母と象の絵
※毒親関連です。鬱展開注意。
“目の前にいる家族より、自分の理想のほうが大事なの?”
子供の頃から抱えていた母への問いかけが、私のなかにこだまする。
実家から道路を二本渡って徒歩5分で着く場所にあるショッピングモールの3階にゲームセンターと小さなホールがあった。
かつてそのホールでは映画の上映やミニ四駆の大会、絵画の販売展示会などが開催されていた。
ラッセンのイルカの絵や資生堂の広告に使われていた美人画、聖剣伝説の森の絵、リアルでコミカルなビーグル犬の絵なんかが展示してあったのを覚えている。もちろん全て複製品だけど。
母の目的はゲームセンターだった。母はメダルゲームが好きで数人で囲んでジャックポットを狙う大台のゲームでいつも2時間くらい遊んでいた。
私はスロットの目押しをするのが好きだったが、すぐ飽きて店内をうろうろしていた。
母はこのショッピングモールだけでなく隣の市のゲームセンターにも時々通っていた。そこは深夜0時まで営業していて、私は母に付き添って深夜帰りの車に揺られることが何度かあった。
あるとき母が絵を買った。父には内緒の高額な買い物だった。
バオバブの森のなかに象がいる絵だった。
香水の匂いのする高そうなスーツを着た画商のおじさんが当時小学生だった私に説明してくれた。
“この象はたった一人で旅をしてきて、やっとこのバオバブの森に辿り着いた”
その説明を聞いて私は愕然とした。
たった一人で…
私は気づいてしまった。
母の心のなかに誰もいないことを。
ずっと母を支えてきたつもりだった。
でも母にとっては私の支えなど何の意味もなかったのだ。
一人で成し遂げることが母にとって最も尊い行為なのだから。
いつも母は平和やら正義やらを持ち出して世の中の出来事に憤慨していた。
私はひたすら母の話を聞き母の味方をした。私の人格は母の話の前では無いに等しかった。
大人になって、母の話に反論できるようになった。その度にけんかになった。心が消耗するのを感じた。
おそらく、あまりにも主観が強すぎて言うことが幼稚な母は何らかの障害をもっているのだろう。
どうにもならないことなのだから気にせず受け流せばいい。そのことは、わかっている。わかっていても子供の頃のように配慮のない言葉を浴びせられると思い出してしまう。
自分が母の愚痴を受け止めるだけのゴミ袋としての価値しかない子供だったことを。
先日、子供の七五三のお祝いがてら我が家に泊まりにきた母はテレビを見ながら腹立たしげに言い放った。画面の中では独学大全の宣伝がされていた。
「独学っていうのは自分一人で工夫してあれこれ考えるのが楽しいのに!」
一人で…
私は言い返せば口論になりそうだったので口をつぐんだ。いまだに母は何を言っても私が味方してくれると思っているのだ。
子供の頃、誰にも頼ってはいけないと思っていた私は上手く友達の輪の中に入れなかった。それがどれだけ苦しかったか母には理解できない。
それが母の理想なのだから。
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