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世界史の論述 書き方と訓練集

高等学校の世界史探求では、口頭や論文/論述形式で発表することを授業の成果として文部科学省は求めています。
ハイレベルの大学では論述が出題されていますね。
大学でも論文は書くことになります。
論述/あるテーマで論理的に書くことは、これから必要性が高まるので、入試で出題される人はもちろんなんですけど、そうでない人も学んでおくといいですよ。
論述が出題されない大学を受験する人でも、出題テーマを深く理解できるし、この時代ってどういうことがあったんだっけという時代感を養うこともできるんです。だから、読んでおくだけでも違いが出ると思いますよ。

問題数は213、コツを掴んで演習で身につけるには十分な量だと思います。他の論述の問題集で解答の書いてある問題数を比較してください。皆伝世界史の論述の方が安くて多いと思うのではないでしょうか。

文自体を書き慣れない人もいるので、論述に注力できるように最初の方は60字-80字で出題しています。
一つの条件で書くことが多い60字-80字と、複数の条件、広域、長期間を扱う400字では違いがあるんですけど、用語の用意される400字と600字の書き方は同じと考えていいと思います。
60字‐80字は、用語集の抽象的な用語を利用できます。
例)啓蒙主義 帝国主義
400字-600字は、テーマ史と同じで、ある切り口から問われることが多いですね。だから、テーマ史の問題集を利用して、論述に書き換えることもできます。

この皆伝の論述問題集の使い方

2か月後に塾講師として、論述を教えないといけないと思うこと。
これが急速成長するコツです
受験生のつもりでいたら、ゆっくりの成長になると思います。
①最初に中世までぜんぶ読んで、書き方を理解しましょう。
出題形式や字数ごとに、だいたいこう書くんだなというのがわかったら、
②そのあとで書き方をまねして、模範解答以外のテキストや参考書や、何を見ても構わないので字数を守って書いてみましょう。
この世界史の論述を読んで、書き方を理解して、自分で書いて、模範解答と見比べて、もう一回書きましょう。
読んでも200問近くの解答を憶えている人なんていないので、問1から自分で書くときに、解答を知っているなんていうことはないと思います。あるとしたら、かなりの記憶力の持ち主なので、それを利用して合格すればいいと思います。
問だけを見て書きましょう 
考え方を見てから書きましょう 

論述を書く前にメモをしましょうね。
そして一問を書き終えるごとに、模範解答を見て、あーこうやって書くのかー、なるほどー、こうすればいいのかー、技術を盗もうーと思って身につけましょう。次の問題に生かしましょう。感覚をつかむために、少なくとも一日で4問 解答しましょう。
②③の段階では、解答し終えて、模範解答も読んだら、もう一回、見ても見ないでもいいので書いてみましょう。
設問も解答もそんなの知らないというようなものもあると思います。けど、全て知っている人はいないし、授業中に全てを教えられる講師もいないので、こうして問題集で知識を上乗せしてくださいね。設問によっては補足知識もあるので、じっくり読んでください。

ここまで早くて2ヶ月、日に4問できないゆっくりの人で5か月くらいかな。その後に、心配なら他のテーマ別や字数別の問題集をしてもいいし、過去問を解いてもいいと思います。

大学によって出題される字数は違います。
東京大学だと300字、600字を書けるようにしておきましょう。
北海道大学だと升目も字数の指定もありません。必要にして十分な解答を書けばいいんですけど、基本的には用語の説明で、50字-80字です。一問一答の解答欄を観て、設問の文を言えるようにするという裏の学習法で力を付けましょう。
出題の字数は様々なので、字数を切り詰める、増やす練習もする必要があるので、字数を二つ出題することもあります。
私は趣味で字数ぴったりを書いているんですけど、受験生は8割以上の字数を書けばいいでしょう。字数を超えたら減点なのです。

過去問も著作権はあるので、過去問をそのまま載せることはしていません。
ほとんどの問は先生が作っています。実際に大学で出題されたものを参考にしている問も、少しあるんですけど、解答と解説の方が明らかに多いので問題ないし、そのままの表現でも引用扱いになるみたいですね。
頻出の問というのはあるので、特定の大学を参考にはしていませんが、表現や用語の近い問はあると思います。
例)冊封体制について述べなさい。
これはどう表現や用語を変えようとしてもあんまり変わりません。

解答は基本的に私が書いて、先生の指摘を受けて書き直したものを載せています。時折、書き直す前のものを別解として載せていることもあります。
考え方は、私が書いています。

設問は60字、120字を基本にしています。後になると、350字など、もっと多い字数も書いています。

*基本事項1
一升目は空けません。(問1.問2と改行せよ、などの明確な指定がない限りは)改行しないし、段落を付けないようにします。
60字なら50字以上は書きましょう。80字なら、70字以上。400字なら340字以上。600字なら500字以上は書きましょう。
10世紀を10Cと書かないように気を付けましょうね。
国名を英米仏蘭と書くのは構わないんですけど、葡伯典瑞などの教科書ではあまり使われない国名漢字は避ける方が無難です。ポルトガル、ブラジルと書くようにしましょう。中華民国と中華人民共和国を区別しにくいときは省略して書くことは避けましょう。
句読点も文字数に数える時は、(升目がある場合は)句読点を他の文字と同じ升に書かないようにします。
「つまり、句読点が最後の升目に来そうな場合は
このように次の行に書きましょう。」
文字数を稼ぐには「例えば、すなわち、そして、結局のところ」などの、つなぎ言葉を多用します。

*基本事項2
何を書いていいかわからない時は、5W1H1Dを文の基礎に据えましょう。
なぜ、いつ、どこで、だれが、なにを、Howどうやって、Doどうした。
をメモしておいて、漏れがないように書きましょう。
例)18世紀(when)の啓蒙君主とは何か 
ヨーロッパ(where)の君主のうち、富国強兵を目指して(why)、上からの(how) 近代化政策(what)を進めた(do) 君主(who)
いつ、は問題文にあるので書かなくていいし、文字数を稼ぐ目的で書いてもいいと思います。5W1H1Dを書くだけで、合格点の解答になっています。

先生によると採点基準はこうです。
論述部分は、10点で換算する
問の主旨に答えていない(5W1H、影響、意義)-5点
字数が8割を超えていない-4点
文字数を超えたら-3点、
事実に反することは-2点。例えば、西ドイツは1955年にソ連と国交なんですけど、1956年の条件の問題に書いてしまったりということです。

必要な用語が入っていない-2点
条件を満たしていない(用語、下線を引け、ある事実を踏まえて書け)
 用語が一つないと-2点
下線がないと-1点 踏まえていないと-3点
知識 地域や時代、人名を間違えている。-2点
例)16世紀の出来事について書きなさい 「1500年にカブラルが」
日本語としておかしい -3点。 
例)「米国ヴェトナム独立することを許したのは」
「米国がヴェトナム独立することを許したのは」正文

「ヴェトナム独立することを許したのは」
「ヴェトナムが独立することを許されたのは」正文

字の間違いは-1点です。例えば「粉争」

□□問題と解答 200題くらいありますよ

□先史時代と古代

*問1 人類がアフリカを出て遠くにまで拡散した過程を書きなさい。 
60字 120字

解答 原人は西アジアに出て、ヨーロッパでハイデルベルク人、アジアで北京原人、ジャワ原人となった。新人はアメリカ大陸に拡散した。 60字

解答 原人段階の人類はアフリカから西アジアに出た。ヨーロッパで、ある一派はハイデルベルク人となり、、東アジアで北京原人となった。アジアで島伝いに拡散した一派は、ジャワ原人となった。アフリカを出た新人はベーランジアを渡り、アメリカ大陸にも拡散した。 120字

考え方 はじめて出アフリカをした原人と、アメリカに渡った新人について書きます。字数が多い条件なら、具体的な人類名を挙げます。ベーリング海峡を徒歩で、ベーリング海峡の南端かアリューシャン列島の南を船で渡ったという学説が対立しているので、ここではベーランジアと書いたんですけど、受験生はベーリング海峡を渡ったで問題ないと思います。

