介護して気づいた、自分の卑屈さ

義母たまこさんの介護をするのは、嫌ではない。

そりゃあ面倒だと思うこともあるけれど。

たまこさんは明るいし、何かひとつするだけでも感謝をしてくれる。ありがとう、すまないねとちゃんと言ってくれる。すごい人だ。だから私も、「いいんだよ、大丈夫」と心から言える。色々してやりたいと思う。

義母は今86歳、これまでも、これからの毎日の暮らしも、なるべくラクで快適で、すてきなものにしてあげたい。そう思って私も頑張ってきた。仕事を辞めてこの家で義父母の介護をしようと、自分で決め、覚悟してから来た。

それから7年、7年だ。

認知症だった今は亡き義父の時は、特に大変だった。大変だったと一言で済ませるようになったのも、すべてが終わったことだからだ。今は義母の面倒を見ながら、仲良く、静かな暮らしをしている。

私は、自分はイイ奴だとずっと思ってきた。

聖人ではないにしろ、そこそこイイ奴だろうと。

義理を重んじ、責任を果たし、弱きを助け、(強きには負けるが)、憶病なりに道徳を守り、人を責めず、なるべく楽しく笑って生きていく。私はそういう人間であると思ってきた。そして幸せな家庭で育ってきた。

でも、最近、私の中に、黒くて、醜くて、おぞましい感情があることに気づいた。

義母のたまこさんが、何かするたびにムカムカッと立ち上る卑屈な感情がある。それも、本当につまらないことで。

ものを落としてしまって、拾えない。

ごみがゴミ箱から溢れかえっている。

廊下にちょっと漏らしてしまった。

それらの始末をしている時に、「すまないね、ありがとう」そう言ってくれるのにも関わらず、完全には相殺できない、恨みのような黒くて重い感情を覚える時がある。

えっ?私って、こんな人だったっけ?

気づいた時には、とてもとても悲しかった。そして、恐ろしかった。私は変わってしまったのか、そもそもそういう人間だったのかは分からないけど。

つらくて、情けなくて、泣いた。

卑屈な人間なんて、大嫌いだったのに。

そうか、私って、こんな人間だったんだね。今はそう理解できている。否定したって仕方ない。受け入れなければ、ただ苦しいだけだ。人間にはいろいろな面があるもので、私には影を覗きこむ機会がなかっただけ。

多分、私はそこそこにはイイ奴で、それなりに矮小で、尊大なのだ。

パラメータが分散しているだけ。

明日は、たまこさんの好きな お芋の天ぷらを作る予定だ。きっと喜ぶ。

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