃袋に重りを詰め込んだみたいな重さを感じている。
体なんてもうくの字に曲がってしまっていて呼吸もしづらいときている。

そしてそのおなかの中の重みが何かしらの精神から来る思考とかトラウマとかから来ていることを察している。

このけだるさや鬱々とした気持ちはギフトなのだと知ってしまっている。
そう、すでに自分の意識はこの重さや精神的な問題点を解決した後のギフトに向いている。向いているどころではない。

生まれ変わった自分と会うのに、ワクワクしている。

かくして僕は今日も斬るべき自分と真剣勝負を続けている。


真剣に生きるとはこういうことだと思う。

自問自答を繰り返すでは生温い。自分で自分を殺して生まれ変わるのだ。


ここで分岐点に突入する。

①この思考回路がゆえに、日々行われる自己改革が自分を苦しめるものであり、このパターンを手放すことによってよりスイスイと人生が幸福に進んでいくルート。

②今までのルートを継続することによってこのままnoteの続きを予定通り書くことができるルート。

③ええい!うるさい!!noteの記事を書く途中で生まれ変わるという漫画で言うところの
『コ、コイツ・・・!試合中に成長していやがるっ!?』パターンに持ち込むルート。


さて、どうしたものであろうか。


こういったパターンの時あなたはどれを選びますか?

ちなみに僕は変化球がめっちゃ好きでね。

④の選択肢をどうやったら生み出せるかって常に考えてしまう。


Q、地球最後の日だとしてどのようにして過ごしますか?

A、地球最後の日にならないようにどうしたらいいかを死ぬまで考える


こんな風に前提を疑う力ってとても大切だよね。
巷では思考力と言う。


ということで①②③を複合してすべて行うという④の選択肢に参ろうかなと思う。


自己改革には痛みが伴う。
自分が変わるという事は、自分の中の一人を殺すことだと。
究極の自己否定であり、自殺であり他殺であり真の尊属殺人である。

そしてその痛みによって自身の生まれ変わりを感じる。
生まれ変わると何が起こるか??

覚醒、新たな自分。しかも現実に対応して生まれ変わっているのでアップデートと言える。当然現実は進みだすし、レベルも上がる。

要はメリットだらけである。

ただし。

痛いもんは、嫌なのである。その嫌を何度も何度も何度も超えてきては、さすがにもうこのゲームを終わりにしたくもなってしまう。

それは本望ではない。


ならば、今後は自分を殺してなり変わるのではなく、新たな自分を産み出してハイタッチで選手交代譲り合いってな感じでやっていけばうまくいけそうである。

抵抗感なく生まれ変わりが行われるだなんて天国ではなかろうか。


そこで問題になるのは今までの考え方、固定概念だ。

『覚醒は自己否定であり~』
みたいなストロングスタイルのルール。
等価交換の原則のようなものを撤廃しなくてはならない。


ではこの強力な幻想である原則、等価交換(愛は源であり無限)について採用されてしまった経緯は何か。その原因は何か、自分に問うてみようと思う。

なんだろうか・・・それこそが自分の腹の内にいて自分を苦しめてきたa.k.a息苦しさなのが分かりつつある・・・


そんな中、深夜2時22分。スマホにSMSメッセージが届いた。
僕のホットメールが別のアカウントからログインされているらしい。

こんな時間は怖すぎやろとhotmailにサインインした際にwardが目に付く。
2年ほど触っていないため過去作った文章や昔のブログ記事のメモ書きでもあるかも・・・と覗いてみると。