*問2 人類は氷期におよそどんな暮らしをしていたかを書きなさい。 
60字 120字

解答 氷期には男女が分業しており、狩猟や漁労は主に男性が、採集を主に女性がしていた。冬になるとホルドが集まり洞窟壁画を描いた。  60字

解答 温暖な地方では小さな、寒冷な地方では大きなホルドを作り、主に洞窟で火を焚いて暮らしていた。男女は分業しており、漁労や、投げ槍を使うマンモスなどの狩猟は主に男性が、子の世話や採集を主に女性がしていた。冬になるとホルドが集まり洞窟壁画を描いた。  120字 

*問3 温暖化して氷期が終わると、人類の営みにどんな影響があったかを60字以内で述べなさい。
解答 増えた穀物を主な食糧源にできるので、定住を開始した。また穀物を収穫するために新石器を作り、その貯蔵の為に土器が普及した。 60字

考え方 「麦類が増えて、定住を開始、穀物を栽培し、新石器を作った」はいい解答ではありません。「麦類が増えて」は人類の営みではないので、単独で書いても意味はありません。なぜ定住とつながるのかわからない書き方だからです。人類の営みとつなげて書くことが必要です。 何をしたかだけでは不足で、温暖化の影響がわかるように書きましょう。温暖でも定住しない遊牧民がいるから、単に「定住」と書いても氷期の終わりの影響とは言えませんね。受験生の知識では不足ですが、温暖化したから小麦や黍が多く繁茂して、その結果として採集が楽になったから定住しました。この段階で「栽培」の必要はありません。完新世に入ってからの寒の戻りによって、穀物の自生する北限の地域で収穫が減ったので、栽培を始めます。北限よりも北の地域では狩猟や遊牧に移行しました。寒の戻りの代表であるヤンガードリアス期は更新世に入れる場合と、完新世に入れる場合があるので、具体名は書かないで、寒の戻りと書くのがいいと思います。太線部「増えた」は自然界への温暖化の影響を書いています。土器は氷期のころから使っていて初め貯蔵、次いで完新世では煮炊きをするように使います。
常識や世界史外の知識も動員しないと解けない問もあります。

*問4 採集と栽培の違いを150字以内で述べなさい
次の用語を使用すること。最初の使用では下線(皆伝では太字)を引くこと。  乾地農法 略奪農法 焼き畑

解答 採集は自然に生えている植物や、生っている果物を取ることである。一方、栽培は根を張りやすいよう土を耕し、排水しやすいよう畝を作り、日当たりや排水などで好都合と考える場所に植えて育てることである。栽培には、水やりを雨水に任せる乾地農法や、焼き畑のように時間が経過して地力が戻ることに任せる略奪農法がある。  150字

考え方 10点の場合、焼き畑を焼畑と変えてしまうと減点(-1点)です。下線を引かないと減点(一か所に付き-1点)です。字数が8割に満たない場合も減点(-2点)です。誤字脱字も減点(一か所に付き-1点)です。違いを述べていないなど、問の本質に答えていないと減点(-5点)です。字数ピッタリでも加点はされません。
補足説明 自生している植物を採集する-栽培した植物を収穫します。焼き畑は焼いた木々が栄養になるんですけど、森を焼くことは日当たりのいい平地を作ることが主眼にあるので、施肥をしない略奪農法に入れられるんです。焼かないで移動する農法を焼き畑農法という場合もありますね。洪水も栄養を運びます。肥料を与える農法に、施肥農法などの名称はありません。
比較の場合は、一方が半分程度(今回なら75字)の分量になるように書きましょう。

*問5 初期の農耕は誰が担ったかを理由を付けて答えなさい。 60字

解答 氷期には男女が分業しており、主に男性が狩猟や漁労、主に女性が採集をしていたから、女性が採集の発展である初期農耕を担った。  60字
考え方 初期の農耕はまだ身分が分化していない時なので、平民や農民と答えてはいけないとわかる。後の時代は農民や平民だとすると、その前の時代はどうだったかと考える。前の時代には農耕がないから、似たものを探せばいい。採集が似ている。氷期には男女の分業があったことを思い出す。だから、女性と推測します。

*問6 BC36世紀からBC22世紀までの期間で、オリエント、南アジアから都市名を挙げて、その都市について簡単に説明しなさい  60字 120字

解答 メンフィスは古王国時代のエジプトの都。ウルはメソポタミアにあるシュメール人の都市。ハラッパーはインダス文明の都市である。  60字

考え方 60字なので二つの都市をやや詳しく書いてもいいと思います。南アジアはインドやパキスタンやスリランカ、ネパール、ブータン、バングラデシュ、モルディブを含む用語です。インダス文明の都市のうち、ロタールでも、パキスタンにあるハラッパーを挙げてもいいでしょう。5W1Hの「いつ」は問にあるので、「古王国」は書かなくてもいいでしょう。「どこ」「誰」「何」「どんな」を書くといいですね。「なぜ」は問われていません。クレタ島のクノッソスなどは皆伝 世界史の時代区分で言うと次の時代にならないと宮殿が作られないので注意しましょう。例えばBC36-BC22世紀のエーゲ海と問われたら「迷宮的な宮殿が作られた」と書いてはいけません。「クレタ島の中心的な都市の一つで、オリエントと交易をしていた」が無難です。

解答 メンフィスは古王国時代、ノモス統合のために上下エジプトの境にファラオが建設した都で、ナイル川沿いにあった。モエンジョ・ダーロはインダス川の流域にあった青銅器段階のインダス文明の都市で、直線的な街路、大浴場など都市計画を観て取ることができる。  120字

*問7 ハンムラビ法典とは何か?5W1Hを使って60字で説明せい。但し、whenを除く。(5W1Hは、いつどこで誰が何をなぜどのように、です。)

解答 バビロン第一王朝の第六代ハンムラビ王が専制君主制の強化のためにシュメール法典を継承することで刑法などを定めた法典である。   60字

考え方 バビロン第一王朝(どこ)の第六代ハンムラビ王(誰)が専制君主制の強化(理由)のためにシュメール法典を継承(どうやって)することで刑法など(何)を定めた法典である。 
商法・民法などの他の側面もあるので、それを書いてもいいでしょう。

*問8 次の文章を100字程度(90字-110字のこと)に水増しせよ。但し、内容には触れないこと。
「王はハンムラビ法典を作った。」

考え方 5W1H駆使しましょう。本番では100字を書きなさいという設問で、最初に20字しか思いつかないということもあり得ます。水増し、肉付け、深掘りして字数を増やすテクニックも身につけておきましょう。

解答 バビロン第一王朝の第六代ハンムラビ王は、同じバビロニア地域で過去に王朝を持ったシュメール人の、シュメール法典と総称されるウルナンム法典やリピトイシュタル法典などを継承することによって、ハンムラビ法典を作った。  104字

*問9 ハンムラビ法典と現代法を比較してください 300字 
考え方  先にハンムラビ法典のキーワードを挙げて、それに対応する現代法の表を作りましょう。比較だから共通点と相違点を書きます。60字を書けたら、同じテーマの80字は、
①用語を増やします。用語が思いつかない場合は、
②「そして」「そういうわけで」を使ったり、体言止めを変える(「それが現代法」➡「それが現代法である」)ことで、文章として読みやすくします。
120字は用語の説明を5W1Hなどを使って、さらに詳しくしましょう。
更に字数が多い場合は、用語を増やす以外に、用語ごとに具体例をいくつか出しましょう。120字の時に、具体例を出してもいいでしょう。

解答 「目には目を歯には歯を」の復讐的なことで有名なハムラビ法典が作られました。情状酌量や反省は考慮されず後の西南アジアの基本法としての意義があります。生活に関わる民法や財産に関わる商法・会計法が主な内容でした。シュメール法典に基づき、以前からあった慣習法を成文化しただけとも言われます。ただ王が保証するということが大事で、これによって心理的安心が生まれ、見ず知らずの相手との商売も進みました。予めこの罪にはこの罰があると周知している罪刑法定主義なので、犯罪予防にもなります。階級別の刑罰、過失と故意の区別がある。 254字

