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第38話 『クトゥルフ21世紀』(BJ・お題 『学校の怪談』『クトゥルフ神話』)


(今回は創作の、ホラー小説です。「クトゥルフ神話」を書くことになった経緯はこちらをご覧ください)

《イタリア系アメリカ人、ラルフ・インサラコはマサチューセッツ州アーカム市アーカム探偵社の若手社員であり、警察並みに、全米の犯罪がらみの事件を多く扱っている。メガネをかけた細身のスーツ姿の相棒はトニー。彼はいつも物静かで、面倒事や危険な仕事はラルフに押し付けるが、射撃の達人であり、安全な場所から一発で敵を狙撃する

 ラルフはアーカム探偵社が、州を越えて、誘拐・失踪事件の依頼を多く受けることに疑問を持つ。ある日、誘拐犯が追い詰められた際に叫んだ「イア・クトゥルー・フタグン」という言葉について独自に調べようとミスカトニック大学の図書館を訪れると、先回りしたトニーが、独自調査はやめるようにと言う。午後、探偵社で席を外して戻ってきたトニーから死体の臭いがした。怪しんだラルフは、社内の隠し通路を見つける。その先にあった扉を開けようとしたとき、後ろからトニーがやってきて、急いで中に入ったところ…》

 中は薄暗い電灯がわずかにあるばかりで、中央に置かれたランタンが光を補っていた。
がらんとしていて、そこに丸く椅子が並べてあり三人が座っていた。奥の壁には突き出た小部屋のようなものあり、中ほどにある小窓にベールがかけられていた。
「インサラコくんじゃないか」
 奥に座って、メガネにチェーンをした男が言った。
「ディクスン教授!監禁されていたんですね。でも無事で良かった。気をつけてください。トニーという相棒が銃を持って近づいて来ています」
トニーの足音は判らない。ラルフは一瞥して、防音設備が行き届いていることに気づいた。
「やれやれ」
「え?あ、どうしてこんなところに?」
 ボスのニックが壁際に立っていた。同僚のキャシーも椅子に座っている。
 後ろで扉が開いた。トニーが入ってきたのだ。
「トニー。しくじったな。社長室の出入りは、もっと慎重にな」
「へ?これが社長室?」
 ラルフの問いに構わず、トニーが珍しく面目なさげに謝っていた。だが次に質問されたのはラルフであった。なぜここに来たかを聞かれる。
「あ、いや。そのお、トニーがなんかよそよそしかったもんですから。俺が教授に会うのを歓迎していなかったんですよ。そしたらそりゃねえ。思うでしょうよ。こいつやったな、って。なんだったらこの相棒が、実は宗教カルトの黒幕だったっていうオチなんじゃないかってね。で、怪しい動きをしていたから調べたら隠し通路を見つけて、ここに入ってきたら教授が憔悴しているし、こりゃあもう確定かな、と」
「お前、俺を疑っていたのか」
「インサラコくん。私はいつもこういう顔だよ」
「まあ、お陰でラルフが鋭いってことがよく判った。こうなれば訓練期間は終わりだな。秘密を知ってもらうことにしようか。もうトニーと全国を飛び回って、危険な仕事も乗り越えてきたわけだし」
「あ、俺まだ訓練期間だったんですか?このヤローの射撃の腕を信じて、イカれた自称テロリストたちと闘ったのに?拳銃も防弾チョッキの支給もない中、俺の活躍はイーサン・ハントやジャック・バウアー並みでしたよお?」
「重要な仕事を任せるには、なんだか軽すぎる気もするけれど。ここについたのもまぐれでしょ。トニーがよそよそしいっていうだけで人を殺したと勘違いしたわけじゃない。こんな早とちりするようじゃあ、今の仕事も見直したほうがいいんじゃないの」
 いつものようにピッタリとしたパンツを履いた足を組み換えながら、冷たい声で部屋の温度を下げたのは同僚のキャシーであった。
「ふうむ。じゃあラルフに聞こうか。これは君へのテストだ。どうしてトニーを疑い、どこまでのことに気づいたかな」
 皆がトニーに注目すると、彼の目が泳いだーーと思われたが、すぐににやりと笑った。
「請け負う失踪事件は皆、宗教カルトに関連がありました。各カルトの信仰対象は全く異なるものの、共通点があるんですよねえ。どれも聞いたことのないような名の化け物で、しかしながらオリジナルではない。あと必ずそのことを記した古い文献がある。それらは希少な書物ばかりで、教団の連中も苦労の末入手したようでした。そのような書物を回収することも我々には課せられていました。でも警察じゃないんだから、証拠品の押収は本来できないはずでしょ?窃盗だ。でもトニーは命令されているとか言ってせっせと回収していた。
