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僕が知っていることはみんな知っている話

何年か前には斬新に感じた価値観も、今では当たり前になった。ネット発信、SNS連載、先を読んで行動したつもりが、誰もが正解を教えてくれる世界で僕は道に迷ってばかり。時代はそんな僕をあっという間に追い越した。

もうみんな知ってる、みんなわかってる。
条件は同じ。

そんな感覚が、僕の中から消えてなくならない。


個人の時代はあっという間に個を飲み込み、いつの間にかチームの時代へ突入した。乱立時代を生き残ったオンラインサロンが、優秀なメンバーと次々事業を展開してる。

波に乗り損ねた僕は、個人としての力も大したことなく、どこかのチームで機能しているわけでもない。

僕はビジネスの世界に疲れていた。


資本主義は不思議だ。

数字や実績が力を持つ。やっていることが変わらなくても、人からはそういう眼で視られているのだ。

個人で漫画活動を始めてからの僕は、至るところで資本主義の不思議を感じた。


漫画の投稿が伸びて調子の良かったときは、たくさんの人が僕のたわいもないツイートに反応してくれた。漫画の投稿が伸びなくなるにつれて、人は離れていった。僕のやっていることは変わらない。同じような投稿をしているのに、僕の持っている数字で反応が決まっていった。

漫画の仕事を取るため、いろんな集まりに顔を出した。

サラリーマンからビジネスマンまで、たくさんの人と短いお話を繰り返す。みんなの食いつきがいいのは、個人で経営している僕の話よりも、法人や株式会社と書かれた名刺を持った人たちの話だ。同じテーブルで同じような話をしていても、視線は彼らの方に長く滞在する。そして最終的に名刺がさばけるのも、圧倒的に彼らの方だ。

YouTubeでは、僕の自己啓発的な漫画動画を散々に叩かれた。

多くの人を勇気付けているつもりが、多くの人の反感を買ってしまった。言われた内容は、とか「たいした努力もしてない奴が何を言ってんだ」とか、「お前みたいな奴がが漫画家を名乗るな」とか、そんなところだ。どうも、商業誌で連載したこともない、漫画の仕事で生活をしているだけの漫画家の話には不満を覚えるらしい。


僕が数字をとれていたら、僕が法人で活動していたら、僕が商業誌で連載している漫画家だったら、全てはうまくいったのだろうか。

やっていることが変わらなくても、人は数字や実績で人を見てしまう。そんな世界に嫌気がさして、

とうとう僕は時代を逆走し始めた。


誰もが数字を求める中、僕は数字から離れた。

発信は自己中心的になった。有益な情報を発信する人はたくさんいる。同じような発信をわざわざ僕がする必要はないと思ったからだ。無理に実績を作ることもやめた。僕が実績を鼓舞しなくても、仕事を依頼してくる人はいると気づいたからだ。自己啓発的な発信もやめた。答えは人から教わるものではなく、自分で見つけるものだと気づいたからだ。

そうして発信や活動を続けていくと、さらに数字が悪くなった。

資本主義の向こう側、人間社会の本質をひとりごとのようにつぶやく僕からは、ますます人が離れていく。面白いものだ。本当に大事なことは拡散されず、「誰でもできる〇〇の方法」なんて、誰でも発信できるようなことが相も変わらず拡散されている。

つくづく不思議な世界だと思う。

数字や実績が力を持つのは、わかりやすいからだ。判断材料として、数字が多い方が、実績が多いが、その人の実力が高いのだと判断しやすい。本当はそうじゃないかもしれないけれど、それがわからないから、人は数字や実績で判断する。わかりやすいから、数字や実績で判断するのだ。

本当はそうじゃないかもしれないのに。


そんなことを考え始めると、みんな本当はそんな当たり前のことわかっているんじゃないかと思ってしまう。

わかっているから数字を求めていて、わかっているから実績を欲しがる。だからビジネスマンたちは、うまく時代の波に乗ることができてるんじゃないかと思えてくる。だから彼らは個人の時代の波に乗れたし、だから彼らはチームの時代に今乗っている。

僕が無知だっただけなんじゃないか。

今はそう思えて仕方がない。


条件は同じだ。

これだけ情報が溢れている社会だ。みんな知っていて当然だ。いつだってそう。新しい価値観は時が経てば当たり前になる。ただ、自分が知らなかっただけなのだから。

みんな知ってる。みんなわかってる。
資本主義の魔法も、その奥にある本質も、みんなわかった上で行動している。

だとしたら、僕も条件は同じだ。ここからもう一度、時代の流れる方へ足を進めてみる。

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