*問10 漢は遊牧民に対しては懐柔策で良好な関係を保ったが、BC1200年代のヒッタイトにも似た事例が見られる。ヒッタイトが懐柔策を取った国とその方法を述べよ。 20字

解答 王妃をエジプトのファラオの后とした。   18字

考え方 ヒッタイトは外交ではバビロニアを攻撃、エジプトとカデシュで戦い条約を結んだことを思い出しましょう。後者だけが懐柔、宥和、平和策と考えられます。エジプトはアメンホテップⅣの妻はミタンニ人ということを思い出せば、漢のことを知らなくても、ヒッタイトとも政略結婚とわかりますね。
追加の知識~BC33年、前漢の王昭君は、匈奴に妃として降嫁させられました。BC1269年頃、ラメセス2世がヒッタイトと結んだ条約は、世界初の条約と言う学者もいます。領土不可侵、第三国や内乱に対して要請がある場合の相互軍事援助(アッシリア、海の民)、亡命者の送還と、その後の免責が内容です。同盟文は、カルナック神殿やラメセス2世の葬祭殿にヒエログリフで刻まれました。またヒッタイトには粘土板(瓦板)として保存されました。お嫁さんを出す側が形式的には立場は「上」ですけど、実際は人質の側面があるから立場は「弱い」んです。エジプトは立場は下だけど強いということです。

*問11 BC1200年から8世紀中頃の中国について書け 60字 80字 

考え方 ただ「書け」という場合は、概観しなさいということです。その時代の中国に特徴的なことを政治・社会などから選び書きましょう。60字を書けたら、同じテーマの80字は、
①用語を増やします。
用語が思いつかない場合は、
②「そして」「そういうわけで」を使ったり、体言止めを変える(例「それが現代法」➡「それが現代法である」)ことで、文章として読みやすくしましょう。
②より①の方が加点されます。

120字は
③用語の説明を5W1Hなどを使い、さらに詳しくしましょう。

更に字数が多い場合は、用語を増やす以外に、
④用語ごとに具体例をいくつか出す。120字の時に、具体例を出してもいいでしょう。

解答 殷周革命により誕生した周王朝は、宗族を基盤にした封建制を取った。殷とは異なり礼政一致で、長江流域にも、その勢力を拡大した。60字

解答 殷周革命により誕生した周王朝は、宗族を基盤にした封建制で、王の下に諸侯・卿・大夫・士がいる身分制国家。殷とは異なり礼政一致で、長江流域にも、その勢力を拡大した。80字

考え方 キーワードは革命、封建制、礼政一致。長江流域へ勢力拡大も中華圏の成立の大事な過程ですね。革命により誕生したのは周「王朝」で、「周」国は以前からありました。太線部を追加しました。

*問12 BC1200年からBC8世紀中頃のインドについて書け 60字 80字

考え方 皆伝 世界史でも書いたんですけど、いろいろな制度、思想などはこの時に「成立」したのではなくて、数百年をかけて次第に成立しました。どこかの時代には書かなければいけなかったので、ある時代の箇所に「成立」と書いてあります。論述では「誕生」と書くのが無難です。

解答 アーリア人がガンジス川流域に移動し、農耕生活へと移行した。その過程でヴェーダとヴァルナ制を基盤にしたバラモン教が誕生した 60字

解答 アーリア人がインダス川からガンジス川流域に移動し、遊牧生活から農耕生活へと移行した。そして、その過程においてヴェーダとヴァルナ制を基盤にしたバラモン教が誕生した 80字

考え方 「バラモン教」と「リグ・ヴェーダ」と「ヴァルナ制」は8C中までには「誕生」なんですけど、「成立」は明確ではありません。「ウパニシャッド」はBC500年頃までには遅くとも編纂=「誕生」していました。ウパニシャッド哲学となると、BC4世紀頃からと言われています。「変化」「違い」を書く時に、「AからBへ」が一般的なんですけど、「Bへ」で済む場合もあります。そうやって字数を調整しましょう。アーリア人の大多数が移動=拡大と捉えてもいいですね。BC6世紀の16王国にはインダス川流域の王国も含まれるので、それとわかります。

*問13 BC1200年からBC8世紀中頃の中国とインドを比較しなさい 80字

解答 共通点は、身分制が生まれたこと、また、中国では周が長江流域へ、インドではアーリア人がガンジス川流域へも進出したこと。相違点は、前者は礼政一致だが、後者は祭政一致。80字

別解 共通点は身分制度が生まれたこと。但し、中国では血縁関係に基づく宗族の封建制だが、インドでは民族・肌色・職種の違いによる身分制度であるヴァルナ制という違いがある。80字

*問14 BC13世紀からBC8世紀中頃の世界を概観せよ 120字
考え方 時代の特徴は何が終わり、何が始まったかという意義の問としてとらえてもいいでしょう。先生は「今後の時代を生きていくうえで、こうした考え方を持っておくことは一つの視点になる」と言っています。
全ての地域を書くことが理想なんですけど、書けない場合は優先順位を考えましょう。歴史的に重要な出来事を書くということです。

解答 エジプトの衰退、エーゲ文明やヒッタイトの滅亡などの一方で、オルメカ文明、ギリシア文明、ヘブライ王国、周王朝、アーリア人の文明が生まれるなど民族や文明の交代があった。また鉄器や、後の文字の基盤となるフェニキア文字やアラム文字が普及しはじめた。 120字

補足説明 前期BC800年-BC768年 /中期BC767年-BC735年 /後期BC734年-BC701年ですかね。100年は3分割できないんですけど、だいたいこんなかんじでしょう。前期と後期なら、BC800年-BC751年とBC750年-BC701年です。「中頃」(中期頃)だから、「中期」ではないんですね。BC775年‐BC725年と考えていいでしょう。「半ば」は、明確な定義はないんですけど、だいたいBC750年頃だからBC759年-BC741年と考えるのが無難です。

考え方 用語の羅列ではいけません。そうした用語は太線部を意味するということが大事です。鉄器の「普及」は、この時代の欧(オリエントではヒッタイト滅が契機)から中国までに共通する特徴だから外せません。後の時代に広い地域で使われるアルファベットの起点だからフェニキア文字やアラム文字は外せないということです。

*問15 BC1200年ころからBC8世紀末頃のギリシア人について書きなさい。 200字 
使用用語 植民再開 ギリシア史 鉄器、集住、ヘレネス 

解答 数百年続いた暗黒時代の後で、ギリシア人はアクロポリスを中心に、アゴラを有するポリスと言われる城塞都市を建設した。イオニア人は貴族が集住してアテネを作り、ドーリア人は全市民が市内に暮らすスパルタを作った。ギリシア人はデルフォイの神託、ギリシア神話、オリュンピアの競技会などを通じて紐帯を感じ、自らをヘレネス、異民族をバルバロイと称した。鉄器の普及に伴う農業生産の向上と人口増は植民活動の再開につながる。 200字

*問16 古代ギリシアでは円盤投げや鉄アレイのような分銅を両手に持つ幅跳びなどを、四年に一度、あるポリスに集った全裸の男性が競った。あるポリスの名を記し、なぜ男性だけなのかを記せ。都市名を含めて40字で書きなさい。

解答 オリンピア。戦争時に必要な能力を競う集まりであり、成人の男性しか参戦しないから。 40字

補足知識 血と汗をゼウスに捧げるんです。それが見やすいように全裸なんですかね。

*問17 殷と周の支配体制の相違点を書きなさい   80字 
考え方 5W1Hを使います。字数が不足するときはWhoとWhatを優先して書きましょう。

解答 殷は祭政一致の邑制国家の盟主で、血縁関係のない邑を従属させ支配した。一方で、周は礼政一致の血縁関係を基にした封建制で、領土を持つ諸侯を従属させる領土国家の盟主。  80字