文書1、2、3、4、、、と200以上続くものがあるではないか。記憶にはない。

タイムカプセルを開くような気持ちでそのうちの一つを開いてみると・・・


それは手紙であった。


その瞬間すべてを悟った。記憶がよみがえった。

これは、元奥さんへの手紙だ。


2年前。会って4回目の女と結婚した。

獄中婚であった。


刑務所に入る話を聞いた後に会った4回目。映画のような恋に落ちてしまった。


幸い、元嫁が裁判を受け拘置所にいる月、noteで1000万ぐらい売った月であり、仕事を全くしなくても毎日面会にいけた。


面会に行きだして2週間ほど、アクリル板越しにプロポーズをした。

元嫁は泣いていた。
嬉し泣きではなかった。

『悔しい。私はこんなに嬉しいことをしてもらっているのに、塀の中にいてあなたに何もしてあげられない』


そう言って彼女は悔し涙を流していた。

ただ笑顔になってほしかっただけなのに残念だ。思っていたんとちゃうなぁと嘯いた。


そんな元嫁のもとに僕は2年弱面会に行き続けた。
そしてほぼ毎日手紙を書いた。


東京から山口の美祢女子刑務所には面会最大回数の毎月4回コースで通った。


マカロニえんぴつの『洗濯機と君とradio』という曲に
『君が好きといってた映画なら16回見た』というフレーズがある。

僕の場合

『君に面会に行った回数なら90回行った』になるだろうか
『君に差し入れした回数なら500回を超えた』になるだろうか
『君に毎日書いた手紙も500回を超える』になるだろうか


僕は元嫁に会ってここまで人を好きになることはなかった。ありえないぐらいに脳がスパークしていた。


彼女はいわゆるBPD(境界性パーソナリティ障害)であった。
簡単に言うとメンヘラレベル100みたいなものだ。


最初は人生で一番幸福な時間だった元嫁から届く愛の手紙。

そのイチャラブな感じは2か月目にして急変した。
マジ切れする元嫁。

思い出すと内臓がミキサーで混ぜられた気分になる。


とにかく天使は悪魔に変わった。


嫁から届く手紙を開けるのが怖かった。
自分がいかに僕のせいで傷ついたかを示し、僕を糾弾するからである。

最愛の人にボロクソ人格否定されるのは人生で初めての経験であった。


僕は何不自由ない家庭に生まれ、のほほんと育った
元嫁は壮絶な家庭に育ち、愛を受け取れず薬物中毒となった


自分は当時プラスとマイナスで、デコボコでぴったりと

そう思っていた。
現実を知らなかった。


毎日手紙を書くのがつらかった
毎日差し入れをするのがしんどかった
そしてしんどいと思う自分を責め続けた
なぜ愛している人に対する奉仕にめんどくさいなどと思ってしまうのだと。

自分が最低の人間だと自己嫌悪しながら書く手紙はどんな周波数であったろうか。

毎日差し入れる漫画をレターパックに詰め送っていた。
時間がギリギリになって回収に遅れて自己嫌悪。

レターパックプラスは520円とけっこう高いのだ。
そして焦って漫画の巻数がずれていようものなら、週1回30分の面会でぶちぎれられる。心臓を縮めながら7時間かけて東京へ戻った。


面会に向かう歩みは後半、毎回緊張していた。
愛している人を怒らせないよう必死に必死に頭を回転させる。
何を言っても怒られそうな気がして顔が曇り、それを見た元嫁がぶちぎれる悪循環。そして、こんな想いを元嫁は小さいころから味わっていたんだろう。


そんな今となっては感謝しかないような元嫁に対して僕は毎日手紙を書いていた。

200日ほどワードで手紙の原稿を書いていたのが見つかったのである。

この時の文章を見ると胸がドキドキする。

・・・恋愛的なものならなんと素晴らしいのだろうが、過呼吸系のやつである。


さて、これだけしんどい思いをして、だからこそ心理学やカウンセリングや脳科学を学べたし成長した。

ただ、ここで『成長するにはしんどい思いをしなければならない』という厄介な等価交換が刷り込まれてしまったのであろう。強力に。呪いのように。


そして、この概念を手放すためにも自分はこうしてかつてのことを文章にしている。
これはいうなればオナニーである。

自分を、慰めているのである。

これはいうなればオナニーである。

アートとは、自分が気持ちいいから好き勝手に発散するものである。

これもう、オナニーである。

そんな意味わからん夫婦生活のことをカミングアウトしたと思いきやもうそこには触れない。
自分の心の変革にしか興味がないのである。


アートというものが自分を癒してくれそうだと感じている。
そして感じたままに文章を書き連ねている。


アートは救いだ。
しんどすぎてどうしようもないものが、歌や絵や文書となって作品となる。
非常に美しい。


アート作品にせざるを得ないぐらいのエモーションポイント。
過去を振り返って一つずつ癒していこうと思う。完治した自分とハイタッチしてハグして愛撫してセックスしてあげたい。


自己改革の時代は終わった。
チェを吸うのも卒業だ。


自己解放だ。
革命ではなく解放運動だ。


俺はもうしんどい想いを一生分したからしなくていい。

そしてこれからの人も、もう味わう必要はない。


こっからはオールグリーンである。

反撃の狼煙はすでに上がっている。


ここに。



































きみの中に。

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