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随筆7



生き返るかの瀬戸際みたいな様子で1ヶ月くらい生死を彷徨った植物が枯れている。
4ヶ月くらい前、会社が決まらなくて実家に帰った時、ホームセンターで買った観葉植物が枯れている。
でもこれは多分もうダメだ。根っこまで枯れている。
このことを話したらもうすぐ2年の付き合いになるドライバーに「あんたの代わりに枯れてくれたんだよ」と言われた。

わたしは土も変えずにずっと水だけをやっていたので、繊細な植物はみんな枯らしてしまった。おそらく換気も悪かった。それでもまだいくつか残っている。お前たちは枯らしたくない。何かものを育てるということは、やってみないとわからない難しさがある。


4月30日。
社会人になって初めての月末月初は、文化祭前日みたいな詰め込みを感じた。
待ちに待ったゴールデンウィーク初日は久しぶりに昼過ぎに起きて、イカ墨パスタをつくって食べた。最近、パスタは少し茹ですぎたくらいが美味しいのかもしれないと思うようになった。アルデンテだとソースが絡まない気がしませんか?わたしのスキルの問題なのかな。
イカスミのソースは買ったやつだけど、もしあれを1から作れる人がいるなら結婚したい。いったいあの味は何で構成されて何が入っているんだろう。美味しかった。サイゼリヤのイカスミパスタを食べる母を怪訝な顔で見ていた幼少期が懐かしく感じられる。
なので、わたしはいま社会人で、たぶん、大人になった。

ヨガのレッスンをしてびしゃびしゃに汗をかいたあと、阿佐ヶ谷にある学校がモチーフみたいなコッペパン屋さんの喫茶室で好きなエッセイストの本を読んだ。ものすごく雨が降っていて、雨音が遠くから聞こえてくるところも、なんだか学校みたいだった。
しかも雷まで鳴り出した。演出か?と思うほど学校みたいだった。湿気っていない部屋の中で聞く雨音と雷はYouTubeから流れるのと同じで、妙なリラクゼーション効果すら感じられた。
小学校や中学の頃、窓からは雨が見えたし、あの湿気っぽい空気も、木の机が湿ると色移りするところも、全部ウザかった。帰り道、学校指定の白靴下は泥水で汚れたしとにかく雨は嫌なものでしかなかった。そんなことをなんとなくだけど思い出した。
携帯には仕事のチャットがそこそこ鳴り止まずに流れている。


それから、母の日が近いので実家に届くように手配した大きな花束を渡すために帰った。
それと初めて自分からお金を封して人に渡した。わたしが今まで受けてきた恩恵に比べたら少額だけれど、今までに感じたことのない気持ちになった。妹にはデパコスのリップをプレゼントしてみた。父には…一緒にお酒を飲んだからいいかなと思って何も買わずにいた。

届いた50本のバラの花束を見て、こんなの人生で初めてもらった、生きててよかった、と母は言った。我ながらキザなことをしたなと思ったけど、今まで生きてきてキザなことを出来る人は、意外と少ないと感じている。
会うたびに花をくれるとか、世界で一番綺麗だよとか、こいつバカみたいにキザだなと思われても、その言霊に気持ちを賭けてみたいしそういうのがサラッと出来る人間になりたい、ほんとうは。
母は渡したお金で買ってくれたであろう食材でBBQを開いてくれた。ウチは田舎なので庭がとにかく広い。多分だけど、ゾウとかキリンとかも飼えるくらいの広さがある。母には好きなものを買ってねと一筆添えたのに、食材は結構たくさんあり尚も豪華だった。そういうところに私を育ててくれたこの女性の母親さを感じるようになった。
ガーデニングが趣味の母は4人で一つずつ食べたサザエの殻を、プランターに4つ並べて大切そうに飾った。そういうところも、大好きだった。
帰りの車で「いろいろありがとうね」といいながら、子供ができたら私も一緒に育てたい、お前は変な男には捕まるな、上手くやれ、誠実で堅実な男を選びな、ああじゃ無いこうじゃ無いと私の将来に言葉を寄せた。
名残惜しいなと言いながら私を駅に送ってくれた。

母親が20年以上前に着ていた年代もののスーツをいくつも譲り受けて、両手にスーツを抱えながら東京に向かう電車に乗った。
社会人になった私もきっと母親の目にはただのちょっとデカくなった娘として映ったのだろう。
それでもなんだか、最近のラインには敬語が混じるようになったり、よそよそしさを感じたりする仕草や態度になんとなく目を瞑っている。

わたしをいつまでも娘でいさせて欲しい。わたしをずっと馬鹿にして笑っていて欲しい。


初任給で買ったAirPodsは本当に自分の世界に没頭させる力があり、周りが何にも見えなくなるので驚いた。
ただひとつ電車のアナウンスだけはわたしの耳にかろうじて届くようになっているのは、
こちらのノイズキャンセリングの素晴らしい性能かのためか、わたしの脳の偏向した仕業か。

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