考え方 周を思いつかない時は、殷を否定する言葉を書いていきます。殷は天と人間の関係を重んじて、供犠を捧げて、文字を書いた亀の甲羅、牛の肩甲骨を焙って神意を占う祭政一致の神権政治でした。周は供犠を捧げず、占いを否定して、人間同士の上下関係たる礼を重んじた礼政一致の政治という感じですね。

*問18 中国の周の封建制と西洋中世の封建制を比較せよ 80字

解答 封土を付与する点では両者は共通。周の封建制は、本家分家の血縁重視の氏族的な性格を持つ。一方で、西洋中世の封建制は血族は無関係で、個人間の双務的な契約関係である。 80字

考え方 「血族は無関係で、」。否定をすることで字数を増やしました。集団が宗族です。父系の同族集団で、同姓を持っていて、同姓同士は結婚できない外婚制です。その規則が宗法です。

*問19 殷王朝以前の中国の都市国家と、古代ギリシアの都市国家を比較せよ。80字 10点

考え方 以前だから、殷が入るんです。中国の5W1H 、ギリシアの5W1Hを書けばいいと思います。字数が少ないので、WHO、WHATを優先して書きましょう。比較だから、同じものを比べて共通点と相違点を書きましょう。

解答 共通点は、周辺に農地を持つ城塞都市国家であること。相違点。ギリシアではポリス間は対等で、奴隷を有する民主政。中国ではピラミッド構造の邑制国家で、奴隷なしの王政。  80字

考え方 共通点。周辺に農地を持つ城塞都市国家。相違点。ギリシアでは①ポリス間は②対等で、③奴隷を有する④民主政。中国では②ピラミッド構造の①邑制国家で、③奴隷なしの④王政。
4つの要素を比較しています。

別解 共通点。周辺に農地を/持つ独立政権の城塞都/市国家。相違点。ギリ/シアでは①民主政の②ポリ/ス。中国では農耕集落/を統合した②邑を形成。/その後、④都市国家連合/の殷王朝が成立  77字

考え方 共通点と相違点を書いているので、まず2点を確保しました。②は比較できるのでさらに2点ですね。①と④は比較になっていません。採点者は殷王朝がピラミッド型と知っているんですけど、受験生が解答に書かないといけません。ポリス間が対等なことも書かないといけませんね。だから、別解は4点/10点です。

考え方 邪馬台国や殷王朝のようなピラミッド型の都市連合国家を邑制国家と言います。「邑制国家」を思いつかない場合は、上記のように説明(「都市国家連合/の殷王朝」)をすることで言い換えます。

*問20 紀元前8世紀中頃から紀元前6世紀末における中国について概観せよ 60字
考え方 前期BC800-768/中期BC767-735/後期BC734-701。100年は3分割できないけど、だいたいこんな感じです。前期後期はBC800-751とBC750-701です。問はBC8「中頃」(中期頃)だから、「中期」ではありません。BC775‐725と考えていいでしょう。「半ば」は、明確な定義はないんですけど、だいたいBC750年頃だからBC759-741と考えるのが無難です。BC770年以降は西周から東周に移り春秋時代になったことに触れてから、春秋時代の特徴を言えばいいと思います。

解答 支配王朝が西周から東周に移り封建制が崩壊すると、斉晋など春秋の五覇と言われる領土国家が台頭し、尊王攘夷の春秋時代になった 60字

別解 周が洛陽に遷都し、尊王攘夷を唱える春秋の五覇が競う春秋時代が始まる。灌漑、鉄製農具の登場による牛耕農法で生産力が高まった 60字

*問21 紀元前8世紀中頃から紀元前6世紀末の時代を概観せよ 120字
考え方 世界年表、構造図を思い出すと、同時代のことがわかると思います。

解答 米大陸ではマヤ、チャビン等の文明、西地中海ではカルタゴやローマ等の植民市が継続。東地中海ではギリシア人の支配、オリエントではアケメネス朝による地域統一と貨幣経済化。インドでは統一を目指す諸国の争い、中国では周の衰退で強力な中央による再統一を争う。 120字

考え方 字数は少ないんですけど、なるべく時代に共通することや特徴を書くように努めましょう。上記の解答では、統一という共通の基準を立てて、統一、再統一を書きました。時代の特徴は人類初の鋳造貨幣の誕生だから、これは外せませんね。中国の貝貨は皇帝からの下賜物であって、経済的に利用していたことは稀なので、貨幣経済化したと言えませんね。アメリカ大陸は書いた方がいいんですけど、前の時代と変化がないので、字数が不足するなら書かなくていいと思います。メソアメリカとアンデスから一つずつ書くのでいいかな。西地中海では、この時代はカルタゴが拡大しているので、ローマは書かなくてもいいと思います。単純に「米」と書くと「アメリカ合衆国」になるので避けます。インドを印と書かない方が無難です。字数を減らせるけど、「中印」も避けましょう。東周以外は王国ではないので、諸王国の争いと書かないことも重要です。

別解 世界理解の方法として根源を重視するギリシア哲学が生まれ、オリエントでは二元論のゾロアスター教が普及し、選民思想を明確化したユダヤ人は旧約聖書を記述した。インドでは救済を重視する仏教とジャイナ教が、中国では人間関係を重視する儒教が生まれた。 120字

考え方 各宗教や思想が何を重視したかという共通項で書きました。ゾロアスター教はいつ誕生したかが不明なので、この時代は普及と書いています。儒教は天を意識するんですけど、仁義孝悌という君臣・親子関係も重視していますね。「選民思想を重視」と書いてしまっては、十戒(選民思想を含まない)を軽視していると取れるのでいけません。「選民思想を明確化した」と書くと、選民思想を重視も含むことができます。

*問22 春秋時代から戦国時代へと移った経緯を述べなさい 60字
考え方 周王朝側の問題と、七雄側の事情を書きましょう。

解答 封土の授与がなくなり周王朝の権威が低下し、鉄製農具の普及と商圏拡大で経済的に潤った各国は王を自称し始め、戦国時代に移った 60字

*問23 春秋時代から戦国時代への変化をかけ 80字
考え方 変化だから「AからB変わる」。「Aだったが、ついにBになった」と書きます。
例えば、
「佐藤くんと、田中くんと付き合った。そして今は独り」
「佐藤くんと付き合っていたけど、結局は田中くんと結婚した」
太線部の言葉が「時間の流れ」「変化」を表しています。前後の「違い」の問と考えてもいいですね。
前後のキーワードを書き出して、それを比較しましょう。
政治面、経済面などがありますね。
尊王攘夷と下剋上は外せません。前のことしか書かないと、加点されないし、減点される場合もあります。

解答 石器から鉄製農具、人力から牛耕、天水から灌漑へと変化し、生産力が上がった。貝貨に代わり各国が青銅貨幣を作り使用。封建制が崩れ、諸侯が独立し、尊王攘夷から下剋上へ  80字

考え方 春秋の五覇 戦国の七雄を書いてもいいでしょう。「周王を敬わず、それぞれが王を称し、富国強兵に努め、領土の拡張を競った」などでしょうかね。戦国時代の名称は、前漢末の劉向が編集した「戦国策」に由来しています。農業生産力の向上、血縁関係を軸とした宗族という紐帯が弱まり、個々の家族の自立という社会的な変動が起こりました。農業生産力の向上は貨幣経済の発達をもたらし、戦国時代の諸国では青銅貨幣を鋳造し、流通させました。自立した農民を軍事力として組織し、領内の経済を支配したのが戦国の諸侯でした。そのための方策をどう実現するかをめぐりいろいろな学者が登場して、各国の王に仕えます。それが諸子百家ですね。

*問24 春秋時代と戦国時代を比較しなさい。 80字

解答 共通点。周王朝の存続と諸子百家の活躍。相違点。前者が人力で石器を使用、独自貨幣はなく、周王朝に対し尊王攘夷で、後者が鉄製農具で牛耕をし、独自貨幣を持ち、下剋上。80字