 で、今日。俺がこっそり調べ物をしようと思ったら、先回りしているんですもん。しかも社で、トニーがちょっと席を外して戻ってきたら、死体の臭いをさせていたんです」
「さすがだな。死体の臭いを知っているか。そしてこの部屋に気づいてしまった以上……」
「ボス。私はこいつの訓練期間を終わらせることには反対です。勇気はありますが、その、怖ろしい出来事にはまだ出会っていません。性急に事を進めて、貴重な才能を失うようなことは避けねばなりません」
「あ、トニー。今、貴重な才能って言った?もう一回言って」
そのとき、洞窟で話されるかのよう響く声が奥からした。
「インサラコくん。君の働きぶりはニックから聞いている。君には真実を伝えたい」
 一同がそちらを見る。死体のような悪臭は、その小部屋の奥から漂っていた。
ラルフにはもう判った。めったに姿を見せない秘密のベールに包まれた人物。
「判りました。ラルフ、紹介しよう。奥にいるのが社長だ。傷を負っているので、当探偵社では選ばれた職員にしか素顔を見せていない。あと、こちらにいるのが日本政府のウノ氏だ。その隣のディクスン教授のことは、よく知っているようだな」
 教授とニックの目が合い、ふたりとも頷いた。
「いろいろ疑問はあるだろう。早速ディクスン教授からプレゼンをしてもらおう」
 ニックが促し、ならば、と言って教授がプロジェクターを操作した。今時 の、OHPである。透明のシートに手書きされたものが映し出されたうえに、時代錯誤な黒板とチョークまでが用意されていた。
「これから君が知るこの宇宙の真実は、少々ショッキングだ。覚悟はよいかな?もっとも私から口頭で聞くだけでは信じられず、おかげでショックも受けないかもしれないが」
 スクリーンには、手書きの文字の羅列が示されている。英語ではない。
「今年に入ってもう七件の誘拐事件が、宗教カルトがらみだと判っている。いずれも、異形のものを祀った宗教だ。その目的はそれぞれが信仰する邪神や異形のものをこの世に出現させることだ。それが成功すると、とんでもないことになる」
「おいおい、まさか本当に邪神が復活するなんてことが……」
「キャシーと私が、先月カリフォルニアで爆発事件を担当したが、あれは一瞬だが化け物が召喚されたせいだ。本当のことなんだ」
「あの程度で済んだのは幸いだった。カリフォルニアの一件は、異形のものの仕業で、神と呼ばれるものではない。邪神がこの世に現れれば、山一つの被害では済むまい」
 教授は真剣であった。ふざけてはいないのならば狂っているのか…
「ラルフ。我々は危険な邪神の招来の阻止を目的に集められた国際チームの一部だ」
「そう。私の研究の目的は、それらを裏付ける古代の文献を紐解くことにあった。」
 ラルフは首をかしげてから一同を見回した。
「イア・クトゥルー・フタグン……ってやつか」
「ラルフ、どうしてその呪文を」
「カルトの一員が口にしていた。あと、トニーが鞄にしまう前に、ちょっくら文献を見せてもらったことがあってね。問題の邪神ってのはタコかイカみたいな形をしているっていう」
「わずかな時間でそこまで読み解けたのか!」教授は大きな声を挙げた。「そうだ。世界中の邪教徒が気づいているわけではないが、すべては最終的に、そのクトゥルフを呼び出すための布石でしかない。クトゥルフは現在太平洋に眠っており、星辰という星の配列が揃う時を待っている。それまでに邪教徒たちが呪文などの知識を学び、その時に邪神を呼ぶ儀式を行えば、クトゥルフはこの世に現れ、世界は恐怖に突き落とされることになる。星辰は二十世紀に二度戻っている。星辰が揃うのは数千年に一度と極めて稀なのだが、私の研究で星は小さく摂動し、短期間に二、三度その機会が訪れることもあると判っている。この百年では三度、邪神を復活させる機会が訪れるというわけだ。次は二年後だ。その最後のチャンスを、邪教徒たちは逃すまい」
 疑念の表情を崩さないラルフに対し、口を開いたのは東洋人であった。
「その星辰の一致した二度目が一九九九年の八月でした。その阻止には世界規模で大胆な計画がなされたのです。クトゥルフが入れない五芒星の巨大な結界を、レーザー光線を用いて描き出したのです。地球全体が結界の中ということにすれば、クトゥルフは活動できない。ともすれば消滅するかとまで期待されたのです」
「その言い方だと、消えなかったのか?ニュースに載らないのはまあよしとして、せめて記録映像とかは残ってないわけ?」
