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「佐々木、イン、マイマイン」という映画を作るまでの話

こんなご時世なので、突如として大きな不安に襲われるようなこともありますが、色んなところで、それぞれが大切にしているものに対してたくさんの支援の輪が広がっているのを見聞きするに、折れそうな心が何度も建て直されます。
僕も、大切な作品のクラウドファンディングをしておりまして募集期間が明日(4/30)までと迫っています。

佐々木、イン、マイマイン」と少し風変わりなタイトルに似合わず、若くて、才能と信念を持った作り手と出演者による、とても熱い作品になると思います。

(よかったら、特報もご覧ください)


僕がこの映画をプロデュースすることになった経緯を簡単に書かせていただきます。

内山拓也という監督に出会ったのは2016年のPFF(ぴあフィルムフェスティバル)でのことでした。その年、僕は初めて作品選考のセレクションメンバーという仕事をやらせてもらいました。

PFFはインディーズ映画の登竜門のような映画祭です。
僕自身もインディーズ映画のプレイヤー側なので、応募されてくる作品に対してあまり偉そうなことは言えない立場でした。
だからこそ、ひとつひとつの作品に対して真剣に向き合っていたのですが、
100本ほど観させていただいた応募作の中で印象に残るものは一握りしかありませんでした。
そんな中、突出して感情を突き動かされた作品が、「ヴァニタス」という映画で、冒頭の1カット長回しから、ラストシーンに至るまでの映画としての設計に驚き、感情を鷲掴みにされてしまった。
まだ僕たちセレクションメンバーだけが知っていた傑作を監督したのが、当時まだ23歳の内山拓也監督で、しかもそれが初監督作品だというのが驚きでした。
後に「ヴァニタス」は観客賞まで受賞し、香港国際映画祭にも招待されました。
そのときの鮮烈な印象は今でもよく覚えています(その頃に僕と会った人は僕がその喜びをよく語っていたのを覚えていると思います)

当時、上がりに上がったテンションで書いたnoteです。

(みんなが彼の才能を知った後に、「あの頃からすごいと思ってた」的なことだけを言うのを避けるために書いておこうと思ったのを覚えています笑)


その後、内山監督と一緒にとある企画を開発をしていた時期がありました。持ち込んだり、コンペに応募したりをしたのですが、結局は僕の力不足のせいで、実現せずに中断してしまっていました。

しばらく経ち、2019年に入ってすぐの頃だっただろうか、久々に内山監督が連絡をくれました。

紹介したい人がいると言われ、新宿の喫茶店で待ち合わせをすると、一緒にいたのは「ヴァニタス」で主演をしていた細川岳さんでした。
そして、内山さんと細川さん共同で書いたという脚本を渡されました。「佐々木(仮)」というタイトルでした。

僕は前述のような経緯から内山さんに何かを頼まれたら断らないと決めていたので、脚本を渡された瞬間に、その作品の実現を夢見て、できることは全部やろうと決めたのでした。

その日から1年以上が経ちました。
なんとも幸せなことに、内山監督の実力と人望で、これ以上ないと思えるスタッフとキャストが揃い、配給会社がパルコに決まり、封切り劇場は新宿武蔵野館に決まりました。
撮影は終わり、いまポストプロダクションが動き始めているところです。


今作に対して僕のできる唯一の貢献は、作品の自由と引き換えに大きなリスクを負うということだと考えました。

この映画は企業からの出資は受けず、自社でお金を工面しながら製作していますが、それだけでは足らず、クラウドファンディングをしています。
集まったお金は、ポスプロ含めた制作費だけでなく、これからお客さんに届けるところの宣伝などのお金に充てていきます。

個人で映画への支援するという経験がない方も、ぜひこの機会にプロジェクトページだけでも読んでいただけると嬉しいです。

企画者、製作者の作品にかける想い、どこか伝わるものがあれば
ご支援や拡散へのご協力をいただけると幸いです。

この映画は、ここまでもたくさんの人の尽力を受け、愛されてきて進んできました。
みなさまに届くところまで幸福な最後を迎えられることを切に願います。


↓クラウドファンディングはこちらからお願いします。



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