考え方 尊王攘夷から下剋上に変わったと書くと、変化を書いたことになります。比較ではありませんね。

問25 諸子百家とは何か 80字 

解答 孔子の打ち立てた儒家や法家、または縦横家などのような、戦国の諸侯に仕え、富国強兵を成し遂げるために何をどうすべきかを考え、それを提言した学者たちのことを言う。(80字)

考え方 太線部のように5W1HのWHOの具体例を挙げることで字数を稼いでいます。

*問26 紀元前6世紀末から紀元前4世紀中頃の時代、を概観せよ 
120字

解答 米大陸はオルメカ文明滅亡とサポテカ文明の登場など統一はなく、中国は再統一に向かう戦国時代、伊半島はローマが統一に向かい、北インドはマガダ王国が統一する 。オリエントの統一政権のアケメネス朝とのペルシア戦争後の東地中海は、マケドニア主導で統一 120字

考え方 ペルシア戦争、ギリシア文明の終わり(解答では、マケドニアによる統一と表現しました)は外せませんね。マガダ王国はシスナーガ朝が北インド、ナンダ朝が中部までを統一します。王朝名を忘れた場合は、解答のように国名を書きましょう。

*問27 ディオニソス祭で豊穣と葡萄酒と酔払いの神に捧げられた作品名を三つと、その作者を三人書け。
その上で、ペルシア戦争後には悲劇ではなく、喜劇が演じられるようになった理由を具体的な作品をあげて120字内で説明しなさい。

解答「アガメムノン」アイスキュロス 「メディア」エウリピデス 「オイディプス」ソフォクレス
背景として、ペロポネソス戦争など、男性主導で戦争が続いたので、反戦の機運があった。ポリスに貢献していないことや、男性的ではないと非難されないために、アリストファネスの「女の平和」のように、喜劇仕立てにして、女性の声を借りて反戦を訴えたから。 120字

*問28 古代、インドには多くの不可触賤選民がいたが、地中海世界にはいなかった。それはなぜだと思うかをスパルタと比較して答えなさい。60字

考え方 比較だから、インドに不可触賤民がいた理由も書きます。なぜアテネではなくスパルタなのかを考えると、その違いは奴隷の多さと気づきます。インドもスパルタも奴隷が多い点が共通していますね。つまり対処法が違うということです。意図して、不可触賤民を作ったとわかります。

解答 共に奴隷は多いが、インドでは不満を抑えるため、不可触賤民を置き、スパルタでは反乱に備えるため、成人男性はみな戦士化した。 60字

補足説明 インドでは大量のドラヴィダ人をシュードラという奴隷階級においたので、その不満の矛先が支配階級であるアーリア人に向かないように、予防策として反乱が起らないようにシュードラの下に不可触賤民(パリーア、ダリット)をおきました。一方で、スパルタでは外征をして多くの奴隷を抱えたので、市民よりも奴隷がはるかに多くなりました。予防策として反乱が起った時の為に市民はみな戦士になって、それ以降は外征もほとんど行わなかったようです。スパルタの植民市が奴隷と市民の間に生まれたハーフを島流しするためのタレントゥム(21世紀時点のターラント)だけなのは、そういう理由があるんです。他のギリシアの都市やローマでは、スパルタほどは奴隷が多くなかったから、反乱を抑えるために全員が戦士専任になる必要はありませんでした。不可触選民を置く必要もなかったんですね。ただ、奴隷でも戦闘に秀でた剣闘士の反乱(スパルタカスの反乱)では、ローマはかなり鎮圧にてこずりました。

*問29 アテネにおける民主制の完成までの経緯を述べなさい 
60字 120字
考え方 「なぜ」に答えることを求めています。

解答 法の成文化で安全を確保した市民は財産別の参政権を得て、民会の最高決議機関化を達成、終に籤によるほぼ全官職選出に至る。  60字

解答 参政権が制限されていた市民は、ドラコンの法による慣習法の成文化を皮切りに、ソロンによる財産政治、クレイステネスによる地縁血縁の解消、民会の最高決議機関化を達成。ペリクレス時代に終に籤による官職選出に至り、民主化を完成させた。 120字

考え方 太字の個所で経緯表現をしています。成文化されるまでは恣意的な運用により市民の身の安全も確保されていませんでした。ここから出発したんです。富裕層の議員化はクレイステネスの時代に裁判官は籤で選ばれるようになって、ペリクレスの時代に将軍以外の全官職が籤で選ばれます。だから、民主制の完成と言えるんです。こういう理由がわかる書き方が必要です。「確保した」で始まって、「達成」「終に~至る」で終わるから、時系列に並べていると分かります。つまり経緯を答えていることになります。参戦を通じて発言権を拡大させたことを書いてもいいでしょうね。

*問30 紀元前4世紀後半に、ある文明Aが終わり、それを継承したある時代Bが始まった。AとBの名称を述べ、各々の特徴を述べよ。 60字

考え方 特徴なので、対称的なものを比較しなくて構いません。なるべく字数を半分ずつにします。

解答 ポリスを中心とした民主主義のギリシア文明が終わり、ギリシアとオリエントを融合したヘレニズム時代が始まった。 53字
うーん 60字ぴったりにできませんでした

*問31  ソロンの死後、アテネでは市民の地域対立が発生した。A山地住民/デヤクリオイは貧民で、共産制
を要求(無産市民(ヘクテモロイ)を含む) B平地住民/ペディオイコイは大土地所有者で、寡頭政治を要求 C海岸住民/パラリオイは商人で、穏健な民主政治を要求していた。同じ血族で同じ地域に暮らしているから強い結束が生まれ、別の地域とは激しく対立した。地域では上記の三つ、さらに氏族を元にした兄弟組/フラトリアを元にした部族が4つある。
①あなたはAに属するので、BC560年頃にある政治家を支持した。彼はいわゆる僭主になり、あなたに好都合な政治をした。彼とは誰か、また、彼はどんな政治をしたかを合わせて50字以内で述べなさい。
②市民が、地縁血縁を切ってポリス全体の為に投票するためにはどうすればいいか?こう考えて紀元前508年から改革がなされた。誰がどう改革したかを合わせて50字以内で述べなさい。

解答 ①ペイシストラトスは共産主義に立って、大土地所有者を追放し、その土地を無産市民に分配して自作農にした。  50字
②クレイステネスは行政区を分け、住所変更の抽選を繰り返した。また、部族を再編し、一部の官職を抽選にした  50字

補足説明 僭主政治は続いていて、ペイシストラトスの子供のヒッパルコス、その兄弟ヒッピアスの一族政治になるんです。後で、ヒッピアスはペルシアの侵入を案内するんです。たぶん、陶片追放されてペルシャで世話になっていたんだと思います。クレイステネスがつくったデーモス/行政区は都市部の町内会のようなもので結束はないんです。抽選で裁判官などを選んだんですけど、将軍職以外すべてが抽選になるのはペリクレス時代ですね。民主政治は500人会が有名でした。オストラシズム/陶片追放は、6000票以上の得票者で最多得票者を10年間ポリスから追放する制度でした。けど、政敵排除のために悪くない人を宣伝(ネガティブキャンペーン)をして追放させるから、まもなく廃止されるんです。
20世紀の思想家ロールズは、自分がどう生まれるかわからない状態を仮定しました。これを「無知のヴェール」と言います。「幕があくまで誰がどの役になるのかわからない」という演劇に例えることができるんです。このとき、人はどうするかとロールズは問いました。
A主役かもしれない(格差を認めて幸運に掛けるか)、
Bセリフのない役かもしれない(最低になることに備えて、公平性を求めるか)。

