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おかねもちの家での介護 その隆興と凋落

今日の献立は、義母たまこさんの大好物、さつまいもの天ぷら。

歯が少ししかないたまこさんでも美味しく食べられて、ボリュームもあるので、実際よく作るおかずだ。ニコニコしながら、「出(デ)がイイでね」と言ってホクホク食べてくれる。「出がイイ」というのは、お通じがよくなるという意味だそうだ。たまこさんにとってトイレに行くことは既にグレートジャーニーだから、おなかが健康なのは、大変よろしい。

そんな おいもが大好きなたまこさんは、元社長令嬢であり、元社長夫人でもある。

たまこさんは大きな紡績工場の娘として生まれ、大切に育てられたらしい。親の金庫に入りきらずに溢れている紙幣を鷲掴みにして出かけ豪遊するという少女時代を過ごし、お琴に三味線に日本舞踊を習い、名取の資格も持っている。そして建設会社社長の義父と出会い、結婚した。会社は義父が一代で大きくし、そして一代で終わりにした。旦那は会社を継がなかったし、まったく関係のない仕事に就いている。

この家に初めて挨拶に来た時、私が見たものは 大きなシロクマの剥製が三体。血糊のような跡が見える鎧兜の甲冑一式。象牙三本。複雑で精巧な龍の彫り物がしてある中国風の木製大テーブル。よくわかんないツボがたくさん。鍾乳石。話には聞いていたが、博物館にでも来たような気持だった。(かねもちはツボがすきなんだなあ)とも思った。私にとってツボは、ドラクエでちいさなメダルが入っているものだ。ちなみに、甲冑以外はまだ家にある。もれなく布やほこりをかぶっている。どう扱ったらよいのか全く分からない。売ったり寄贈したりしちゃいたいのだが、義父のものを片付けるのは義母がいるうちはやめとこう、と旦那と話して一致している。

そして現在、庭は、管理する義父が亡くなってからというもの、マトモな手入れなど一切していない。草も松の木も伸び放題、盆栽は台ごと倒れたまま放置してある。タイルはところどころ剥がれ、落ち葉は積もっている。このおうちがまだ「会社」だった頃を知る人が見れば、あまりに荒れ果てた外観に「これが、あの!?」と二の句を告げないほど驚愕するだろう。しかし旦那も私もたまこさんも、庭に全く興味がないので仕方がない。外なんてどうでもいい。退廃な雰囲気を好む私などは、むしろWABI SABIを感じてイイ風情じゃないかと思うくらいだ。落ちて割れ崩れ、雑草に埋もれていく盆栽にも、もののあはれを感じる。諸行無常の響きあり、というやつだ。

私が義父母を介護するようになってから、実際に「昔」を知る方が数名、訪ねてこられたことがある。義父を「社長」と呼ぶ彼ら彼女らには、認知症になってしまった義父のことは一切話さない。義父はとてもプライドが高かったので、きっと知られたくないだろうと思うからだ。荒れ果てた庭を見て、おそらく何らかのネガティブな感情を抱いて帰って行かれる。私はそれを見送るのがとても愉快だ。彼らは義父の生前から、何度もお金をたかりに来ているからだ。たかられても、もうこの家にお金はない。

義父が亡くなった後に、遺されたノートを見つけた。それには いつ、だれに、いくら渡したか?が詳細に書き込まれていた。「返済」の欄に記入がある人間はひとりもいなかった。そしておそらく、物忘れが激しくなってきた時期の義父からも、うまくお金を巻き上げていると思われる。近所の人間、会社の元従業員、贔屓にしていたというクルマ販売店のお偉いさん、皆、返済どころか線香一本上げに来ない。訪れて初めてその死を聞かされても、「そうですか~」と言ってすぐに帰る。それで結構だが、乞食行為を軽蔑されても恥ずかしいと感じない類の人間だろう。とにかく卑しさは人を貶める。

今はお金はないけれども、生まれてからずっとお金に愛されてきた たまこさんは少しも卑屈にならない。その身が不自由になってしまってもだ。これが人徳というやつか。たまこさんは何も恨んでいないし、ましてや言動には希望がある。

そう、希望。私に全くないもの、希望。

介護をしているとガリガリに削られていく最たるもの、希望だ。

私は自分のことをそこそこイイ奴だとは思うのだが、根っこはスーパーナチュラルボーンネガティブインドアクソ人間なので、スーパーナチュラルボーンポジティブあげまん福女の義母たまこさんとはまさに対極の人間だなとつくづく思う。尊敬している。

私には希望がない。

私にも希望が欲しい。

私は、たまこさんが羨ましい。

そう思ってしまう私も、卑しいだろうか。


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