何かを成し遂げる人生でいちばん重要なこと
その話は、頃合いを見て切り出すつもりでいた。
向こうには、ぼくが氣軽に食事に誘ったように映っていたのかもしれないが、こっちは緊張していたのである。相応の覚悟で臨んだお食事だった。
しかしなぜか、最後までその話を切り出せず、ただただ食事とお茶を楽しんで解散した。
お相手には今も真意は伝えていない。だから、今更ぼくがこの話を公にしても、その人はピンとも来ないだろう。
その日、確かにぼくはその人に、作画のお願いをするつもりで食事に誘ったのだ。
絵は描かないつもりだった。
自分の絵に自信がなかったから。
自分は物語だけ描いて、絵は上手な人にお任せしようと思っていた。
そう遠くない、4年ほど前の話である。
「絵が上手だ」「才能だなんだ」と、そんなことを、最近でこそよく言っていただけるが、昔のぼくを知っている人物からはそんな言葉を一切聞かない。
少し前まで、絵には頗る自信がなかった。かと言って、話作りには自信があったかというと、そういうわけでもないのだが。
ただ、物語を描きたかった。
物語を描いて生計を立てたかった。
そして、そのためにできることを自分なりに考えて行動していた。
「才能」という言葉があまり好きではない。
「才能あるね。羨ましい」なんて言われると、少し寂しい氣持ちになる。
まるでぼくが最初からなんでもできて、その能力のおかげで何不自由なく過ごしてきたみたいに聞こえてしまうからだ。
積み上げてきた時間が、「三匹の子豚」に出てくる藁の家のように、いとも簡単に狼に吹き飛ばされてしまったような感覚に陥ってしまうのだ。
自分に才能がないことは、自分がいちばんわかっている。
冒頭に記したその日も、自分に才能がないことを痛感しながら、それでもなんとか夢を叶えたくて、絵の上手な知り合いと組んだらなんとかやっていけるのではないかと、浅はかな思考のもと動いたのであったが、
結局、言い出せなかった。
言い出せなかったということは、そういうことなのだろう。
その後4年間はおそらく、人生でいちばん描いている。
そうして手に入れたのが、人様から「才能」と言っていただけている今である。
諦めが悪いことが、何かを成し遂げる人生でいちばん重要だ。
悪いだなんだと言われても、諦めきれないものはしょうがない。
他の道が嫌なのだ。
食料も水もある程度の働きで確保できる平和な世で、何かを諦める必要がどれだけあるのだろう。今足りないものは日々培える。培えばできることが増えていく。続けていけば認めてくれる人も助けてくれる人も増えていく。人間は狩猟時代からそうやって成長して生きてきた。
成長を実感できる瞬間がぼくは大好きだ。それはきっと、自分が誰よりも凡人であることを自覚しているからだと思う。
渦中にいる間は至極苦しいものだが、段落がついた頃に振り返ると、ほんの少しだけ誇らしくなる。自分に才能がなくて良かったと心から思える。だってその瞬間が楽しいのだもの。
金剛阿含のように才能に恵まれなくて本当によかった。
今は絵も物語も、ある程度思い通りに描くことができる。
才能なんかでは決してない。紛れもなく後天的に手に入れたものである。
作画をお願いしようとしていたことが信じられないくらいに、今は自分の絵が、描くことが好きである。
手に入れた今を存分に楽しんでいる。
今日もこの自分で、心のままに描き殴っていく。
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あと35日
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