原初状態で自分と他者の能力や立場に関する知識を全く持っていないと、人は
「他者に対する嫉妬や優越感を持つことなく合理的に選択する」「誰しも同じ判断を下すこと」と
ロールズは考えたんです。
そしてB最悪の状態に陥ることを最大限回避しようとするはずで、その結果
「第一原理:各人は基本的自由に対する平等の権利を持つべきで、それは他の人々の同様な自由と両立しうる限りにおいて、最大限広範囲にわたる自由でなければならない(自由主義)」
「第二原理:社会的・経済的不平等は、不平等がもっとも不遇な立場にある人の利益を最大にすること(格差原理。アファーマティブアクションはこの具現化)と、公正な機会均等という条件のもと(機会均等原理)でなら容認される」。
という考えを導き出しました、と先生は言っています。

*問32 ギリシア文明の都市構造を述べた上で、そのヨーロッパにおける歴史的意義を述べなさい
考え方 ヨーロッパの都市の特徴として継承される構造だけを書きましょう

解答   広場の周辺に公共建築を配置し都市の中心とする構造は、ローマを経てヨーロッパの都市計画の基本になった。
考え方 丘上の神殿はキリスト教世界では教会に転換するからヨーロッパに継承されません。継承される構造だけを書きます。

*問33 ペルシア戦争時のギリシアと、ギリシアを支配したマケドニアの兵制の違いは何か。30字

考え方 「違いを述べよ」では、両方を書く場合、なるべく字数を半分ずつにしましょう。片方だけなら、字数の配分は考えなくて構いません。前者の用語が思い出せない場合は「前者を継承せずに、後者は-を創始した」と書きましょう。この問では、「ペルシア戦争時の」「ギリシアを支配した」という形容詞句・節に注意しましょう。ギリシアを支配した後のギリシア地域におけるマケドニアを書くということですね。

解答 ギリシアは自弁で武装する皆兵だが、マケドニアは募兵制とした。30字

別解 ギリシア文明の兵制を継承せず、マケドニアは募兵制を採用した。 30字

考え方 別解は、片方だけ書いていても、違いも分かるようになっています。皆兵という言葉を忘れても、否定することで書けますね。

補足知識 ペルシア戦争後のペロポネソス戦争時にギリシアは農地荒廃で皆兵は崩壊して、傭兵が増えたんですけど、制度化したのはマケドニアでした。ギリシアを支配する前のマケドニアについては騎兵と歩兵があったんですけど、皆兵かどうかは不明です。

*問34 アレクサンドロス帝国の誕生の影響を述べよ 60字
考え方 オリエント文化に触発されたギリシア人が、様々な物・事を生み出すんです。

解答 ヘレニズム文化圏では世界市民主義の思想が生まれ、君主の援助でムセイオン建設や幾何学など科学が発展、コイネが共通語になった 60字

補足説明 脱ポリス共同体の思想である世界市民主義の思想は、多民族共生で共同体意識のない広大なオリエントだから生まれました。個人の幸福追求にも向かって、エピクロス派・ストア派などにつながるんです。幾何学はエウクレイデスのこと。アルキメデスもこの時代です。こうした物事は、エジプトに建設されたムセイオンにギリシア人が集まったこと、そこに集められたオリエントの文化にギリシア人が触発されたものですね。

*問35 紀元前4世紀中頃から紀元前2世紀中頃の時代、を概観せよ 120字

考え方 ローマの覇権、アレクサンドロスの東方遠征は外せません。なぜかというと、これまでになかった地域を越えた統一で、全地中海の統一につながるからですね。

解答 中米ではテオティワカン文明が台頭、南米ではチャビン文明が滅亡。西地中海は民主主義化したローマが統一。アレクサンドロスにより東地中海とオリエントは政治的一体化。インドはダルマの政治を意識のマウリア朝が大半を統一。中国は法家思想の秦が統一した。 120字

考え方 法の支配というテーマで書きました。民主主義化したローマとは、民会決議が元老院の承認を不要化したことを意味しています。統一と書けば政治的統一を意味しますが、一体化は経済的一体化もあるから敢えて政治的一体化と書きました。「東地中海とオリエントは統一」では別々に統一とも取れるから、一体化した(ヘレニズムの誕生)のかどうかが曖昧な表現になりますね。ヘレニズムはギリシアとオリエントの融合だから、オリエントの要素が入らないマケドニアは含まず、ギリシア人が支配したオリエントは含むんです。東地中海全域がヘレニズム化したと書いてはいけません。

*問36 ポリュビオスが「ローマ史」において主張した政体循環論の中で、言及している政治制度を三つ選び、ローマの政体の何に該当するかを述べなさい。 30字程度(大体25字-35字)

考え方 言及している制度を書き出します。ローマの政体の変遷、民主化の過程を思い出して、どんな権力機構や装置があるかを思い出しましょう。例えば、学校教育の民主主義に言及しているなら、それは学校の生徒会に該当するという感じです。

解答 君主制は独裁官、貴族制は元老院、民主制は民会に該当する。 28字

*言及しているのは以下です。
君主制/王制(独裁官)・僭主政治・貴族制(元老院)・寡頭制・民主制(民会)・衆愚政。僭主や衆愚は制度ではないので、「制」でなく「政」または「政治」と書きましょう。

*問37 BC326年にローマで施行された法は、①ギリシアで行われた誰の改革に相当するか。5字以内②内容を書きなさい 15字以内

解答  ①ソロン
②市民の債務奴隷化の禁止

考え方 BC326ポエテリウス法で市民の債務奴隷化の禁止は、ギリシャのソロンの改革(6字)に相当します。「誰」の改革、「誰の改革」の二つの候補があるんですけど、5字以内だから人名を書きましょう。このように、問の日本語の読解にも注意することが必要です。

*問38 焚書坑儒となにか 80字  
考え方 重要な用語を書いて、5W1Hと具体例を挙げましょう

解答 秦の始皇帝が、法家思想を徹底するために、古い時代を理想化する一方で、当代の法令と皇帝を批判していた儒家などの書物を焼き払い、儒者などを生き埋めにしたこと。   78字
これが満点の解答です。

別解 秦の始皇帝は、法家思想を徹底するために、儒家は現代を批判し旧時代を理想化し、法令と皇帝を批判しているとして、儒家の書物を焼き払い、儒者を生き埋めにした。  76字

考え方  「何か?」の問に「~こと」で答えていないので印象が悪いですね。また弾圧は儒者だけではないので、満点ではありません。

*問39 秦の内政と外政を書け 80字 
考え方 用語を書いて、5W1Hと具体例を挙げて、なるべく字数を内政と外政で均等に配分しましょう。

解答 内政においては中央集権を目指し、通貨、文字、度量衡の統一、郡県制の実施、思想は法家を採用。外政においては匈奴を攻撃し、万里の長城を築城するなど敵対的政策を実施。 80字

補足知識 秦の始皇帝が死去すると、長子の扶蘇は丞相の李斯、宦官の趙高によって、謀反の罪で刑死となりました。皇帝となった胡亥は李斯を重用せず、有能な官吏は趙高の下で押さえ込まれていたので、政治は活力を失いました。そんな時、陳勝呉広の乱が勃発したんです。農民反乱が全国化して、豪族は呼応して決起しました。趙高は胡亥を殺して、甥を皇帝に就けたんですけど、その皇帝は乱の軍に降伏しました。

*問40 民主主義国家にはうまくいかない面があると指摘されるが、一方で、必ずしも君子が出るとは限らないということで、儒教の求める君子政治への批判もある。上記の主張を踏まえて、なぜ秦が法家を採用したかを述べなさい。
考え方 君子は徳のある人を意味しているので、必ずしも君主とは限らないんですけど、ここでは君子の君主ということで考えましょう。

解答  「君主が君子」の前提に立つ儒家、自律的な民衆を前提にする民主主義は非現実的で、性悪説に立つ法家に基づく政治は現実的に秩序を保てるから。 

補足知識 法家は民を縛る法に立脚した政治なので、君主を縛る憲法に立脚した立憲君主制ではありません。

*問41 紀元前2世紀中頃から紀元前1世紀末の時代、を概観せよ 120字

解答 ローマは市民権拡大の一方で共和制から寡頭制へと向かい、地中海を内海とした。オリエントで消えたヘレニズムを継承するギリシア人はガンダーラ文化を生み、インドからは仏教が外へ伝播。中国では儒教を官学化した前漢が朝鮮半島、ヴェトナム、西域に拡大。120字

