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餓死は穏やかな老衰にあたるのか?

急性期病院を退院するに当たり、担当のドクターから言われたことは、かなりハッキリとしていた。

「点滴は最低限かなしにするのが良いと思います。外した場合、1〜2週間程度で亡くなります。最後は枯れるように亡くなりますが、本人は苦しません。いわゆる老衰です」

本当に苦しまないのだろうか?と半信半疑であった。というのも、入院中に嚥下が出来なくなり、病院では点滴だけだったから、ずっとひもじい思いをしていて、面会では「ごはんごはん」と訴えていたからだ。

「食べ物を与えれば、誤嚥性肺炎を再発するか最悪窒息死。ジュースかとろみのついたものをお楽しみ程度に味わうことしか勧めません」とドクターは言った。

家でも「ごはんごはん」と言われたらどうしよう?それでも食べ物をあげないことは、私にできるのだろうかと。

帰宅してみると、恐れていた通り「ごはんごはん」と言う訴えは増え、しまいにはエアで物を食べる仕草まで。私は何とか持ち堪えて、りんごジュースやみかんの搾り汁ぐらいしか与えなかったが、母を餓死させているのではないか?としか思えなかった。これが、穏やかな老衰?なのだろうか?ドクターは、在宅で食べ物を与えられず、死んでいく高齢者を見たことがあるのか?「穏やかな老衰」という説明は間違いなのではないか?

「体の機能が同時にダメにならない人もいます(母の場合は、消化器は機能しているけれど、嚥下がダメということ)。それでも、延命治療を望まない限り、打つ手がありません。経鼻経管はやっても自分で抜去してしまい、数値も悪くなりました。中心静脈は1ヶ月ぐらいで感染症を起こすので勧められません。胃ろうは選択肢ではありましたが、ご本人が延命を希望しないのならできません」と言うのがドクターの説明であった。

治療は正しいと思うが、このままでは苦しむ死が待っているから、本人を説得して治療としての胃ろうや経鼻経管のやり直しもあると説明がほしかった。もしこれが自分の親だったらと置き換えて、もう一歩踏み込んだお節介がほしかった。それは、ドクターに対して求め過ぎなのだろうか。

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