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「そこそこ満足」の罠

先日の木下斉さんのXの投稿ではっとしてしまいました。

そこで書いてあるのは、成長している人は「あくなき探究心」があり、「そこそこ満足」で終わっている人は成長しない。という内容でした。
私自身、自分に甘い部分として、「そこそこ満足」といワードにとても引っかかってしまいましたので、自戒の意味も込めて「そこそこ満足の罠」について書いてみたいと思います。



●そこそこ満足の罠

私の性格上の課題として「そこそこ満足」の罠があります。
なにか少し行動してうまく行ったりすると、そこで満足してしまい、行動する際に持っていたバイタリティがいつの間にかどこかにいってしまったり・・・。あのときの馬力はどこにいってしまったの、なんてことになってしまったりします。皆さんにもあったりしませんか?


●そこそこでも満足できたのであれば、その次のステージへ!

そこそこでも満足したのであれば、その次を考えるべき。そこそこ満足して良かった良かった、で終わるのは非常にもったいない。せっかく努力してそこまで行ったのであれば、その次のステージにもっていくことが重要です。そして、その満足を得られた仕事を次の世代におすそ分けしていくこと。何か達成できた仕事って、自分一人で成し遂げることができたのか?決してそんなことはなく、何かしら周りの人たちに支えてもらったり、助けてもらったり、助言いただいたり、色んな人のサポートがあっての達成なはずです。

そこそこ満足してしまう人というのは、与えられる側でいつまでも居続けてしまう人。自分一人で成し遂げたわけでもないのに、その周りの協力への感謝が正直足りていないと思います。
せっかく仕事を成し遂げたとしても、いろんな成功に結びつくためのエッセンスや情報を周りから頂いたのであれば、助けてもらった人への感謝のお返しとして、それを今度は与えていく側としての努めを果たさなければなりません!

周りへの感謝もろくにせずに、自分が成し遂げたんだ!なんて考えてしまっていたのであれば、ある意味それは傲慢な考えなのかもしれません。


●そこそこ満足では自分も周りも成長しない

また、「そこそこ満足」なところで終わってしまっていては、自分自身も、自分の周りも成長しません。

私の思う仕事の理想の姿は、「自分自身が行動することで、相手にいい影響を与えられて、それが自分自身の成長にもつながり、自分の周りにも波及していく」ということなのですが、「そこそこ満足」の考えは、結局、この理想とは真逆の考えになってしまいます。

あくなき探究心、今の状況に決して満足せず、貪欲にもっと良くなるため、もっと成長できるために、絶えず挑戦・努力していくこと、常に心に留めてそれを体現していきたいと思っています。
みなさんはいかがでしょうか?


ではでは。

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