考え方 解答では、文化や政治の拡大、伝播をテーマに書きました。ローマに関しては、その後を知っていると「ローマでは帝政への萌芽が見られる」と書くこともあるかもしれないんですけど、アウグストゥスさえも元首制/市民の第一人者であって、明確な帝政を打ち出したわけではありません。まだ、そう書いてはいけないんです。「帝政の前段階となる寡頭制が現れた」ならいいかもしれません。内海(ないかい)とは、支配地の中に海があることです。この時代に米大陸に何の変化もないことは事実なので、書きませんでした。BC2-AD2なら、書くことはあるんですけどね。
因みに、別の時代のことですけど、皆伝 世界史の区切りで言うと、(時代に議論はあるんですけど)ホメロスはBC1200年-BC8世紀中頃、ヘシオドスはBC8世紀中頃-BC6世紀末に書いています。けど、同時代(8世紀)の人物です。

*問42 ポエニ戦争の歴史的意義を書きなさい。 60字 120字

解答 ローマが属州を得て領域国家へ、同盟市の格差から市民権拡大へ、農民の没落から傭兵制へ変わり、元老院の権威低下の契機となった 60字

解答 属州を得たローマが都市国家から領域国家へと変わる契機となった。また、イタリア半島内の都市格差を招いたので、同盟市戦争を経てローマ市民権拡大に、農民の没落を招いたので、傭兵制を経て傭兵の首領同士が争い、元老院の権威が低下する事態につながった。 120字

考え方 内乱の一世紀につながったということです。その次の段階として、内乱の一世紀の意義は帝政を生み出したことですね。

*問43 前漢の内政と外政を書け 80字
考え方  重要な用語を書いて、5W1Hと具体例を挙げましょう。 具体例を列挙するだけではいけません。

解答 内政。集権化のために郡国制から実質的に郡県制に移行、思想統制の為に儒家を採用。外政。遊牧民に公主を降嫁させる懐柔策を取り、周辺国には朝貢を通じ冊封体制を確立した   80字

別解 外政。河西4郡、朝鮮に4郡、南海9郡を置くなど版図を拡大した。また、諸国に対し冊封体制を取った。内政。五銖銭発行や塩・鉄・酒の専売を導入し、財政の安定化を図った  80字

考え方  河西四郡を置くなど西域支配で東西貿易を行いました。外政による財政逼迫を補うために貨幣発行や専売を行いました。列挙するだけではいけません。目的や結果をセットで書くことが大事なんです。太字部を書くことですね。公主は、王女などの王家の女性や、後宮にいる人のことです。

*問44 前漢では儒学が特別な地位を与えられ、諸子百家の時代に終わりを告げた。この契機となった出来事の経緯を説明しなさい。 80字

解答 儒学の徳治主義による統治をめざした武帝が、董仲舒の献策によって儒学を官学とし、その基本経典として五経を定め、それを教授する五経博士を設置するなどの措置をとった。 80字

*問45 紀元前2世紀後半から紀元前1世紀末の時代の共和制ローマを概観せよ 60字

解答 没落市民の救済に失敗後、半島内外の反乱や戦争があった内乱の一世紀に、市民権と領土は拡大し、三頭政治下で地中海を内海化した 60字  
考え方 市民の救済に失敗とは、グラックス兄弟の改革のことです。採点者はこの書き方でわかります。

*問46 紀元前一世紀末から紀元二世紀末までの時代、を概観せよ 120字

解答 ローマはユダヤとキリスト教弾圧で、後漢は道教団誕生で不安定化し、クシャーン朝では再統一後に大乗仏教が生まれた。一方でこれらの周縁部では南インドやアクスム王国、パルティアが安定した内政と交易を維持、また、扶南やナスカなどの国が新たに生まれた。 120字

*問47 前漢の滅亡の経緯を中央の宮廷と農民の面から書きなさい 80字

解答 貨幣経済の浸透と重税・徭役・軍役などで農民が没落し国力が低下した前1世紀に、中央では宦官と外戚の対立が激化して動揺し、後8年に外戚の王莽が帝位を簒奪し滅亡した。  80字 

*問48 次の文章を100字程度に書き換えよ
「バラモン教は一神教ではなく、川や山や海や空や森などの自然には神がいる、自然は神の別の姿だという自然神崇拝の宗教。バラモン教の世界観は、人間の現世での行為がカルマ/業となり輪廻する来世を決めるというもの。解脱の理論化、つまりどうやったら解脱できるかを明確にしたものが「ウパニシャッド」。時代が経過するにつれてバラモン教に民間伝承などが付加されて、バラモン教はヒンドゥー教になる。従ってヒンドゥー教には始祖/教祖はいない。いつ成立したかも明確には言えない。その過程で、ヴァラモン教では脇役だったシヴァ神やヴィシュヌ神の地位が上がっていく。主役級になっていく」

解答 バラモン教と後継のヒンドゥー教は始祖のいない自然神崇拝の多神教で、その世界観では現世での行為が業となり来世が決まる。解脱の理論化がウパニシャッド。その発展過程でシヴァ神などの地位が上がった 95字

考え方 要約と同じで、キーワードを書きましょう。「前者は」などと言いかえて、重複を避けましょう。短く言い換えましょう。熟語化することも方法の一つですね。例えば、「赤と緑と青」は「三原色」。「名を知られている」は「有名」というふうにしましょう。 

*問49 ヨーロッパの宗教改革では、ルターやカルヴァンが神との仲介者としての教会を否定した側面がある。紀元前のインドにも、同じように個人が仲介者なしに救済に到る道を説いた宗教改革といえる出来事があった。このことを踏まえて、古代インドにおける二人の宗教改革者の名を記したうえで、彼らが考えた救済とは何か、また救済に到る方法とは何かを述べなさい。40字  80字
字数を調整する能力の養成が必要なので、二種類の字数を指定しています。

解答 共に輪廻からの解脱が救済。方法はマハーヴィーラーが肉体的苦行、仏陀が八正道  40字

解答 ヴァルダマーナとゴータマ・シッダールタ。共に苦である人生を繰り返さないように、輪廻からの解脱を救済と考えた。方法は前者が肉体的苦行を通じて、後者が八正道である  80字

補足知識 悟りは「方法」ではなくて、涅槃行きを確定した「状態」です。「悟る」は涅槃行きの方法がわかったこと。涅槃は、現世から見れば死ぬことなんですけど、輪廻からの解脱なので「救済」。字数があれば「なぜなら人生は苦だから」という部分を書くといいでしょう。ヴァルダマーナとゴータマシッダールタまたはマハーヴィーラ―と仏陀。尊称か実名で揃えることが大切ですね。「メルケル首相とトランプ」、片方だけ呼び捨てはいけません。字数を削るために、繰り返す時は「前者」と書きましょう。

*問50 ゾロアスター教のギリシア哲学、キリスト教への影響を具体的に述べよ  90字

解答 アフラ=マズダとアーリマンの対立は、ギリシア哲学のプラトンの現世とイデアと言う二元論、キリスト教の天使と悪魔の争いに影響し、終末論と最終的な救済はキリスト教の最後の審判に影響した。 90字

*問51 ①BC367年にローマで公布された法の主旨は、②BC6世紀のアテネ、③AD7年の前漢の哀帝による政策と共通するものがある。①②③の各々の名称を答え、その上で主旨を簡潔に述べなさい