「邪神は、カメラには映らなかったのです」ウノが言った。「ですが太平洋に姿を現した邪神が、結界の力によりそのまま海の中に沈むのを私はこの目で見ました。結界の中では存在できないのではなく、活動ができないというだけでした。私は一九九九年のプロジェクトで、現場にいた生き残りです。仲間の大半は発狂しました」
「発狂?」
「実は研究する私の精神も危ういのだ。何年にも渡って古文書を読み解いているからだ。この宇宙の真実に関わると、正気が失われる。直接邪神を目にするなどすれば、大抵の人間は恐怖でただごとでは済まないことになる。邪神は人間の恐怖と狂気を食らうのだ」
「そうです。私も一度はアーカム診療所で治療を受けています」
「仮にその話が事実だとして、レーザーで結界を張っておけば、邪神は復活しないんだろう?」
「これまで二度星辰の位置が戻った機会は、すべて三度目で確実にクトゥルフを招来するために利用されたのだ。邪神の復活には大勢の者を必要とする。呪文を唱和し、人間の精神力を消費することでより強力な力が邪神に宿るからだ。二度星辰が戻った機会に起こった超常現象のお陰で、信者は増えたと見込まれている。また、我々人類がどのように邪神の招来に立ち向かうかも見定められた。邪教徒たちは結界をなんらかの形で壊そうとするだろう。それに、人類を恐怖のどん底に人類を貶めるためには、人類の文明が進んでいる必要がある。歴史の中で人類の文明の進歩をも調整すべく動いている黒幕がいる」
「黒幕?」
「その人格を持った外なる神の名はニャルラトテップ。『這い寄る混沌』とか『千の顔を持つ者』という異名で知られており、たとえばスフィンクスは彼がモデルであったと思われる。大きさや姿を変えることさえできると言われており、知能指数は千を超えるとまで噂されていた。まあ千というのは根拠のない数字だが、我々の能力をはるかに上回る存在であることはたしかだ。長らく文明を進歩させなかった人類に知恵と文明をもたらしたのも彼だ。ニャルラトテップは、星辰の揃う時までに、遺伝子操作や高度なITの普及、核兵器等のすべてを人類に用意したのだ」
「いや、まさか」
「いや、本当だ。彼は第二次世界大戦時にヒトラーという独裁者を育て上げ、ナチスドイツに対抗するために人類に核爆弾を発明させたのだ。二十世紀後半の科学の爆発的な進歩は、彼のシナリオには必要だったのだ、と考えられている」
 部屋の中が静まり返っていた。ボスがラルフの前に立った。
「ラルフ。君がFBIの試験に落ちたのは、語学、とくにラテン語などの古い言葉に才能を発揮したからだ。しかも身体能力も高い。政府は君を、邪神退治のメンバーの候補に入れた。私が君をリクルートしたのはそういう理由だ」
「勝手なことを。しかも、まだ候補なのか?」
「もはやプロジェクトには関わってもらわざるを得ない。本当はもう少しゆっくりと真実に気づいてもらうつもりであったが、お前のほうから近づいてきてしまったかなら。まずは君の前任のトーマス・ロジャーズに会って、現役中に知り得たことで聞き出せるだけのことを聞き出してくれ。それがこのプロジェクトに正式に関わる最初の仕事だ。彼は優秀であったが、発狂してしまったほうのメンバーだ。精神科医によれば回復の見込みは一切不明だ」
「え、いったいどこにいるんだ」
「アーカム診療所、最重度者病棟D40、だ」
「あなたが入ることにならないといいけどね。あ、これ心配して言ってあげているんだからね」
 ラルフは音を鳴らさずに口笛を吹いた。キャシーに、言葉だけ仰々しく礼を言った。
「あともうひとつの心配はね、秘密を守れるかってこと。だれが裏切り者か判らないでしょ?」
「ああ、憎まれ口を叩く美人、なんてのはかなり危ないだろうねえ。俺が小説の作者なら黒幕にする」
「ラルフ。ふざけたつもりだろうが、そういうふうに疑って正解だ。もちろんお前も疑われている。文献が読める者がニャルラトテップだったとしても、だれも不思議には思わないだろう」
「それでも俺にここまで喋っちゃったけれど、いいの」
「キャシーには嫌われたようだが、ニャルラトテップはこんな軽い性格じゃない。偽装なら見事すぎるがな。あいつは千の姿を持つといえども、独特の美学を持っている。こんなお調子者だけは演じないはずだ。無論これは俺の勘だがな」
「早速行けばいいのかな」
「本当は現場で命をかけるような真似はしてほしくないがな。だから、お前の相棒はお前のボディーガードでもある。いやお互いにな」
「そういうわけだ。今後もよろしくな相棒」
 二人はアーカム探偵社を出て車に乗った。向かう先は、アーカム診療所であった。


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