解答 リキニウス・セクスチウス法。ソロンの改革。限田法。大土地所有の制限。

補足知識 リキニウス・セクスチウス法は、最終目的は兵力の維持です。そのためには市民の没落を防止すること必要でした。それで、公有地の占有面積を一人最大500ユゲラ(125ヘクタール。出典によって異なる数字があるんですけど、大体東京ディズニーリゾートの面積)に制限したんです。ソロンの改革は貨幣経済化で貧富の差が拡大、土地は少数の貴族が占有したので、貴族と平民の対立を抑えることで、民主制を維持することが最終目的でした。参考書や教科書には土地制限は不記載かもしれませんけど、①③との共通だから推察できると思います。債務奴隷の禁止はポエテリウス法と共通しています。限田法は、自作農民の納税に依存する国家財政の維持が最終目的で、その障害となる豪族・商人の大土地所有制限が主旨(方法・目標)でした。兵力・民主制維持は含みません。

*問52 キリスト教はなぜ3世紀から5世紀にかけて、地中海世界に広がったのか。 100字

解答 ローマ帝国における国家祭祀が国家安寧のためであるのに対し、個人の救済を説いたので貧者が信仰した。また、当時の皇帝が布教を許可し、国教として、他の宗教を禁止したり、公会議を主催して権威付けを行ったから。 100字

*問53 冊封体制とパックスロマーナを比較せよ 80字

解答 共通点。周辺国は属国。相違点。パックスロマーナと違い、冊封体制では周辺国が経済利益・先進的文化を中国に求める場合もあり、必ずしも武力で従わせられたわけではない点 80字

別解  穀物などの実がローマに集まるパックスロマーナと違い、冊封体制では交易を行う周辺国の方が実を多くとり、中国は名を取る、また市民権平等化がなされないという違いがある 80字                
補足知識 華夷の区別に基づく属国(冊封国)・朝貢国も含めて冊封体制と言うんです。

*問54 AD2世紀末から4世紀末までの時代を概観しなさい 120字

解答 ローマはキリスト教公認と遷都を経て東西分裂、西部にはゲルマン人が侵入する。ペルシアを統一したササン朝はゾロアスター教を国教化、インドでは大乗仏教が学問化し、バラモン教はヒンドゥー教化する。朝鮮半島は三国、中国は三国時代から五胡十六国の分裂時代。 120字

考え方 分裂と統一、宗教をテーマにして書きました。

*問55 ドミナートゥスとアウグストゥスの政治の違いを書きなさい。 40字
考え方 対比する形なので、「一方」「しかし」などの言葉を使いましょうね。

解答 前者は専制君主制。一方、後者の統治は市民中の第一人者を自称し、元老院を尊重した。40字 

*問56 後漢を滅亡させるきっかけとなった農民反乱について書きなさい。 200字
使用用語 黄巾の乱 張角 太平道 

考え方 農民反乱はどのようなものかという出題ですけど、その内容だけだと100字で終わります。どういう過程を経て、後漢が滅亡したかまで書かないと200字は埋まりません。

解答 後漢末、宦官と外戚の対立などから中央政府が機能しなくなり、凶作や飢饉が頻発したので、社会不安が増した。そうした情勢で、神仙思想、祈祷による病気の平癒などが融合して形成された道教団には四川に張陵の五斗米道、河北に張角太平道があった。184年から後者が主導して、貧農が共に決起したのが黄巾の乱である。これを契機に鎮圧軍を率いた豪族が割拠して、そこから台頭した魏王の曹丕への禅譲という形で後漢は滅亡した。 200字

*問57 西晋滅亡の影響を述べよ 60字

解答 長期にわたり統一王朝がなくなり、北部に異民族王朝が成立したことで仏教が普及し、南朝では漢族主導で貴族的な文化が開花した。 60字

考え方 これ以降、異民族王朝になるんですけど、いつまで(960年の宋成立が漢人の王朝)なのかは書かない方がいいでしょう。後梁の朱全忠は漢族らしいとか、後唐・後晋・後漢は突厥系沙陀族の節度使で、後周、隋唐は鮮卑族、宋は漢人・突厥系・混血など諸説あります。すべて沙陀族の軍事力を背景に建国されました。三武一宗の法難は、無視できないくらいに仏教や道教が普及していたことを意味しています。「六朝文化」ではあるんですけど、そう書くと、三国時代の呉まで含まれるので、誤解を避けるために「貴族的な文化」と書きました。

*問58 西晋から南北朝の時代について、政治と社会面を書きなさい。 
使用言語 清談 竹林の七賢 貴族 陶淵明 王義之 司馬睿  五胡十六国 永嘉の乱 江南地方 建康 東晋 西晋  350字

考え方 「竹林の七賢」のように用語を変えないように気を付けます。用語は順に並んでいなくて、特に竹林の七賢は魏、西晋の時代なので、ミスリードされないようにします。条件は西晋からなので、魏のことを書くと減点の可能性があります。
字数は多いんですけど、これまで通りに5W1Hを意識して、政治、社会の動きを時代順に書きます。
メモをします。政治を避けた清談で有名な竹林の七賢などが活躍した西晋で八王の乱が起こると、鎮圧の支援をした南匈奴が漢を建国して、華北は五胡十六国時代に入った。永嘉の乱を契機に西晋が滅亡すると、王族の司馬睿江南地方建康を都にして東晋を建てた。東晋では貴族文化が盛んで、「桃下源記」で有名な田園詩人の陶淵明、「蘭亭序」を遺して書聖と言われた王義之などが活躍した。173字です。
だいぶ足りません。重要語をさらに説明したり、用語に入っていない鳩摩羅什、前秦、北魏、南北朝などを書き加えます。東晋から続けて南朝を書く方法と、華北と北朝を書いてから南朝を書く方法があります。

解答 政治を避けた清談で有名な竹林の七賢などが活躍した西晋で八王の乱が起こると、鎮圧を支援した南匈奴が漢を建国し、華北は五胡十六国時代に入る。この時期、華北では仏図澄が仏寺建立、鳩摩羅什が仏典漢訳、敦煌に千仏洞が作られるなど、仏教が栄えた。永嘉の乱を契機に西晋が滅亡すると、王族の司馬睿江南地方建康を都にして東晋を建てた。東晋を含む六朝文化は貴族的で、四六駢儷体が流行し、「桃花源記」で有名な田園詩人の陶淵明、「蘭亭序」を遺して書聖と言われた王義之、絵で顧愷之が活躍した。前秦が東晋に淝水の戦で敗れると、華北は鮮卑の北魏に始まる北朝時代に入り、寇謙之が道教を確立し、雲崗や竜門に仏教の石窟寺院が作られ、隋唐に継承される均田制、府兵制が創始された。南朝では昭明太子が「文選」を編纂し、達磨は禅宗を創始した。 350字

*問59 AD4世紀末から6世紀末までの時代を概観しなさい 120字

解答 ヨーロッパはゲルマン人国家とビザンツ帝国でキリスト教普及、中東はササン朝でソロアスター教が国教、インドではグプタ朝で仏教のナーランダ寺院が作られ、これらを結ぶ季節風貿易が確立で東南アジアは仏教化開始。隋が再統一の中国で儒教に基づく科挙開始。 120字 

考え方 宗教と貿易をテーマにしました。

*問60 西アジアの歴史をBC3世紀からAD3世紀まで略述しなさい  120字 
解答 イラン人王朝のパルティアは、ユダヤ人王国や、ギリシア人が支配するセレウコス朝を滅ぼしたローマと争った。また、シルクロード貿易を仲介し、中国からは甘英が来訪した。3世紀初頭に台頭したササン朝は、一時マニ教を保護し、ゾロアスター教を国教化した。  120字

考え方 民族、外交をテーマに書きました。マニ教を書いてもいいと思います。イランを主語にすると、パレスティナ、メソポタミア、シリアまで書きやすいと思います。

*問61 上座部仏教と大乗仏教を比較しなさい。 80字

解答 共通点。インドでは衰退。相違点。前者は出家した個人の解脱を目的とし、主にインド洋沿いに布教。後者は主に在家の救済を目的とし、主に内陸アジアから東北アジアに布教。 80字

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中世までは解答も読んで、それから書き方を読んで、自分で書いてみましょうね。
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